蝶々夫人


日時 2017年8月13日(日)15:00~
会場 サンパール荒川(大ホール)・東京都荒川区
指揮 小崎 雅弘
演出 澤田 康子 
キャスト
  • 蝶々夫人…………西本真子
  • ピンカートン……田代誠
  • スズキ……………杣友恵子
  • シャープレス……福山出
  • ゴロー……………横山慎吾
  • ボンゾ……………志村文彦
  • ヤマドリ…………星田裕治
  • ケート……………杉山由紀
  • 神官………………笹倉直也
管弦楽 荒川区民交響楽団
合唱 荒川オペラ合唱団

 区民オペラというものがはたして荒川区以外のところでもやっているのかどうかよく知らないのだが、第18回を迎える荒川区民オペラこそ、区民オペラあるいは市民オペラの代表格の一つと言っていいのだろう。いまや荒川区の夏の風物詩といったイメージすらある。
 しかし、ソルティは今回初めての鑑賞であった。
 やっていたことは数年前から知っていたのだが、市民オペラに対する軽侮というか一抹の不安というのを持っていたのである。
 オペラという総合芸術はとっても繊細なもので、歌手かつ演者、合唱、指揮&演奏、演出、美術、舞台装置、裏方、字幕(日本語訳)、そして観客――のどれか一つが足を引っ張ると、すべてが台無しになってしまう可能性をはらんでいる。トランプカードでつくる城のようなものだ。これらの要素がある一定以上の水準を揃ってキープしてこそ、オペラならではの輝きは放たれる。素人混じりのスタッフにそこまで望めるだろうかという不安があった。
 そしてまた、荒川区民には失礼な話だが「荒川区?」というイメージもあった。
 なんてったって荒川区と言えば『3年B組金八先生』の舞台(ロケ地)である。武田鉄也である。三又又三である。東京最後のチンチン電車が走る庶民の町である。オペラとはなかなか結びつかないのも無理ないではないか。(本当はオペラってそんな高尚なものでも難解なものでもないのだが・・・)
 

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 結果から言えば、まったく杞憂であった。
 それどころか、率直に言って、二期会や藤原歌劇団のようなプロのオペラ団体の公演や、あるいは海外の名のあるオペラ劇場の来日公演と比してもそれほど遜色ない、素晴らしい、感動的な『蝶々夫人』であったことを明言する。このオペラをライブ及びVHSやDVDも含め数十回観ているソルティにして、「これまで観た中でもかなり上位」と思わせる、期待を大きく上回る出来であった。
 これでA席3500円はお得である。
 市民オペラを侮ってはいけない。

 成功の最大要因は、間違いなくタイトルロール(主役)をつとめた西本真子に帰せられよう。ソルティの理想的な‘蝶々夫人’に近かった。
 なによりも声の魅力。楽々と高音が抜ける。第1幕の夢のように美しい登場シーンを締める最後の3点変ニ音(女性音域の高い‘レ’のオクターブ上の‘レ’のフラット)が無理なく、かなりの長さを保って、美しく伸びやかに出る。これでまずぶったまげた。
 レナータ・テバルティや林康子など、この音を回避する名ソプラノだって少なくないのだ。フィオレンツァ・チェドリンスはアレーナ・ディ・ヴェローナの『蝶々夫人』ライブでこの音を見事に決めているが、途中で途切れないか、声が引っくり返らないか、ちょっとハラハラする感覚を伴ったチャレンジである。
 西本真子は若さも手伝ってと思うが、喉に力みのないスムーズな発声をもって会場全体に美しく響かせた。その声は、水琴窟のような透明感あるヴァイブレーションを伴った響きである。第2幕第2場の子守唄「可愛い坊や、お前は神様と一緒、私は悲しみと一緒。お前には金のお星様をあげましょう」では、歌いながら舞台から姿を消した後の最高音も実に確実に、実に感動的に決めていた。曲中随一の名アリア『ある晴れた日』の素晴らしさは言わずもがな。この二つの最高音と『ある晴れた日』だけでも、ソルティ的には満足といって良いものであった。
 しかも、声のみならず演技も巧みであった。体格や顔立ちが十代の蝶々夫人に扮するにあつらえ向きだということもあるが、着物を着た際の所作や、少女(生娘)らしい或いは母親らしい身のこなし、音楽に合わせた無駄のない動きも優美であった。なによりもこの人は天性の舞台感覚を持っていると思う。つまり、自分が舞台のどこにどのように位置していて客席からどのように見えるかを、計算でもなく、演出家の指示にただ機械的に従っているのでもなく、肉体感覚として把握しているように感じられた。だから、観客は自然この人を目で追ってしまうことになる。主役たるべく生れてきた人かも。
 一つだけ難を言えば、高音域はよく響くが、低・中音域はやや弱い。サンパール荒川くらいの広さなら問題ないが、もっと広い劇場だと声が通らない可能性がある。と言って、声楽的に(あるいは体型的に)どう改良すればいいのか、ソルティには分からないが・・・。
 ともあれ、この人のバタフライなら、機会あればまた聞きたい。

