日時 2017年12月30日(土)
行程
09:40 西武秩父駅・タクシー乗車(2530円)
09:50 定峰バス停
歩行開始
10:10 定峰神社
10:50 パワースポットの森
11:10 旧定峰峠
12:00 山頂
昼食休憩
12:50 下山開始
13:15 粥仁田峠
14:00 橋場バス停
歩行終了
14:12 イーグルバス乗車
14:40 東武東上線・小川町駅着
最大標高差 570m
所要時間 4時間10分(歩行3時間10分+休憩1時間)
09:40 西武秩父駅・タクシー乗車(2530円)
09:50 定峰バス停
歩行開始
10:10 定峰神社
10:50 パワースポットの森
11:10 旧定峰峠
12:00 山頂
昼食休憩
12:50 下山開始
13:15 粥仁田峠
14:00 橋場バス停
歩行終了
14:12 イーグルバス乗車
14:40 東武東上線・小川町駅着
最大標高差 570m
所要時間 4時間10分(歩行3時間10分+休憩1時間)
前回は2012年7月15日に登っている。そのときは曇りがちでガイドブックに謳われている「山頂からの大展望」が得られなかった。
今回は眺望の冴える初冬の晴天を選んだ。
リベンジだ~!
と、勢い込んで西武秩父駅に到着したら、定峰行きのバスがなかった。むろん事前にネットで土日祝の時刻表を調べて09:20発のバスに乗るつもりでいた。が、駅のバス停に貼られた紙を見ると「12月30日~1月×日」は年末年始スケジュールだと!
09:20のバスはなく次は11時台。
そ、そんな・・・・。
気を取り直してタクシーを使う。
ソルティ 「年々、お正月気分ってのがなくなりますねえ」
運転手 「ほんとにね。元日も午後2時過ぎたら、もう人が出てきますから。それに昔のように子ども達も凧揚げだ羽根つきだと、外で遊ばなくなりましたね」
ソルティ 「ああ、お正月だけの風景が見られなくなりましたね。餅つきも最近やってるとこ見かけませんね」
・・・などとお正月らしい会話をしているうちに目的地に到着。
定峰バス停から、来た道を3分ほど戻った右手に定峰神社へとつながる小道がある。前回はこの入口がわからず遠回りしてしまった。今回は「定峰神社」と書かれた石碑をしっかり確認し、ちょうど通りがかった地元のお爺さんにも教えられ、「お達者で!」と見送られて登り道に入る。
定峰神社は天正11年(1583年)創建。祭神は伊弉諾(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)、菊理姫(ククリヒメ)、八意思金(オモイカネ)、大山祓(オオヤマヅミ)、市杵嶋姫(イチキシマヒメ)、素戔嗚(スサノオ)と盛沢山。いくつかの神社が明治の頃に合祀されたようだ。小さい地味な神社だが手入れは行き届いており、清新な空気が気持ちよい。土地の人々が大切にしているのを感じる。
前回もそうだったが、道標が十分でなく途中どっちに行っていいのか迷ってしまうところがある。(とくに車道によって山道が寸断されるところ)
こんなときにたよりになるのは、長年の山登りの勘と道端の古い石碑である。「白山大権現」と刻まれた石が正しい登山路を教えてくれた。
定峰神社のもともとの祭神は白山権現
すなわち菊理姫命だったようだ
こんなときにたよりになるのは、長年の山登りの勘と道端の古い石碑である。「白山大権現」と刻まれた石が正しい登山路を教えてくれた。
定峰神社のもともとの祭神は白山権現
すなわち菊理姫命だったようだ
山道を歩きながら、いろいろなことを考える。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば・・・」
――なんて高尚なことではなく、今年あったもろもろ、来年やりたいこと、今後の人生設計、仏道修行についてe.t.c.である。せっかく秩父くんだりまで足を伸ばして新鮮な大気に触れたというのに、街の思考や日常意識をそのまま運んでいる。山歩きそのものを楽しめていない。自分でもそのことに気づいて一歩一歩に注意を向けるようにするのだが、知らぬ間に思考に乗っ取られてしまう。
