2014年光文社新書。

 JKビジネスという言葉はつい最近知った。
 テレビも観ない、新聞も(福祉新聞以外は)ほとんど読まないソルティが、いかに世事に疎いかってことである。一応、日々のニュースはYahooのトップページから得ているが、興味や関心がなくとも紙面を開けば、あるいはスイッチをONにすれば、いろんな情報が否応なく目や耳に飛び込んでくる新聞やテレビと違い、ネットは自分が興味ある記事だけ選んで(クリックして)読むことができるので、情報が偏りがちになる。そこは、もしかしたら、情報ツールとしてのインターネットの弱点なのかもしれない。
 おそらくJKビジネスに関する話題もトップページにたくさん掲載されていたのだろう。が、JK(女子高生)的なものにほとんど興味も関心もないソルティの心の杭には引っかからなかったのである。

 神楽坂で開催され最終的には入場1時間待ちという反響を巻き起こした『私たちは「買われた」展』(主催:Tsubomi(蕾)/一般社団法人Colabo)に行って衝撃を受け、「もう少し深く知ろう」と思い、Colabo代表理事である仁藤夢乃の本を手にした。

 そもそもJKビジネス(産業)とは何か(っていまさらか)。

 女子高校生(JK)であることを売りにしている客商売、少女と密に接することができる点を付加価値としているサービスの総称。いわゆる「JKリフレ」や「JKお散歩」などと呼ばれるサービスがJK産業に含まれる。その実態は性産業に近く、少女売春や犯罪などの危険孕むと指摘されている。
 JK産業として挙げられるサービスは、表向きは何ら危険性や違法性を持たない業態として営まれる。たとえばJKリフレはマッサージを施すのみであり、JKお散歩は街中を連れだって歩く(デートする)のみである。風俗営業法による規制対象から逃れるため、本物の女子高生など、未成年の少女も合法的に雇用できてしまう。しかし実際のところ、これらサービスの提供意図ならびに購入目的は少女を対象とする性的欲求の実現である。表に掲げられていない「裏メニュー」として、より露骨に性的なサービスが用意されている場合もままあるとされる。(Weblio辞書「新語時事用語辞典」より引用)

 本書は、JKビジネス(以下、JK産業)で働く女子高生(16歳~18歳)数名への著者自身によるインタビューで構成されている。
 
 家庭にも学校にも何の問題もなく、人生初めてのアルバイトとして時給の良さと自由度の高さからJKリフレを選び、待機場所でも受験参考書を広げている「生活安定層」の少女エミ。
 家庭崩壊により一人暮らし、リスカやオーバードーズ(薬物の大量摂取)を繰り返しながら、JK散歩の売り上げにプライドをかける少女アヤ。
 中学時代にイジメ、高1のとき見知らぬ男からのレイプ、精神状態に不安を抱えつつJK散歩を「社会に自分を慣らすためのリハビリ」ととらえている少女カオリ。
 顔を見るたび親から金の無心をされ、JKリフレやJK撮影会で稼いだ金の半分を親に渡している少女サヤ。
 親公認のJK散歩の「裏オプ」で1万円以下で売春しているものの、それが‘売春’だとは気づかなかった少女リエ。 
 
 様々な環境に生まれ育った少女たちが、それぞれの理由やきっかけからJK産業に足を踏み入れ、次第に抜けられなくなって深みにはまって行く姿が描き出されている。
 
●他のアルバイトより時給がいい
●完全日払い
●同じ年代の仲間がやっている
●履歴書不要
●仕事は「観光案内」の名のもとお客さんと散歩するだけ、お話しするだけ、一緒にカフェやカラオケするだけ、適当にマッサージするだけ、写真を撮られるだけ

 これだけの条件が揃っていて、女子高生ができるバイトなんて他にない。とにかくお金や寝場所が必要な困窮した少女、世間知らずですぐ人や情報を信用してしまう真面目な少女、家庭にも学校にも居場所がなくて自分の価値を認めてくれる場を求めている少女らが、このネット万能時代、簡単にJKビジネスにつながってしまうのは無理もない話である。
 ネットのない時代のアルバイト探しは、知人からの紹介、『日刊アルバイトニュース』や『フロム・エー』などの店頭販売の情報誌、新聞の折り込み広告、店頭の募集チラシなどが主だったわけで、そこでは青少年が「風俗的なるもの」「裏社会的なるもの」に直結できないような、法や条例や大人の良識や世間の目といった結界があった。インターネットによってその結界は脆くも破れてしまった。今や、「裏」と「表」が入り乱れ、情報として同列に各端末に配信されて、すべては端末所有者すなわち個々人の判断力に任されてしまったわけである。
 
 子どもたちは日々たくさんの情報を目にしているが、彼女たちには情報を選択したり、判断する力がない。「JK産業」で働く少女の中には、店のホームページがあるだけで「ちゃんとしたお店なんだ」と安心したという子もいる。 

 少女を雇う側――これが法律上の雇用にあたるかどうかはともかく――にとっても、この雇用形態、労働形態は都合の良いものである。
 
● きちんとした雇用契約を結ぶ必要がない
● 売れた分だけ支払えばいい。
● 少女は友人を誘ってくれる率が高いので、芋づる式に働き手が見つかる。
● 教育や研修にそれほど手間ひまかからない。(即戦力となる)
●店舗が要らない。少女たちの待機場所(事務所)とパソコン一台、携帯一本あれば始められる。(何かあったらすぐに閉鎖できる)
●親に秘密で働いている少女が多いので、何か問題が起こっても少女の口からばれる心配がない。

