日時 2017年10月28日(土)14:00~
会場 ティアラこうとう大ホール(東京都江東区)
曲目
 ワーグナー/楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」
 マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調
指揮 太田 弦

フルトヴェングラー 001


 音楽好きなら誰でも「人生最大のレコード体験」というのを持っていると思う。生演奏によるライブ体験とは別に、自宅でレコードやCDを聴いて人生観や音楽観が変わるほどの衝撃を受け、以降音楽に(そのジャンルに、その演奏家に、その歌手に)のめり込むようになった体験のことである。
 ソルティの場合、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』がまさにそれだった。
 CDプレイヤーが世に出回るようになってまだそれほど経っていない、20代半ば頃である。ヴェルディ『トロヴァトーレ』との出会いからオペラを聴くようになり、しばらくはヴェルディやプッチーニやベッリーニやドニゼッティなどのイタリアオペラを追っていた。ドイツオペラはモーツァルトくらいだった。なによりマリア・カラスに夢中だった。
 それがようやく落ち着いて、「そろそろワーグナーにチャレンジしようか」と思い、手はじめに秋葉原の石丸電気レコードセンター(今はもう無い)で購入したのが、東芝EMI発売1952年ロンドン録音のフルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』全曲であった。共演はフィルハーモニア管弦楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団である。


フルトヴェングラー 003

 
 購入したその夜、おもむろに聴きはじめた瞬間から全曲終了までの約4時間、ソルティは当時住んでいた板橋の1Kの安アパートから、どこか上のほうにある別の場所に運び去られていた。次から次へと潮のように押し寄せる半音階的和声の攻撃と、うねるように昇り詰めていく螺旋状のメロディに、上等の白ワインを飲んだかのごとく酩酊した。音楽というものが、あるいはオペラというものが、「麻薬であり、媚薬であり、劇薬である」ととことん知った。男でもこれほど長時間のオルガズムを経験できるのだ、とはじめて知った記念日(?)でもある。
 歌手がまた凄かった。
 イゾルデは20世紀最大のワーグナーソプラノであるキルステン・フラグスタート。同CD付属の解説書によると、

 1935年メトロポリタン歌劇場で『ワルキューレ』の練習に際して、彼女が歌いはじめたその瞬間、その歌唱のあまりのすばらしさに指揮者は驚嘆のあまりバトンを落としてしまい、ジークムント役の歌手は茫然として自分の出を忘れてしまった程であった。

 これはまったく誇張でも粉飾でもない。ヴォリューム(声量)といい、輝きといい、鋼のごとき力強さといい、人間が持ち得る最も偉大な声であるのは間違いない。20世紀どころか今のところ人類史上ではなかろうか。
 トリスタンはルートヴィッヒ・ズートハウス。これもフラグスタートの相手役として遜色ない素晴らしい歌唱である。
 フルトヴェングラーはベルリン・フィル共演のベートーヴェン交響曲3番『英雄』、5番『運命』、9番『合唱付』など伝説的名演を数多く残しているが、それらの多くは1940年代のライブ録音ゆえ、音質の悪さも否定できない。名歌手を揃えたスタジオ録音のこのレコードこそが、後代のクラシックファンが聴けるフルトヴェングラー生涯最高の名演奏と言えるのではなかろうか。
 実をいうと、ソルティはこのCDを上記の一回しか聴いていない。その体験があまりに衝撃的で素晴らしかったので、もう一度聞いてそれ以下の感動だったらと思うと、怖くて聴けないのである。CDはケースに入ったまま今もレコード棚の奥のほうに並んでいる。こんなお蔵入りもある。

 さて、OB交響楽団の今回のテーマは、ずばり「愛」である。
 人類最高の恋愛物語の一つである『トリスタンとイゾルデ』は言うまでもないが、マーラーの5番も「アルマ交響曲」と名付けてもいいくらい、結婚したばかりの美しき妻の影響下に作曲されている。別記事でソルティは「男の性」がテーマと解釈した。
 まあ、なんと淫猥にして危険なラインナップであろうか。本来ならこういう演奏会こそ猥褻規定に引っかかるものなのだろう・・・(笑)
 指揮の太田弦(おおたげん)は1994年生まれの20代。舞台に登場した姿はまだあどけなさの残るのび太似のお坊ちゃん。オケの大半のメンバーの孫世代ではなかろうか。すでに日フィルや読響を指揮しているというから、才能の高さはその道のプロに認められているということか。OB交響楽団のようなベテラン&壮年オケがこういう勢いある若手と組むことを大いに評価したい。新しいものとの出会いこそが音楽を活性化する。
 
 出だしからOBのうまさが光る。独奏も合奏も安定している。よく練れている。太田の指揮は、繊細さと精密さが身上と思われる。ゴブラン織りのタペストリーのような、あるいは工学的技術の粋を集めた精密機械を連想した。

タペストリー


 と、分析できたのも最初のうち。1曲目『トリスタンとイゾルデ』の後半の「愛の死」から、舞台から放たれた音の矢がソルティの胸を直撃し、アナーハタチャクラが疼きだした。自分では曲を聴きながら、過去のいかなる甘いor苦い恋愛体験も感情的ドラマも思い出しても連想しても反芻してもいなかったので、まったく不意を突かれた。純粋に音の波動が、聴診器のようにこちらの体をスキャンして、必要なポイントを探り当てて掘削開始したように思われた。
「あらら?こりゃ不思議」と思っているうちに休憩時間。 

 2曲目マーラー5番。OBとマーラーの相性の良さを再認識。若いオケではここまでスラブ的粘っこさをうまく表現できないだろう。独奏もみな上手い。
 第2楽章の終結から今度は股間のムーラダーラチャクラがうごめきだした。くすぐったいような、気持ちいいような変な感触である。第3楽章に入ると、それが背筋を伝って這い上がり、首の後ろをちょっとした痛みを伴って通過して、頭頂に達した。ぼわんとあたたかな光を感じる。ホール内のルックス(照明)が上がった気がした。耽美的な第4楽章に入ると、光は眉間のアージュニャーチャクラ、いわゆる第三の目にしばらく点滅しつつ憩っていたが、最終楽章でスッと体の前面を下に降りた。華やかなクライマックスではオールチャクラ全開となった。
 体中の凝りがほぐれ、気の通りが良くなって、活気がよみがえった。
 終演後、最寄り駅に向かっていたら、ひさかた忘れていた“ムラムラ君”に襲われた。どうにもこうにも落ち着かないので途中の公園で瞑想すること40分。ムラムラ君は何かに変容したようである。
 やっぱり、音楽は麻薬だ。

ムラムラ君

ムラムラ君