 歌手では他にシャープレスを歌ったバリトンの福山出(いずる)とスズキ役のメゾ・ソプラノ杣友(そまとも)恵子が良かった。福山は掲載写真を見るとまだ若いようだが、人生を知り尽くしたシャープレスの思慮深さと、悲劇に終わることを予測しながら若いピンカートンの情熱と無謀を止められないでいる老年者の羨望と苦さとを滲ませていた。また、第2幕のスズキと蝶々夫人の「花の二重唱」は、二人の呼吸も音量もピッタリ合って、全幕一番の聴きどころと思えるほど強い磁力を放射していた。

 演出は普通で可もなく不可もなく。大人数のエキストラが登場するところでの人の捌き方にもう一つ工夫というか配慮がほしい。舞台上を‘移動するためだけに移動している’といったような心理的裏づけのない動きが目に付いた。
 一方、「やはり蝶々夫人は日本人の演出家が一番」と思わされたシーンがあった。それは、スズキが沓脱石(くつぬぎいし)の草履の向きをかがんで整えるシーンである。これこそ日本人らしさの粋である。(昨今の若者はこの礼儀作法を知っているだろうか?) この細やかなリアリティあって、「夫に一生を捧げる日本女性に見舞った悲劇」という全体のドラマが生きてくるのである。

 荒川区民交響楽団の演奏は、もちろん技巧的にはプロには到底及ばないけれど、ドラマ性は十分醸し出していた。指揮の小崎雅弘もドラマツルギーに関する感性の豊かさを示した。とくに、第2幕以降のサスペンスの盛り上げが上手く、後半グイグイと引き込まれた。

 カーテンコールでは盛大の拍手と「ブラボー」の嵐。
 これだけ高水準のオペラが区民の手で成し遂げられるとは!
 最近アマオケ巡りをするようになって感じていることだが、クラシック音楽に対する日本人の理解度や演奏技術や表現力って、国際的に見て相当ハイレベルなのではないか。バブル時代の贅沢きわまるクラシックブームは「‘にわか成金族’の見栄がもたらした付け焼刃に過ぎない」とずっと思っていたのだが、あれはあれで市民の目や耳を肥ゆらせるのに役立ったのかもしれない。

 荒川区民オペラの来年の演目は、ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』だそうである。
 きっと行くことになるだろうなあ・・・。
 もっと早く行っとけば良かった。
 この、バカチンがぁ!

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追伸 : 『金八先生』の舞台は荒川区ではなく足立区だという指摘をいただいた。調べたらその通りである。リアルタイムで観ていた十代の昔から「荒川区」という思い込みがあった。しょっちゅう荒川土手シーンが出てくるからという単純な理由からであろう。まあ、下町という点では変わりはない。