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 朝倉文夫という名前を聞いてすぐにピンと来る人は少ないかもしれない。
 大正から昭和にかけて活躍した写実主義の彫刻家である。
 代表的な作品にトルストイ似の知り合いの老人をモデルにした『墓守』というのがあるが、おそらく最もよく知られていて、聞けば「ああ、あれか」と頷く人が多いであろう作品は、早稲田大学キャンパスに建っている大隈重信像であろう。
 
 朝倉文夫のアトリエ兼自宅は台東区の谷中にあった。
 戦災を免れ、没後遺族が朝倉彫塑館として公開していたのを1986年に台東区が管理するようになった。2008年には建物を含む敷地全体が国の名勝に指定された。つまり、朝倉の設計になる建物全体がまるまる一個の作品なのである。


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 朝倉は猫が大好きで、多い時で19匹飼っていたという。
 亡くなった年(1964年)に開催された東京オリンピックのために、彼は『猫百態』という展示会を企画し、それに向けてたくさんの猫の像を彫っていた。
 今回の展示はまさに朝倉が生前果たせなかった『猫百態』の実現なのである。
 実を申せば朝倉文夫と聞いてもピンと来なかったソルティであるが、大の猫好きゆえ、街でポスターを目にした日から気になって仕方なかった。
 秋晴れの一日、山手線・日暮里駅で降りて、下町情緒の色濃く残る谷中へと足を踏み入れた。



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ポスター
猫を飼ったことある人ならお馴染みのポーズの数々に
朝倉の写実力の手腕を讃嘆せずにはおられまい



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日暮里駅西口から歩いて5分


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朝倉彫塑館の裏手に谷中の墓地が広がっている


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つくだに屋
このあたりは昔ながらのお店が多く、歩いて楽しい


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入館料500円
休日のせいもあり結構人が入っていた(猫好きにはたまらんだろう)


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入口にある青年像
お釈迦さまの生誕「天上天下唯我独尊」をモチーフにしているとのこと
まったくどこに行ってもお釈迦様


 館内は撮影禁止なのでここでお見せできないが、実に素晴らしいアトリエ兼住宅である。
 コンクリート造りのモダンで明るい3階建てのアトリエ棟と、数寄屋風の落ち着いた2階建ての住居棟が組み合わさって、水を湛えた中庭を東西南北四方から囲んでいる。十二分に贅と工夫は凝らしてあるけれど、自然風景と一体になっているので華美な感じも人工的で冷たい感じもまったくない。
 端的にわかりやすく言えば、「猫がくつろげる空間」である。

 特に見事なのが中庭。
 建物でつくる四辺いっぱいまで水を入れた池に、巨石やもみじなどの木々をあしらった放胆磊落なデザイン。一見なんてことはないのだが、これが順路に従って館内を巡るにつれ、見る角度によって面白いように表情を変えていく。東西南北四方から、また1階、2階、3階と異なった高さから、同じ庭が違った顔を見せる。それはあたかも3D映像のようである。
 彫刻家である朝倉の立体感覚の天才ぶりが結実している作品といえよう。
 もみじが色づく頃はきっと、より鮮やかで魔術的な景観となるはずだ。


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住宅棟の玄関
切り取られた窓を通して見える庭の一部が絵のよう


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屋上
朝倉はここで家族や弟子たちと菜園をやっていた
土にじかに触って自然から学ぶことが大切だと考えていた



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2017年の屋上からの風景
朝倉が最期に見た昭和30年代の景色とはどれほど変わっていることか


 
 また、来よう。
 猫になるために。


P.S. 建物のどこかの雨樋に朝倉オリジナルのブリキの蝶々が憩っている。これを見つけた人には幸運が訪れるとか。