1955年日本・イタリア合同制作。

音楽 ジャコモ・プッチーニ
指揮 オリヴェエロ・デ・ファブリーティス
演奏 ローマ・オペラ座管弦楽団
脚本 カルミネ・ガッローネ、森岩雄
撮影 クロード・ルノワール
美術 三林亮太郎、マーリオ・ガルブリア
協力 宝塚歌劇団
配役
  • 蝶々さん : 八千草薫(歌:オリエッタ・モスクッチ)
  • ピンカートン : ニコラ・フィラクリーデ(歌:ジュゼッペ・カンポラ)
  • スズキ : 田中路子(歌:アンナ・マリア・カナーリ)
  • シャープレス : フェルナンド・リドンニ(歌:フェルナンド・リドンニ)
  • ヤマドリ : 中村哲
  • ゴロー : 高木清
  • ボンゾ : 小杉義男
  • ケイト : ジョセフィーネ・コリー
  • 芸者 : 淀かほる、寿美花代、鳳八千代ほか
 

 八千草薫の蝶々夫人は、まさにオペラファンが理想に描く蝶々夫人そのものである。
 撮影当時23歳。清純で楚々とした雰囲気は十代の舞妓として十分通用する。立ち居振る舞いは優美で初々しく、表情には初めての恋に身を捧げる武家の娘らしい一途さ、毅然さが宿る。でありながら、これ以上ないほど可愛らしい。ピンカートンやヤマドリでなくとも、たいていの男は彼女を前にしてメロメロになってしまうだろう。

 歌は当然ながらクチパクで、本職のソプラノ歌手であるオリエッタ・モスクッチが歌っている。残念ながら出来はあまり良くない。まあ、歌が良すぎるとそっちに気をとられて映像を見るのが疎かになるから、バランス的にこれくらいがいいのかもしれない。

 外国人の手による『蝶々夫人』の演出は、日本人から見るとゲンナリしてしまうことが多い。中国と日本のごった煮になっていたり、着物の着方や立ち振る舞いが下品であったり、武士と坊主と歌舞伎役者の違いが分かっていなかったり・・・・。必ずしも写実主義がリアリティをもたらすとは限らないものの、あまりに考証が無茶苦茶だと、「この演出家は日本人を馬鹿にしているんじゃないか」と自然思ってしまうのだ。(ジャン・ピエール・ポネル演出の白塗りのミレッラ・フレーニが最たるもの。これを許したカラヤンを憎らしく思うほど)
 日本の伝統的事物や文化を自家薬籠中のものとなるほど消化吸収し、意図的に使うことで新たな効果を生み出すアンソニー・ミンゲラ演出まで行けば文句の言いようもないのだが、そこまでのものはなかなかお目にかかれない。きっと、『アイーダ』を観るエジプト人や『トゥーランドット』を観る中国人も、同じことを思うのだろう。

 この映画の美術・セット・演出は、まったく違和感なく明治時代の日本(長崎)である。日伊合同制作でスタッフに日本人が大勢加わっているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
 まぎれもない日本風景の中の、まぎれもない大和撫子の純情可憐な蝶々さん。
 それを表現したところにこの映画の一番の価値はある。

 往年の宝塚トップスターである淀かほる、寿美花代、鳳八千代が芸者役として出演しているのが思わぬボーナスであるが、八千草薫の初々しさばかりに目が行き、どこに出ているか分からなかった。


 ※香醇・・・・・中国語で、さわやかで混じりけがないの意。