2016年河出書房新社発行。
『猿回し 被差別の民俗学』、『新・忘れられた日本人』の著者の最新作。
やっぱり、面白い。クオリティが高い。あとがきで触れているとおり、「エッセイとも旅行記ともつかない妙な内容」であって、また「民俗学とも文学ともつかない不思議な文体」である。
そこがいい。
そこがいい。
今回は、日本各地の‘忘れられた’――というより‘知られざる’村をいくつか取り上げて、その村に古くから伝わってきた‘知られざる’伝承や習俗や生業や芸能を紹介している。現地での取材、各種の文献調査、地勢や地名や生産物や今も残っている言葉などをたよりに、ありし日の村の姿、村に生きた人々の姿を再構成していく著者の視力と手腕は、奥ゆかしくも鋭敏である。推理の楽しみは本書の大きな魅力となっている。(いつか民俗ミステリーを書いちゃくれまいか)
一般に民俗学文献を読むのは素人には難儀なものだけど、この本は非常に読みやすい。リアルタイムの取材の様子を縦糸に張り、上手い具合に、地誌学、歴史学、言語学、記紀文学などから得た推理の材料を横糸として加え、全体図を織り上げていく。分かりやすい言葉で、シンプルかつ要領よい説明がなされる。織手としての、作家としての著者の技量には感心する。
取り上げられるのは、
第一章 出雲国の水晶山と「たたら村」第二章 マタギは、なぜアイヌ語を使っていたか第三章 断崖の漁村「御火浦」略史第四章 雪深い北陸「綾子舞い」の里第五章 大分県「青の洞門」の虚と実第六章 阿波山岳武士の村と天皇家を結ぶ糸第七章 地名と村の歴史――千葉県・丁子(ようろご)から
どの一編も魅力的で面白い。
「へえ~、こんな村があったの?」
「この地名にはこんな謂れがあったの?」
「こんな伝統芸能・伝統産業があったの?」
e.t.c.
「日本は広くて奥が深いなあ~」という思いを著者と共にする。そう、バンに荷を積み込んで著者と一緒に旅している気分になるところがまた一つの魅力である。
ソルティが特に面白く読んだのは、第五章と第六章。
第五章の「青の洞門」は、大分県中津市本耶馬渓町にある切り立った渓谷の岩壁をくり貫いたトンネル。江戸時代の僧侶禅海の手によって成し遂げられた偉業である。ダイナマイトも掘削機もない時代に、全長約200mのトンネルを掘るのはまさに生涯をかけた大事業であったろう。
この洞門が有名になったのは、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台となったことによる。ソルティも小学校時代、国語か道徳の授業で習った覚えがある。クラスメートの悪ガキが、「先生、それ『けろっこデメタン』にもおんなじ話があるよ!」と叫んだ声が今も耳についている。
筒井はここでトンネル掘削の経緯や禅海の素性や半生について、まず『恩讐の彼方に』のストーリーをおさらいし、次に土地に残っている伝承を紹介し、最後に各種文献から組み立てた筒井自身の推理を述べている。すなわち、フィクション、伝承、推理によって組み立てた蓋然性の高い史実、の3つを並べている。史実がいかにして地域の伝承になっていくか、伝承がいかにしてフィクションに飛翔するか。その変容ぶりははからずも、この3つの表現形態の特色の違いを浮き彫りにする。そして、史実が伝承を経て文学作品として昇華されていく過程に、「物語」に対する人間の根源的欲望(=無明)を見る。

第六章では、徳島県美馬市木屋平村字三ツ木に残る一軒家、三木家の歴史を取り上げている。
三木家では、大嘗祭――天皇が即位してはじめて行う新嘗祭(11月23日)――において、新天皇が着用する麁布(あらたえ)を作って貢納する役目を古くから担っている。
麁布とは要するに麻服のことであり、原料は麻である。麻は周知のように大麻ともいい、麻薬の原料にもなるから勝手に栽培することはできない。三木家では、むろん許可を受けたうえで前面の傾斜面を畑に当てている。貢納に対しては、宮内庁から多少の謝礼が出る。しかし、かかった費用にくらべれば、問題にならないほどの少額である。つまり、一方的な贈与に近い。三木家も寄付に応じた人びとも、それを承知で力を合わせたことになる。
新嘗祭ならば一年に一回である。そこに標準を合わせて、畑を耕し、麻を育て、麻糸をとって、布に仕立てることもできよう。
だが、大嘗祭は数十年に一回で、いつあるかも予測できない。一番最近は、平成天皇が即位した平成2年11月22日深夜から翌日未明にかけて行われている。26年前である。生前退位がいま話題となっているが、次の大嘗祭がいつになるか(不敬な話であるが)分からない。
伝承によれば、三木家はこの麻布の貢納を古代から行っているという。文献で確認できるのは、文保二年(1318年)、すなわち約700年前である! 三ツ木という地名、および三木という家名も「みつぎ」から来ていると推測される。
気の遠くなるような話ではないか。
何十年に一度の大嘗祭たった一日の折に天皇陛下が着る麻服の素材を、700年以上も貢いできたことを誇りとし、その伝統行為が家名に転じたほどの一族が、都からはるか遠く離れた徳島県の奥深い山間に暮らしているのだ。今も!
天皇制がいかに深く日本に入り込んでいるか、日本人の血肉となっているのかが伺えよう。(ただ、次の大嘗祭の折も麁布を献上するかどうかは未定らしい。過疎化、少子高齢化の波はこうした伝統行為も絶滅させるのだ。)
筒井の他の著書同様、本書で紹介されるのは日本史の表舞台には登場しない庶民の姿である。特に、たたら(製鉄)、マタギ(猟師)、綾子舞い(芸人)、神人(神社の雑役)といったいわゆる「被差別の民」が主役となっている。
教科書には載っていない。授業でも習わない。時代劇や大河ドラマでも詳しくは描かれない。しかし、日本の辺界に存在し、逞しくつましく賢く生きてきた人々の姿を知ることは、日本という国の奥深さを知り、日本庶民文化の豊穣を知り、日本人の多様性を知ることにつながる。それは、画一化・標準化・記号化しつつある現代日本人を解放する‘裏ワザ’のように思うのである。