 少女たちは夕刻になると秋葉原をはじめとする繁華街の通りに並んで、道行く男に声をかけ、散歩やリフレに誘う。
 
 好きなときに事務所に現れ、チラシを配って客引きし、お金を持って戻ってくる。客と散歩に行き、また客引きに行く彼女たちに、店がしてやることはほとんどない。少女たちは客からお金を運んでくるいい餌だ。レナは「店の人は女の子が心配だから、ビラ配り中もたまに見回りに来る」というが、それは少女を監視し管理するためである。
 
 少女をいくら抱えても、店が負うリスクは変わらない。少女が勝手に出勤し、勝手に客をとり、勝手に散歩してお金を収めてくれればいいのだから。
 
 読んでいて浮かんでくる光景がある。
 鵜飼いである。

 鵜飼いは、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る、漁法のひとつ。中国、日本などで行われていた。現在では漁業というより、観光業(ショー)として行われている場合が多い。 

 鵜飼いでは、平底の小船の舳先で焚かれるかがり火が、照明のほかにアユを驚かせる役割を担っている。かがり火の光に驚き、動きが活発になったアユは、鱗がかがり火の光に反射することでウに捕えられる。ウののどには紐が巻かれており、ある大きさ以上のアユは完全に飲み込むことができなくなっており、鵜匠はそれを吐き出させて漁獲とする。紐の巻き加減によって漁獲するアユの大きさを決め、それより小さいアユはウの胃に入る。(ウィキペディア「鵜飼い」より抜粋)

鵜飼い
河渡 長柄川 鵜飼(木曾街道六十九次) 渓斎英泉作(岐阜県博物館所蔵)

 鵜が少女たち、鵜匠にあたるのが店長やオーナー、アユが客の男たちであり彼らが少女に支払う金である。少女たちの首には、経営者が幾重にも巻きつけた見えない紐がついている。
 
 むろん少女たちには、自分が鵜飼いの鵜のようなものだという認識も自覚もなくて、いろいろと気にかけてくれる店長やオーナーやスカウトを「いい人」「親戚のおじさんみたい」「いろいろお世話になっている」と信頼している。待機場所という居場所を提供してくれて、愚痴や悩みがあれば相談に乗ってくれ、売り上げがよければ褒めてくれ、やりがいやプロ意識をもたせてくれる。家出してきた少女には宿泊先を提供し、親へのアリバイ作りの協力もしてくれる。中には、学習支援や金銭管理できない子のために貯金代行サービスを行っているところもあるそうだ。

 裏社会のスカウトは、少女を最後まで見捨てない。一度店に繋いで終わりではなく、困ったことがあれば相談にのり、合わなければまた別の店を紹介し、少女の生活と成長をサポートし続ける。

 こういった点から、「JK産業は行き場のない少女たちのセーフティーネットとしての一面がある。必要悪なところもあるのでは?」とつい思ってしまいそうだが、そうではない。

 家庭や学校に頼れず「関係性の貧困」の中にいる彼女たちに、裏社会は「居場所」や「関係性」も提供する。彼らは少女たちを引き止めるため、店を彼女たちの居場所にしていく。もちろん、少女たちは将来にわたって長く続けられる仕事ではないことを知っているが、働くうちに店に居心地の良さを感じ、そこでの関係や役割に精神的に依存する少女も多い。
 一見、「JK産業」が社会的擁護からもれた子どもたちのセーフティーネットになっているように見えるかもしれないが、少女たちは18歳を超えると次々と水商売や風俗などに斡旋され、いつのまにか抜けられなくなっている。
「JK産業」は系列風俗店への人材を確保するための、教育期間、教育機関のような役割を担っている。

 一見、セーフティーネット、その実は蜘蛛の巣ってことである。
 
 要は、JKビジネスの経営者たち(裏社会)が少女たちに提供している(似非)セーフティーネットを、家庭や学校や地域といった表社会が全然提供できていないというところに問題の核心がある。だから、今日寝るところ、今晩食べるもの、すぐお金になる仕事、うるさく詮索せずに自分を受け入れてくれる関係性――を求めている彼女たちは、舞い疲れた蝶のごとく、簡単に蜘蛛の巣に引っ掛かってしまうのだろう。

 JKリフレやお散歩で働く少女が急増した背景には、「関係性の貧困」がある。「生活安定層」の少女の介入がその例だろう。この本で取り上げた少女たちは、見守り、ときに背中を押し、ときに叱ってくれる大人とのつながりを持っていない。「JK産業」で働くか迷ったとき、仕事で危険を感じたときに相談したり、アドバイスをもらえたりする大人がいなかったのだ。青少年一人ひとりに、向き合う大人の存在が必要だ。

 私は、表社会のスカウトに、子どもと社会をつなぐかけ橋になりたい。声を上げることのできないすべての子どもたちが「衣食住」と「関係性」を持ち、社会的に孤立しない社会が到来することを目指したい。

 おニャン子クラブ、AKB48の仕掛け人に、ぜひ読んでもらいたい本である。
 何といっても、彼こそは史上最強のJK鵜匠なのだから。