ブックオフで他の本を探していたところ、なんとなく目に付いて、なんとなく気になって、手に取った。
日本古来のオカルティックな物語を集めた『日本霊異記』にはもともと関心はあったものの、読む機会がなかった。当然原文(漢文)では読めないし、漢文で書かれているものを現代語訳で読むのもなんだか味気ないという思いもあった。それに分量も多い。
なんとこれは漫画である。
オカルティックな話だけに漫画にはピッタリである。ウェブで人気に火がついた漫画家Ichidaの画風はいわゆる‘ヘタウマ’で、いにしえの説話を淡々と語るのに恰好な素朴さと、突き放した位置から対象を眺めるような冷淡さ(あるいはユーモア)がある。それぞれの説話漫画の最後には原典の書き下し文がついている。
オカルティックな話だけに漫画にはピッタリである。ウェブで人気に火がついた漫画家Ichidaの画風はいわゆる‘ヘタウマ’で、いにしえの説話を淡々と語るのに恰好な素朴さと、突き放した位置から対象を眺めるような冷淡さ(あるいはユーモア)がある。それぞれの説話漫画の最後には原典の書き下し文がついている。
カバーイラスト(つくし)と装丁(下平正則)のセンスも素晴らしい。
どうも本に呼ばれたようである。元価840円を260円で購入した。
正式には『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)と言う。
平安時代初期に書かれた日本最古の説話集で、上中下巻で計116話が収められている。
著者は奈良の薬師寺の僧、景戒(けいかい)。生没年不詳。出家はせず、妻子とともに半僧半俗の暮らしをしていたと言われる。
基本テーマは「因果応報」。善いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがあるという仏教の定番である。荒れる世の中を憂えた景戒は、この説話集を記すことにより、民衆に仏教を広め、良心を植え付けようと図ったのである。話の時代は奈良時代のものが多い。
祈はくば奇しき記を覧る者、邪を却りて正に入れ。諸の悪は作すことなかれ。諸の善は奉り行へ。(ねがわくは、あやしきふみをみるひと、よこしまなることをさりてただしきにいれ。もろもろのあしきことはなすことなかれ。もろもろのよろしきことはたてまつりおこなへ)
「蛇に犯された娘の話」とか「経を読む髑髏の話」とか「魚を食らう僧の話」とか「息子にフェ●チオした母親の話」とか、奇想天外でえげつない話のオンパレードで楽しく読めた。ここに紹介されているのは14話だけなのだが、もっと読んでみたいと思った。
読んでいて興味を起こされたことが二つある。
一つは、日本で仏教が庶民の間に浸透していく過程について。
高校時代に習ったところによれば、奈良時代までの仏教は「鎮護国家」のためにあった。国を守るためのものであり、天皇や貴族あたりには個人的に信仰されていても、民衆への仏教の布教は禁じられていた。そこに反旗を翻し、民衆に仏教を広めたのが行基(668-749)である。この『霊異記』にも行基の徳の高さや霊力の凄さ、人気のほどを称える話が出てくる。
だが、景戒が仏教を庶民に浸透させようという動機からこれを書いたとするなら、平安初期には現実的にはまだまだ仏教は民衆のものにはなっていなかったということを逆に示唆している。かつて行基という庶民派スーパースターがいて仏教が下々に説かれたこともあったけれど、それは一時の打ち上げ花火にすぎなかったという可能性はある。(そもそも、漢文で書かれた『霊異記』自体、庶民が手に取って読むとは到底思えない・・・)
平安時代の『枕草子』や『源氏物語』を読むと、明らかに貴族階級で仏教は深く浸透し、日常的に信仰されているのが伺える。末法思想や浄土信仰が背景にあったのだろう。では、庶民はどうだったか? 自宅に仏像を祀り日夜お経を唱えている庶民はいたのだろうか?
鎌倉時代になると、明らかに仏教は庶民の手に渡った。法然や親鸞や一遍や日蓮の登場である。以降つい最近まで、仏教が庶民の手から離れることはなかった。
奈良時代の行基から鎌倉仏教までの流れの中で、仏教はどのように庶民の間に広まり、どのように受け入れられ、どのように浸透していったか。
そのへんを調べてみたくなった。
もう一つは日本人の性に対する意識の変化について。
この漫画を読むと、奈良時代の日本人がおよそ性に対して、良く言えば‘大らかな’、悪く言えば‘奔放な’意識や行動を持っていたことが察しられる。貞操観念とか羞恥心とか罪悪感などとはどうも縁遠いように思われる。
某の夜閨の内に音有りて言はく「痛きかな」といふこと三遍なり。父母聞きて相談ひて曰はく「いま効はずして痛むなり」といひて、忍びてなほ寝。(そのよ、ねやのうちにこえありていはく「いたきかな」といふことみたびなり。ちちははききてあいかたらひていはく「いまならはずしていたむなり」といひて、しのびてなほぬ。)ソルティ訳 :その夜、初夜の娘夫婦の寝床から声がした。「痛い、痛い、痛い」。それを聞いた父母は「処女だから痛いのは仕方ないね」と言い合って、そっと寝入った。
神道の「産めよ増やせよ」を寿ぐ日本人の性意識に多大なる影響というか抑圧をもたらした最たるものは、やはり外来宗教であろう。仏教・儒教・キリスト教(西欧文化)といった相継いでやってきた三波がもたらした価値観が、子供のように天真爛漫な日本人の‘性’観念を、抑圧的で閉鎖的で差別的で息苦しいものにしてしまった--というソルティ仮説がある。もっとも典型的なのは同性愛(男色)に対する観念だろう。
日本人の性意識の変化における外来宗教の影響。
それもまた調べてみたくなった。
たかが漫画なれど、こうして次の探索テーマに向かう好奇心を生み出してくれる。
あなどれない。
霊異か。
霊異か。
お返事ありがとうございます!
ホントに人生って、おもしろいものですよね。
イラストを気に入っていただけて、ほんとに光栄です。
また展覧会などありましたら、ブログにて、お知らせいたします。
これからも、ソルティさんの独自の視点を楽しみにしております。