と、その時。
パワースポット(埼玉県森林公社管理の森らしい)
さっと目の前に広がった杉木立の森とその空間に満ちている清浄な‘気’に接触したとたん、思考のおしゃべりが止んで日常意識が吹っ飛んだ。
意識は「いま、ここ」に収斂した。
これこそパワースポットの威力。自我の放つちっぽけでいじましい‘気’を一瞬にしてどこかに追い払って、場の持つ力強く生き生きとした‘気’を全身に浸透させる。意識が山と一体化する。
すると、木を駆け下りるムササビに出会ったり、枯木立の下に生える鮮やかな緑に気づいたり、裸の木々の間にのぞく穏やかな峰のつくるスカイラインに心安らいだり、純粋に山歩きを楽しめた。自らの思考を背中のリュックサックに入れて自由に扱えるようになった。
意識は「いま、ここ」に収斂した。
これこそパワースポットの威力。自我の放つちっぽけでいじましい‘気’を一瞬にしてどこかに追い払って、場の持つ力強く生き生きとした‘気’を全身に浸透させる。意識が山と一体化する。
すると、木を駆け下りるムササビに出会ったり、枯木立の下に生える鮮やかな緑に気づいたり、裸の木々の間にのぞく穏やかな峰のつくるスカイラインに心安らいだり、純粋に山歩きを楽しめた。自らの思考を背中のリュックサックに入れて自由に扱えるようになった。
旧定峰峠
三方を一枚岩の壁で囲まれた可愛らしい祠がある
正午ちょうどに山頂到着。
リベンジ完了!
山頂にある展望板
南西(武甲山)から北東(日光男体山・女峰山)まで200度以上の展望が見事に開けている。
晴天で空気が乾燥している上に、都心は仕事納めで排気ガスがほとんどない。
澄みきった青空の下のダイヤモンドのように眩い景観にしばし我を忘れた。
左端の三角が秩父の親分格・武甲山
左端のテーブル状が信仰の山・両神山(りょうがみやま)
両神山の脇に赤岳・横岳・蓼科山がのぞく
雲の下に白くけぶるは浅間山
北側には谷川連峰・尾瀬の連山が並ぶ
赤城山~日光男体山を背景に利根川が太田市を洗う
山頂は時に冷たい風が吹くも日当たりがよく、弁当を食べた後は同じ年頃の単独行の男と世間話をした。男がネットからプリントアウトしたという帰りのイーグルバスの時刻表を見せてもらったところ、ソルティのプリントアウトしたものと違っていた。
「やれやれ、また年始年末バージョンか・・・」
「やれやれ、また年始年末バージョンか・・・」
下山はスイスイとあっという間に粥仁田峠に着いた。
ここには昭和60年に建てられた粥仁田地蔵というのがある。横に立っている石碑にその謂れが刻まれていた。
ここには昭和60年に建てられた粥仁田地蔵というのがある。横に立っている石碑にその謂れが刻まれていた。
要は、昭和57年に封切られた秩父事件を描いた映画『山襞の叫び』(渡辺生監督)の製作の際、使われなかったフィルムが膨大に残った。それを捨てるに偲びず、事件に関係の深い粥仁田の地に埋めて地蔵を建てて供養した。
なんと、映画のフィルム供養のお地蔵様なのである。そんな地蔵尊はじめて聞いた。
前回は気づかなかったのに今回気づいたのも縁だろう。『山襞の叫び』を観たいものである。
大霧山を崇めるような庚申塔の石碑
なんと、映画のフィルム供養のお地蔵様なのである。そんな地蔵尊はじめて聞いた。
前回は気づかなかったのに今回気づいたのも縁だろう。『山襞の叫び』を観たいものである。
大霧山を崇めるような庚申塔の石碑
橋場バス停
ソルティの時刻表が正しかった。山頂で会った男よ、無事帰還したか?
ソルティの時刻表が正しかった。山頂で会った男よ、無事帰還したか?
大みそか前日、それほど有名でもなくアクセスもさして良くない山に登る酔狂者は自分一人くらいだろうと思っていた。
が、蓋をあけてみたら10名(うち5名は単独行の中年男性)と犬2匹と出逢った。
ソルティ同様、年の締めくくりに山の大気で禊ぎし、壮麗な景色で心を清めたいという人間が多いのであろうか。
小川町駅近くの温泉「かわらの湯」で一年の体と心の垢を落とす。
終わりよければすべてよし。
終わりよければすべてよし。