2017年アメリカ

 昔友人の家に居候していたとき、猫が2匹いた。1匹はオスで名前はスポック、もう一匹はメスで名前はレイチェル。いかに友人がSF好きか分かろうものである。むろん、レイチェルは1982年制作の『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)に登場する、主役リック・デッカード(=ハリソン・フォード)に愛されるレプリカント(人造人間)である。

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 今回の映画は前作の30年後を描いた続編であり、前作の主演ハリソン・フォードが引き続き同じ役で出演、前作の監督リドリー・スコットは製作総指揮を務めている。今回の主演はライアン・ゴズリングである。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴはこのブログでも紹介した『灼熱の魂』(2010年)で骨太の家庭悲劇を描いている。この点は、今回の映画においても非常に大きな意味を持っている。 
 
 『ブレードランナー』は好きな映画であり数回観ている。だがなにぶん数十年前のことで、どんな話だったかよく覚えていないし、未来社会の世界観を理解するのはなかなか困難なのは確かなので、今回観るにあたってウィキペディアで前作のあらすじをさらっておいた。
 これは正解であった。おかげで内容的にそれほど理解困難ということがなかった。『ブレードランナー』を観ていない人がいきなり今作に触れたら、かなり面食らうだろう。描かれている未来社会に関する説明は、観る者が当然知っておくべき前提として最小限に抑えられているからである。予習が必要な映画であるのは間違いない。
 
 CG技術、撮影技術、音響効果は前作同様に、あるいは前作以上に素晴らしい。巨大スクリーン、サラウンドシステムで観るだけの価値は十分にある。とくに身体の内部まで響いて生理的影響をもたらす音響の威力は凄まじい。
 前作でもっとも日本人観客の関心を引いた未来都市のダウンタウンの描写が今回もサービスショットと言わんばかりに挿入されている。前回は「強力わかもと」の看板が目立ったが、今回は「SONY」の看板が目立っている。配給にソニー・ピクチャーズが関わっているせいであろう。
 今回とりわけ効果的に活用されているのは、ホログラムによる3次元映像である。主人公のレプリカントKの恋人は2次元ならぬ3次元の仮想女性であり、実物の人間と映像的に合成してSEXさえ提供できる。ダウンタウンの風俗業の広告にも裸の女性の巨大なホログラムが使用され、立体的でエロティックな動きは悩殺ものである。ほかにも、往年のスター歌手エルヴィス・プレスリーやフランク・シナトラのホログラムが登場する。このあたりの光学&工学技術はもうちょっとしたら汎用化するのではなかろうか。
 
 さて、肝心の物語であるが、これがまあSF100%の外見とは裏腹に見事なまでに古典的なのである。最先端のSFの意匠を拭い去れば、そこにあるのは「青年の父親探し=自分探しの物語」なのであった。古代ギリシア神話以来の、およびキリスト教誕生以来の、西洋説話のお家芸である。近代においてはフロイトによって「エディプス・コンプレックス」として定義づけられ普遍化したものである。

 主人公K(=ライアン・ゴズリング)はレプリカントとして周囲の人間達から日夜「Skin job(人間もどき)」と侮蔑を受け差別されながら、旧型レプリカントを見つけて始末するブレードランナーの仕事をしている。それが、上司の命令で30年前に亡くなった女性レプリカント、レイチェルの遺児(!?)の行方を追ううちに、驚愕の事実にぶちあたる。自分こそはレイチェルの生んだ子供であり、自分の父親はほかならぬ伝説のブレードランナー、リック・デッカード(=ハリソン・フォード)ではないか。つまり、自分は人造人間ではなく、人間(父親)とレプリカント(母親)の間に生まれた突然変異(奇跡)なのではないか、と。
 戸惑いと期待を胸に、Kは父親探しの旅に出る。それは同時に、自らが魂を持つ人間であることの証明を得る旅でもある。
 自分探しの旅。
 これほど現代人にふさわしい題材もないではないか。
 
 結末はここでは記すまい。

 鑑賞後のソルティの一番の問いは、「なぜそうまでして人間になりたいのであろう?」であった。
 むろん、生殖・繁殖能力を持たず、創造主である人間に支配され、生殺与奪の権をほしいままに行使され、差別や軽蔑を受けるレプリカントの立場は、悲惨で過酷なものには違いない。そこから脱したいと思うのも自然である。
 しかし、ここで問題となるのは、レプリカントの自己認識である。はたして、レプリカントに人間と同程度の自己意識や感情や思考能力や機微を知る力を想定していいのだろうか。
「愛する人の子供が欲しい」
「種の存続を求める」
「自由が欲しい」
「自分の‛人’生は自分で決めたい」
「差別されることなく安心して生きていきたい」
「自分がなぜ生まれたのか知りたい」」
「生きる意味と目的がほしい」
・・・・・等々。
 こういった人間的感情、言い換えれば「自我」を、レプリカント達に、映画の主人公Kに託していいものだろうか。主人公にどこまで感情移入していいのだろうか。
 「自我」という点におけるレプリカントと人間との相違がいまいちよく分からない。というか作品内で十分に説明されないがゆえに、主人公Kに単純に同調することに戸惑いを感じるのである。この点はテーマの根幹に関わる主要な部分であるから、前作や関連作品の予習で済ませていいレベルではなかろう。
 あるいは、観る者は主人公Kに感情移入する度合いに応じて、自らの自我を見ていることになるのやもしれない。

 「人間になりたい」という感情や欲望を持つ時点で、すでに人間とどこが違うのだろう? 
 
 


評価:C+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!