第1日を終えてからというもの、早くまた秩父に行きたくて仕方なかった。
 毎晩のように巡礼マップや各札所の案内を読んで心を秩父に飛ばしていた。秩父が舞台のアニメ映画『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』と『心が叫びたがってるんだ。』を視聴した。
 すっかり秩父と巡礼の魅力にとりつかれてしまった。


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いらっしゃ~い!(三枝ふうに)


●挙行日  2018年5月10日(木)
●天気   くもり時々雨、のち晴れ
●行程
07:30  西武鉄道・西武秩父駅出発
07:50  第12番・野坂寺
08:30  第13番・慈眼寺
08:45  今宮神社
09:00  第14番・今宮坊
09:20  第15番・少林寺
09:40  秩父神社
10:15  ファミリーマート
        休憩(25分)
10:50  第16番・西光寺
11:20  第17番・定林寺
11:50  第18番・神門寺
        休憩(25分)
12:35  第19番・龍石寺
12:55  秩父橋
13:10  第20番・岩之上堂
        昼食休憩(50分)
14:15  第21番・観音寺
14:40  第22番・童子寺
15:20  第23番・音楽寺
16:30  佐久良橋
17:00  西武秩父駅着
●所要時間  9時間30分(歩行時間4時間40分+休憩時間4時間50分)
       ・・・休憩時間には昼食休憩および各寺での滞在時間(10~40分)を含む
●歩行距離  約17キロ(毎時約3.6キロ)


 当初の計画では第25番久昌寺まで打って、秩父鉄道影森駅より帰途につく予定であった。が、途中で無理と判断し、第23番で切り上げて出発点の西武秩父駅に戻った。
 思った以上に各寺社での滞在時間が伸びたことが理由の一つ。面白い、気持ちいい、見所あるお寺がたくさんあって、御朱印だけもらって「はい、さよなら」というのはあまりにもったいなかった。
 いま一つの理由は天候である。予報では「曇りのち晴れ」だったのだが、澄み切った青空を覗かせながらも重い黒雲の塊りが次々とやって来ては流れ去り、「晴れたり曇ったり降ったり」の繰り返し、ところどころ雨宿りしたからである。
 ちなみに、札所でお経をあげ御朱印をもらうことを「打つ」と言う。


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 早朝、西武秩父駅に到着。
 土砂降りの中をサラリーマンや高校生が飛び込むように駅構内に入ってくる。待合室で身支度を整え、慈悲の瞑想を行っているうちに小降りになった。リュックをビニール袋でおおい、竹笠をかぶり、いざ出発。


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 第12番野坂寺は芝桜で有名な羊山公園の丘陵を背に、街はずれの緑濃い静かな一角に立つ。雨に洗われた樹々が美しく、心が清められる気がする。巡礼のスタートを切るには最高の札所である。山門では当地で昔活躍した伝説の牛が見送ってくれた。

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 雨上がりの道を西武秩父駅までいったん戻る。御花畑駅を右手に見ながら秩父鉄道の踏切を渡ると第13番慈眼寺はもう目の前。34の札所中、一番の繁華街にある。
 と言ってもそこは秩父。境内は夏休み早朝に近所の人が集まってラジオ体操するのに恰好の雰囲気である。ここは以前参拝した。

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 第14番今宮坊に行く途中に今宮神社がある。明治初年の神仏分離令の前は、この神社と今宮坊の観音堂を合わせて八大権現社といったそうである。現在は両者間に住宅が立ち並んでいるが、もとはとても広い社地を誇っていたのである。神社は本殿を再建中で仮の参拝所が設けてあった。その横の大ケヤキのド迫力。
 パワ―スポット認定!

