マーラー復活20161227


日時 2016年12月27日(火)18:30~
場所 東京芸術劇場コンサートホール(池袋)
指揮 山下一史 
演奏 学習院輔仁会音楽部
ソリスト 
髙橋絵理(ソプラノ)
中島郁子(メゾソプラノ) 
曲目  
  • J.ブラームス/「運命の歌」op.54 
  • G.マーラー/交響曲第2番ハ短調「復活」

 マーラー(1860‐1911)「復活」の自筆譜が11月29日、ロンドンのサザビーズのオークションにかけられ、楽譜としては史上最高値の455万ポンド(約6億3500万円)で落札されたというニュースが流れた。
 落札者の名前は公表されていないが、元の所有者はアメリカの実業家ギルバート・キャプランである。
 このキャプランの人生ほど「カッコいい!」ものはなかなかないと思う。
 
 キャプランは24歳のとき(1965年)、高名な指揮者レオポルド・ストコフスキーの「復活」リハーサルを見学して衝撃を受けた。その後、27歳で経済誌の創刊者として成功し財を築く。30歳過ぎてから大好きな「復活」を指揮するためにだけ、サー・ゲオルグ・ショルティについて一から指揮法を学び始める。むろん、それまでに音楽教育を受けたことはない。情熱と努力と現在ならオタクと言うにふさわしい‘復活’愛の甲斐あって、40代なかば、ついに指揮者としてデビューする。その後は世界中の著名なオーケストラと100回以上「復活」だけを演奏、録音も残している。
 
「復活」以外にはレパートリーも皆無であり、「復活」の指揮以外の音楽的キャリアもこれといって無い。しかし、「復活」に関しては世界的にも第一人者と目されている。中年以降に音楽以外の分野から転じて成功した指揮者、ただ一曲だけを振り続けた指揮者という、世界でもまず他に例のない珍しい特性を二つも兼ね備えた稀な存在である。1988年発売したロンドン交響楽団との演奏は、マーラー作品のCDとしては史上最高の売り上げを記録した。(ウィキペディア「ギルバート・キャプラン」より抜粋)

 ぬあんてカッコいい奴なんだ!
 まるで「復活」のために生まれてきたみたいな男だ。(キャプランは今年の元旦に亡くなっている)
 映画にしたら絶対に面白いと思う。(むろん、タイトルは「復活の人」、BGMは「復活」を中心とするマーラーメロディに決まっている)
 キャプランの創刊した経済誌はおそらく早晩消えゆくだろう。が、キャプランの録音した「復活」のレコード、および自費購入したマーラーの自筆譜をもとに自ら研究を重ねて校訂した、もっとも作曲家の意図に忠実な楽譜「キャプラン版」は、今後も世界のどこかで「復活」が上演される限り、残り続けるのは間違いない。
 
 さて、学習院輔仁会(ほじんかい)とはなんぞや?
 やんごとなき皇室の名前から拝借?

学生の間には運動関係団体のほか多くの小団体があった。そのため第4代三浦梧樓院長は学生全体を包括する組織の設立を勧め、その結果全学生の中心機関として学習院輔仁会が創設された。輔仁会の活動は明治22(1889)年より始まり、会全体の行事として輔仁会大会や陸上運動会があった。会の名は『論語』(顔淵篇)の「君子以文会友、以友輔仁」(君子は文をもって友を会し、友をもって仁をたすく)より選んだものである。(学習院ホームページより) 
 
 「君子は詩書礼楽の文をもって友達を集め、集めた友達によって仁の成長を助ける」
 
 学生による「復活」がどんなものか興味津々。
 というかソルティは‘ナマ復活’初めてであった。
 一曲目のブラームス「運命の歌」もはじめてだが、なによりも合唱の声の若さに感動した。
 世にこれより上手い合唱団はあまたあるだろうが、声の若さ・張り・純粋さという点で一頭地を抜いている。というのも、結局ドイツ語の、それもキリスト教がらみの歌詞なんて大多数の日本人は(ソルティ含む)深く理解できないのだから、表現力や発音の正確さよりも声の美しさやハーモニーのほうが大切なんである。(そもそもマーラーが歌曲集は別として、交響曲に付す歌詞にそれほど重点をおいていたようにはどうも思えないんだが・・・)
 
 休憩を挟んでいよいよ「復活」。
 まずは芸劇の広い舞台をびっしり埋め尽くすオケ&合唱団に圧倒される。
 オケだけで130人はいる。そこに100人は超える合唱隊が入る。舞台が抜けそうだ。
 こんな大編成を必要とする曲を作ったマーラーも凄いが、プロ指揮者やプロ歌手を含めて大編成をまかなってしまう輔仁会も凄い。さすが皇族御用達。
 そしてまた、ソプラノとメゾソプラノの声の美しいこと。とくに、メゾソプラノの中島郁子(二期会会員)の声と姿の存在感は半端ではない。舞台の中心にいて堂々たる歌唱をとどろかすさまは、五百羅漢の中心に千手観音がいるかのような神々しさであった。
 
 演奏は学生としては「ここまでできれば十分」といえるレベルで、立派であった。
 こんなに長くて(80分)、こんなに重くて、こんなに複雑で、こんなに壮大な曲をよくもまあここまで頑張ったと思う。それがなんとワンコイン(予約500円)なのだから、「ありがとう」と言うほかない。
 
 この「復活」、神(=偉大なる者)への讃歌しかも合唱付きという点で、ベートーヴェン「第九」の後釜として日本人の年末の恒例行事になり得るのではないか、といったことをどこかの音楽評論家だか指揮者だかが書いていた。各楽章のユニークな個性とか、最終楽章の感動的な盛り上がりとか、終演後に約束される絶対的幸福感とか、まさに「第九」に匹敵する祝典曲と言えよう。
 しかし、惜しむらくは長い。
 80分以上ある。
 特に、第1楽章(20分以上)と第5楽章(30分以上)が長すぎて、下手すると飽きてしまうか寝入ってしまいかねない。ここのところを各々10分ずつ削って、全体を60分以内に収めたら、十分「第九」に太刀打ちできると思うのだが・・・。いや、5分ずつでもいい。あるいは、1楽章と2楽章を削って、3楽章から演奏すれば60分以内で結構な満足が得られよう。(ああ、そうか。プログラムをこれ一曲にしぼって、2楽章と3楽章の間に20分の休憩を入れればいいのだ。後半が始まるときに合唱団が舞台に上がれるから丁度いい)
 今回、ソルティはこれを聴くために有給休暇を取った。仕事(介護)を終えたあとに参加することもできたのだが、たぶんそれだと肉体的・精神的に疲れきっているから、途中で寝てしまうのは確実と考えた。結果的に正解で、80分間、寝ることも飽きることもなく音楽に向き合えた。
 マーラーの交響曲を消化するにはそれなりの準備が要る。
 だが、準備さえできていれば、日常では味わえないような格別な感動と幸福が待っている。
 
 さて、今年は22個のアマオケコンサートに出かけ、たくさんの曲と出会った。
 クラシック音楽の広さと奥深さを垣間見て、これから先、カバーできないほどの名曲や名演奏との出会いが待っていると思うとワクワクする。
 年の終わりに、マーラーの人生、キャプランの人生に思いを馳せながら、最近できた年下の友人と「復活」を聴けたことは実に幸せであった。まさに「仁を輔く」だ。
 
 少なくともソルティは、「復活」を年末行事に組み込むことになりそうだ。