2016年彩図社発行。

 別記事で取り上げた『ぼくはアスペルガー症候群』の姉妹編というか兄弟編。
 特異な障害を持つ当事者の体験談である。

 著者の筒美は現役の高校教師。30歳を過ぎてから強迫性障害を発症し、日常生活に悪影響を及ぼす厄介な症状に悩まされてきた。プロフィールに生年は書かれていないが、共通一次受験世代(1979‐1989)というから現在40代後半にはなっているだろう。

 「後で客観的に考えてみると、ほとんど心配する必要のないことを心配したりこだわったりしているのに、いざその時になると困った心理状態になってしまいおかしな行動を繰り返す」というのが強迫性障害の症状の特徴です。
 普通の人がちょっと2~3回やればすむような行動を何度も何度も繰り返すのが、この病気の患者の変なところです。(本書より)


 よく知られている症状に、洗浄強迫(頻繁に手を洗ってしまう)、確認強迫(何回も戸締りや火の元を確認してしまう)、縁起恐怖(数に異常にこだわり縁起をかつぐ)というのがある。ちょっと神経質な人ならこうした行動は多かれ少なかれ思い当たると思うが、それが頭にこびりついて離れなくなり強迫観念となると、自分でも「変だ、ばかげている、不合理だ」とわかっていても止められなくなってしまう。
 「物を溜め込んで捨てられない」収集強迫というのもタイプの一つとしてあるそうで、いわゆる‘ゴミ屋敷’の住人なんかは強迫性障害という観点から解釈できる部分もあるのかもしれない。
 著者の場合、確認強迫の症状に悩まされたそうである。

 授業をしていても、黒板に字を書くとそれが正しいかどうか何度も確認してしまい、そのためどうしても、スピード感に乏しいだるい授業になってしまって、生徒の評判はさんざんでした。

 トイレで、おしりをふくのにも時間がかかっていました。紙にまったく何もつかなくなるまで何度も何度もふいてしまうので、毎回すごい量の紙を消費していました。


 本書では、高校教師だった著者が強迫性障害の症状を日常的に発するようになってから、教員を辞めて医者に行ったところで「強迫性障害」と診断を受け、病識を持つようになり、症状に振り回されながらもいろいろな治療法を試し、いろいろな職業を転々し、最終的に病気とどうにか付きあっていく方策を身につけて高校教師にカムバックするところまでを記している。その点で、本書は闘病記であると同時に一青年の人生の模索を描いたビルディングスロマンのような風情もある。
 まあ、なべて闘病記というものはそういうものなのかもしれない。病は人を成長させる(こともある)。

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 著者の試した治療法とは、薬物療法、行動療法、森田療法、フォーカシング、環境調整などである。その間著者が携わった職業は、書店経営、塾の講師、学校の警備員などである。最も著者が影響を受け治療の役に立ったとして挙げているのは、同じ強迫性障害の患者だった人が書いた『実体験に基づく強迫性障害克服の鉄則35』(田村浩二著)だという。筒美によるとその中味は、「森田療法と認知行動療法の中から患者である田村自身が役に立った考え方・方法を抜き出したようなもの」らしい。やはり同じ苦しみを背負う患者ならではのPeerな視点や言葉、そして病を克服した先輩モデルのもたらすエンパワメントは、いかなる医者や施療家の力にも勝るのであろう。
 強迫性障害とはどんなものなのか、当事者はどういった悩みや不安を抱えているか、どんな治療法があるのか、といったことを学ぶには格好の本である。

 一方で、読みながらずっと感じていたのは、「なんかノンキだなあ~」という思いであった。文章から受ける印象がノンキなこともある――著者の元来の性格なのか、ソルティ含む共通一次世代の特徴なのか――のだが、おそらく強迫性障害という病気の持つ特性から来ているのだろう。
 つまり、天下国家には憂慮すべき重大な事柄がいっぱいあるというのに、また個人の日常生活の中にも仕事や家庭の問題や人間関係の苦労など日々いろいろあるというのに、強迫性障害の患者ときたら「ドアの鍵を閉めていないかも?」とか「テスト用紙のちょっとした汚れが気になって何度も刷りなおす」とか「昼飯のときにはがしたコンビニのおにぎりのビニールの枚数が足りなくて、人の話もうわの空」とか、超個人的なくだらないことで悩んでいるわけである。
 むろん、当人にとっては「くだらない」どころか、それこそ命に関るような一大事なのであろう。当人も客観的には「おかしい、ナンセンス」と思っていても、自分ではどうにもならないがゆえの病気なのである。当事者の苦しみは事実であり、なんら責められるべきことではない。
 ただ、「憲法改正されて戦争できる国になるかもしれない」「若者が徴兵される時代が来るかもしれない」「福島原発事故が忘れ去られて原発推進が既定路線となるかもしれない」「福島の子供達に将来甚大な健康被害が発生するかもしれない」「共謀罪や特定秘密法が悪用されて、基本的人権がないがしろにされるかもしれない」「社会保障費不足で医療や介護や年金制度は破綻するかもしれない」・・・・・・等々、考えれば考えるほど暗い気分になりそうな案件がこの国には山積みだという時に、玄関のドアに鍵をかけたかどうか気になって5回も6回も戻るような行為が相対的に「のんき」に見えてしまうのは仕方あるまい。

 強迫性障害とは関係ないが、名作『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)に出てくる一場面を思い出した。
 主人公スカーレット・オハラと友人メラニーは、南北戦争の激戦地となったアトランタから身ひとつで逃げる。火の手はすぐそこまで迫っている。万難を排し二人を助けに来てくれたレッド・バトラーに向かって、スカーレットはこう言う。
「待って。玄関の鍵を閉めてこなかったわ!」