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樹齢1000年を越えるという 幹の周囲は約7.9m


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今宮坊


 第15番少林寺に行く道は秩父市内で最も賑やかな界隈で、車や人の往来が盛ん。一歩路地に入るとローカル色の濃い面白そうなお店、美味しそうなお店が並んでいる。そちらに気を取られているとつい見落としてしまいそうな路地の奥の、秩父鉄道の小さな踏切りを超えた向こうに、少林寺が奥ゆかしくたたずんでいる。

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モダンなような、なつかしいような


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秩父鉄道踏切(本日幾度も超えることになる)


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 ここは秩父事件と関連の深いお寺である。
 秩父事件とはなにか。

 1884年埼玉県秩父郡で起った自由党員と農民の蜂起事件。いわゆる自由民権運動における激化諸事件の一つ。当時,松方デフレ政策の影響を受けて養蚕,製糸業を主業とする多摩,秩父地方の農家の大半は窮境に陥り,高利貸からの借金に頼らざるをえなくなった。
 このため,井上伝蔵ら秩父の指導者は警察や高利貸に対して請願を続けていたが,84年2月,大井憲太郎の秩父遊説を機に自由党に入党。そして,同8月秩父困民党を結成し,同郡大宮郷の顔役であった田代栄助を総裁とした。
 彼らは運動の目標を,借金の 10年据置き,40年賦返済,校費雑収税,村費の減免などにおき,陳情,請願を続けた。しかし,10月井上ら指導者たちは合法運動に限界を感じ,武力による目的実現へと準備を開始するにいたった。
 11月1日同郡下吉田村椋神社に数千名の武装農民が結集,翌2日大宮郷を占拠した。暴動発生を知った埼玉県当局は憲兵隊派遣を要請,3日憲兵隊が出動したが,農民軍に敗れ退却。4~5日東京鎮台兵2個大隊が出動するに及んで,同5日農民軍は制圧された。
 事件後,田代ら7名の死刑を含め,有罪 3386名が確定した。
(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 上記に大宮郷とあるのが、現在の秩父市である。
 思うに、秩父という土地柄、地域性、気風をうかがうには、この秩父事件を抑えておく必要があるのではないか。古来ヤマトタケル(三峰神社)や平将門(城峯神社)を英雄視する土地の人の心性も重ね合わせて、お遍路の先輩である四国と同じような反官意識、反骨精神が根付いているのではなかろうか。
 少林寺にはこのとき出動した官軍側の殉職警官2名の墓(下写真)がある。いまや解読不能の碑文は時の内閣総理大臣山形有朋が書いたものである。


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少林寺境内より武甲山をのぞむ


 秩父鉄道を渡り返した目と鼻の先に、ご鎮座2100年と言われるちちぶ国の総鎮守・秩父神社がある。ご祭神は次の四神。
  • 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)・・・・天岩戸にこもった天照大御神を外に引っ張り出す知恵を考え出した神
  • 知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・・・・ちちぶ国の初代国造
  • 天之御中主神(あめのみなかねのみこと)・・・・この世に最初に現れた神 
  • 秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)・・・・昭和天皇の弟。登山やスポーツを愛好した。
 広い境内は凛と清らかな空気に包まれて、まぎれもないパワースポット。やはり、寺より神社のほうが一般に‘気’は高いようである。
 本殿の周囲には左甚五郎作と言われる虎や龍の彫刻が見られる。


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日光東照宮とは逆に「よく見・よく聞き・よく話す」のお元気三猿


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左甚五郎作:つなぎの龍


 境内にいる間に雲間より陽が差してきた。喜んだのも束の間、国道沿いのファミリーマートでコーヒーブレイクしていたら、いきなり土砂降りに。店内の喫茶スペースから窓越しに見上げる空にはどす黒い雲が・・・。 
 傘を買うかどうか迷っていたら、やがて雲は通り抜けて雨はやんだ。タイミング良き雨宿り。


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 国道を渡り住宅街に入る。入り組んだ路地に道標を探しつつ、第16番西光寺(さいこうじ)に向かう。分岐に立つ井上工務店の道標がありがたい。


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 西光寺は南国のお寺といった風情。豊かな緑の中に茅葺き屋根の酒樽が置かれているためであろうか。この酒樽の中には商売繁盛の大黒天が祀られていて、様々な企業の名刺が散らばっていた。
 真言宗豊山派のここには四国八十八ヶ所の本尊が祀られた回廊がある。黄金の仏像が居並ぶ回廊は神秘的。 

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 道中も面白い。
 ユニークなお店や家屋、植物などを見かけると、思わず立ち止まってデジカメに手が伸びてしまう。


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ベタな店名
おそらく店主はオペラ好き?


