2014年ナチュラルスピリット社刊行。

 タイトルどおり生涯を瞑想に捧げた男の自叙伝である。
 これがまあ、面白い。まことに冒険家のように風変わりで破天荒で目まぐるしい半生が描き出されている。ここに書かれていることがすべて事実なら人生はジョークである。ギャグである。精神世界とはまったく無縁に生きてきて、一介のサラリーマンとしてこつこつ地道に働いて家族を養ってきた定年間際のお父さんが読んだら、憤死するかもしれない。茫然とするかもしれない。自らの人生に懐疑的になるやもしれない。いや、そもそも本書の内容が理解できず、最初の数ページで捨て去ることだろう。

 著者のボブ・フィックスは、若い頃から哲学や宗教に興味を持ち、大学生のときインドに行って修行したいという望みを持つ。教師や両親に反対されて、代替案として当時アメリカでブームを巻き起していたTM瞑想(超越瞑想)を学ぶことになる。

超越瞑想(Transcendental Meditation、略称:TM)は、インド人のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(1918-2008)によって1950年代に知られるようになった、ヒンドゥー教に由来するマントラ瞑想法である。この瞑想法では、毎日2回、マントラ(真言。静かに復唱する単語、音、または語句)を15~20分間心の中で唱えて、心を静め、徐々に神経活動を抑え、意識を深みに導くことで、開放された気づきの状態、最高の境地、純粋意識に達することを目的とする。(ウイキペディア『超越瞑想』より抜粋)

 TM瞑想によって‘悟り’を得たボブは、その後運命におのれを任せるように次から次へと新しい体験に挑むことになる。
 TMの教師として普及に貢献
  ⇒ 瞑想仲間らとテレビ局を立ち上げ成功させる
   ⇒ 原油ブローカーとして挫折
    ⇒ サラブレットの飼育と販売
     ⇒ 住宅ローンの販売
      ⇒ アセンデッド・マスターをチャネリングし始める
       ⇒ チェンマイ(タイ)でヒーリングの勉強
        ⇒ フルフィルメント瞑想の開発
         ⇒ 世界各地で瞑想法の伝授とヒーリング・・・。
 たびたび来日してワークショップや講演会も行っている。旺盛なるチャレンジ精神とフットワークの軽さはさすがアメリカンだなあと感心する。
 途中で気づいたが、ボブ・フィックスはニューエイジのバイブル的図書である『アセンション』(1994)の著者であった。90年代日本の世紀末スピリチュアルブームを山川紘矢・亜希子夫妻らと共に牽引した一人なのであった。
 
 上記のアセンデッド・マスターとは、過去に肉体を持って地上に生存し悟りを開き、昇天したあとは人類の成長を見守りサポートする役目を果たしている霊的指導者のことを言う(らしい)。有名どころでは、モーゼ、イエス・キリスト、聖母マリア、大天使ミカエル、ブッダ、孔子、サナート・クマラ、弥勒菩薩(マイトレーヤ)、サンジェルマン伯爵マザー・テレサなどの名が上げられるようだ。
 ジッドゥ・クリシュナムルティ少年が、神智学協会によってマイトレーヤの乗る器として見出され、英才教育を受け、「世界教師」という肩書きのチャネラーになることを期待されたことは、よく知られている。
 一方ボブは、サナート・クマラに特に強く庇護・指導されているようで、たびたびクマラをチャネリングしている。

 我々はこのチャネラー、ボブに、この覚醒のプロセスに手を貸し、地上に再び高等評議会を設立すべく、十四万四千名のマスターを集結させるよう依頼した。地球は破滅へ向かっている。この母なる大地のカルマを取り除くために手を打たなければ、地球は自らの猛烈な変化によって破壊されるであろう。すぐに手を打たなければ、激しい地震や火山爆発、津波、そして深刻な被害をもたらす嵐を経験することになろう。アセンデッド・マスターは誰もそのようなことを望んでいない。あなたがたひとりひとりが目醒め、自らの悟りの叡智を手にすれば、そのすべてを回避できる。今こそ惑星地球に悟りの時代を創造するときなのだ!(サマート・クマラのメッセージ)

 サナート・クマラは、日本は世界中が追従するような悟りの見本になると、多くの人々に告げている。日本は、地球の世界各国を悟りに導けるようなリーダーとなる。そして、あらゆる文化の人々を導き、彼らが人間として最高の理想を生きて、享受しうる可能性を余すところなく楽しめるような世界をつくっていく。

 ちなみにこのサナート・クマラはかつて金星人だったらしく、250万年前に地上に降り立った。その聖なる地が京都の鞍馬山だそうである。そういうわけで、日本はボブにとって非常に重要な意味を持つ国であるらしい。(確かに鞍馬寺にある魔王殿は650万年前に金星から護法魔王尊が地球に降り立ったという伝承がある。その誤差400万年・・・)

魔王殿
鞍馬寺奥の院・魔王殿


 これまで読んだ‘ナチュスピ’の本――トニー・パーソンズ富平正文ジェニファー・マシューズ――とはちょっと(大分?)毛色が異なっている。
 ソルティの主観だが、TM瞑想まではまだ常識人の理解範囲にあるが、チャネリングを始めたあたりから何だか‘あらぬ方向にイっちゃった’という感じがする。でも、ボブ当人にしてみれば、そこからがむしろ「この世において自分がやるべき使命の発現」なのだろう。

 なんだかよくわからない。
 毎日ヴィパッサナ瞑想を実践し休日には初期仏教の法話をいそいそと聞きに行くソルティもまた、世間から見れば「イっちゃった人」の範疇に容易に入るのかもしれないし・・・・。
 人それぞれである。
 ただ、悟りへの道にはオウム(=魔境)という落とし穴があることだけは、日本人なら肝に銘じなければなるまい。

一切を懐疑し、かくして懐疑の苦悩から確信が生まれ出るようにしなければならない。自分が疲れていたり、あるいは不幸であるときにのみ懐疑してはならない――それは誰にでもできることだ。恍惚の瞬間に懐疑を招き寄せよ。なぜなら、そのとき残るもののうちに、真なるものと偽りなるものとを発見することであろうから。(ルネ・フェレ著『クリシュナムルティ・懐疑の炎』、瞑想社発行) 

 最終的にクリシュナムルティは、マイトレーヤの乗り物になることを拒絶したのであった。