2002年サンマーク出版発行。

 房総半島の旅の途上、鵜原海岸で出会った水口修成氏の本を読んで、氏の恩師である詩人・坂村真民を知った。
 いや、ベストセラーとなった真民の詩集は当然書店で目にしていたであろうし、新聞広告でも列車の中吊りでもその名前を見ていないわけがない。しかし、ソルティの関心の範疇には入ってこなかった。箴言風の言葉と味のある書のマッチングという、似たようなキャラを持つ相田みつをは知っているのに・・・。相田みつをが爆発的に売れて、相田があまり好きでないソルティはその「二番煎じ」といった誤解をもち真民を敬遠していたのかもしれない。
 
坂村真民(1909-2006)
本名昴(たかし)。熊本県出身。神宮皇學館卒業。1934年朝鮮に渡る。この頃は短歌をつくっていた。1946年愛媛県で国語教師をしながら詩作に励む。1962年より月刊『詩国』を創刊。砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、教員を辞め詩作一筋の生活に入る。詩はわかりやすく、小学生から財界人にまで愛された。癒しの詩人と言われる。(ウイキペディア「坂村真民」参照)

 本書は詩集ではなくて随筆である。
 坂村真民が自身の来し方をふりかえって、小さい頃の思い出、母親への尽きせぬ感謝と愛慕、青年時代の孤独、様々な人との縁、詩作に対する覚悟、自然への深い愛、そして何篇かの自作の解説など、あふれる思いそのままに熱く語っている。坂村真民という人の来歴や人となりを知るのに恰好の本である。自伝的随筆とでも言おうか。
 真民の熱くて子供のように純粋な語りを読んでいると、くだんの水口修成氏の面影と重なってくるから面白い。いかに修成氏が、高校時代の国語教師であった坂村真民の影響を強く受けたか、あるいは二人の気質が似通っているかが推察される。人との縁を大切にする生き方は、まさに師の衣鉢を継いでいるのだろう。

 97年に及ぶ長い生涯で、真民にもっとも深い影響を与えた人物は、母親をのぞくと次の二人である。
 一人は杉村春苔。尼さんである。名は知られていないが、非常に清らかで、徳高く、他人の病を癒す力を持った不思議な人だったらしい。真民は生き方に迷っていた青年時代に春苔尼(=仏教)と出会い、使徒パウロのように回心したのである。
 いま一人は一遍。時宗の開祖となった鎌倉時代の僧である。衣食住・家族のすべてを捨て、一人で全国行脚し念仏を勧めたことから「捨聖」と呼ばれている。真民は一遍の生き方を手本とした。
 本書ではこの二人に対するひとかたでない感謝と敬慕の念が綴られている。

 さて――。
 ソルティは先日図書館で一遍の伝記を借りてきた。これから読むところである。
 あの日海岸で水口修成氏に声をかけなかったら、坂村真民の本を手に取ることもなく、こうして一遍の本を借りることもなかった。
 そう思うと縁は不思議である。(本当は普段ことさら意識しないだけで、人の行いのすべては縁なのだけれど・・・。) 

 一遍は、自分をどこに連れて行くのだろうか?



念ずれば花ひらく

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
 
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

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