2015年河出書房新社。

日本語の「青」は、元来は墓地・葬地を意味する言葉だったといえば、ほとんどの人がまず眉に唾を塗ることだろう。・・・・・そんなことは、どんな辞書、事典を開いても載っておらず、ごく最近になるまで、それらしい指摘をした研究者は皆無だったからである。(本書より引用、以下同)

 言うまでもなく、ここで言うのは「青」という漢字表記のことではない。日本に漢字が入ってきたのは紀元後1世紀頃と考えられている(大修館書店「漢字文化資料館」より)。弥生時代中期である。「漢」王朝が紀元前206年‐紀元220年だから妥当な線だろう。
 「あお(blue)」という色も、それを指し示す「アオ」という音も、当然古代日本人は目で見て認識し、話し言葉として使っていたはずだ。「いつ」からかというのは難しい。縄文時代からなのか、弥生時代に入ってからなのか。日本語の起源に関わる問題である。
  ただし、「アオ」という音で示された色は、いまの青・蒼・藍・blueに限定されていなくて、「本来は黒と白との中間の範囲を示す広い色合いで、主に青、緑、藍をさし、時には、黒、白をもさした」そうである(小学館『日本国語大辞典』より)。確かに、現在でも「青」という言葉によって表現される事物は、「青信号」「青葉」「青馬」「青梅」「青蛙」「青田刈り」「青大将」「青海苔」などにみるようにblueとは限らない。むしろ緑系が多い気がする。

 これらから考えて、青は原義的には何かの色を指す言葉ではなく、「どちらにも属さない、中間の位置または状態」を意味していた可能性が強いように思われる。
 この推測が当たっているとすれば、アオ(古い表記では「アヲ」)とは元来、「あの世とこの世とのあいだ、境、中間」を指していたのではないか。そこはぼんやりと薄暗い、もしくは薄明るい世界だと意識されていたのではないか。その感じが、古代から今日までつづく色彩語としての青に反映しているのかもしれない。

 日本各地を旅しながら関心の赴くままに民俗研究を続け、『新・忘れられた日本人』『猿回し 被差別の民俗学』『忘れられた日本の村』などの好著をものしてきた筒井は、研究の途上で「青(アオ)」と「墓地・葬地」の関連を思うようになり、「青(アオ)」で始まる地名の分析を手がかりに系統的な研究に着手した。
 その成果が本書である。

 上記に挙げた他の著書――文学と民俗学と旅行記とミステリーの折衷のような味わい深いエッセイ――とは異なり、研究書の色合いが濃い。手法として、「青」で始まる土地(青山、青柳、青島、青木など)と、その土地にある古墳や古くからの葬地との相関を探っていくので、全般に証拠(=判断材料)の列挙というスタイルにならざるを得ないのは仕方あるまい。
 しかし、よく足を使って、よく調べたなあ~。
 相変わらずの筒井の探求心と勤勉さと行動力に感心する。こういうライフワークを持つ男は幸せである。

 一読した実感では、なるほど各地に今も残る「青(アオ)」地名と「墓地・葬地」の間には高い相関を指摘することができそうである。もっと両者のサンプルを増やして、統計学的処理――たとえば統制群(コントロール)も用意して「カイ2乗検定」をかける――と明瞭になるのだろうか?

 一つ考察がほしいと思ったのは、「青という言葉を、はっきり死または葬に関連して使ったと思われる例は、記紀万葉などの古代文献にはないようである」と筒井が述べているところだ。
 その理由はなんだろうか?
 筒井の推理どおりに、「アオ」が「死・他界」を意味する言葉として使われていたのならば、それがそのようには使われなくなった理由も知りたいところである。6世紀に入ってきた仏教の影響だけとするには、あまりに痕跡なさ過ぎと感じる。
 冠位十二階(604年制定)では「青」は「紫」につぐ高い位を与えられている。古代日本人が「死」のイメージを喚起したであろう色に、それほど高い位をすんなり与えるものだろうか?
 差別語の変遷に見るように、人の「感覚」を変えるのは「言葉」を変えるよりずっと難しいと思うのだ。 


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