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便所たわしの木(ソルティ命名)

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 第17番定林寺(じょうりんじ)は『あの花』のメッカ(聖地)である。幼いメンマやアナルやジンタンやポッポがかくれんぼうした舞台である。
 鎮守の森に囲まれたひっそりと目立たぬ境内は、ソルティが子供の頃遊んだ近所の神社を髣髴とさせ、懐かしさを覚えた。
 納経所では『あの花』の登場人物を描いた絵馬が売られており(一枚800円)、今もアニメファンが訪れているのが知られる。寺の関係者や近所に住む者にしてみれば、降って湧いたようなブレイクであろう。

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 すっかり晴れて、汗ばんできた。
 第18番神門寺(ごうどじ)は、東に進んで秩父鉄道を渡り(本日4度目)、国道140号にぶつかったら左折する。前回最初に和銅黒谷駅から歩いたのが、この国道であった。すいぶん前のことのような気がする。
 ふと気づくと12時前である。納経所は正午より12時半まで休憩に入る。間に合わなかったら第18番で30分以上の足止めになる。
 「12時までに打たなければ・・・」
 急ぎ足になる。
 無事5分前に到着し、読経を後回しにしてまず納経所に飛び込み御朱印をもらう。
 間に合った

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 境内からは国道の車の往来が見え、喧騒の中にある。
 にしては、落ち着く。
 お堂の前に参詣者が休憩できる東屋があり、暑さや寒さをしのいで腰を下ろし、一服することができる。今も初老の巡礼者がくつろいでいるのが見える。
 読経を終え、東屋に入って持参したスポーツドリンクを飲み、今後の計画を練る。正午までに第19番まで打って秩父橋を渡っておきたかったのであるが、すでに1時間近い遅れが生じている。これから速足で取り戻そうか?
 ちょっと迷った挙句、決心した。
「予定は捨てる。のんびり楽しみながら行けるところまで行こう」
 いまさっき第18番からの道を急ぎ足で脇目もふらずに来たことを後悔した。途中、気になる大師堂が目の隅に見えたのに、無視して通り過ぎてしまった。
 巡礼はスタンプラリーではない。オリエンテーリングでもない。競歩大会でもない。
 「いまここにある」ために歩く。気づきをもって歩くのだ。
 そう悟った瞬間、目の前のテ-ブルに活けられた紫色の花に気がついた。檀家の手によるものだろう。参詣者が心地よく過ごせるよう、無事満願できるよう、心を込めて活けてくれたのだろう。このお寺の落ち着いた雰囲気の秘密はきっとここにある。その花の名前を僕はまだ知らない。


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第18番神門寺の休憩所


 気分新たに国道に戻る。しばらくして国道を離れ、5度目の秩父鉄道越え。道は荒川に向かってじょじょに下っていく。

 第19番龍石寺は、巨大な水成岩の岩盤上にある。空も境内も広く、解放感がある。
 ここは、閻魔大王や三途の川の脱衣婆が祀ってあったり、茶筅塚があったり、プラスチックの赤ちゃん人形が飾られていたり、ちょっと風変わりな印象。
 茶筅塚は初めて見た。納経所で聞くと、地元に有名なお茶の先生がいた関係らしい。


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閻魔大王

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茶筅塚

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 龍石寺のよって建つ岩盤を見上げるように回り込み、くねくね道をたどっていくと、不意に秩父橋が出現する。
 荒川だ。
 橋の上から見る景色は疲れを忘れさせる爽快さ。


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 第20番岩之上堂はその名のとおり荒川沿岸の崖の上にある。この秩父橋から20番、そして21番へと続く道が、今回一番の快適ポイントであった。いにしえの旅人も同じような風景に心を休ませたのだろうと思われる。

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 岩之上堂はまるでジャングルか熱帯植物園のような生き生きした緑に包まれて、異次元ポケットにでも入り込んだような気分になる。生命力あふれるお寺である。

 
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お堂の中に吊るされた布製のお守り 「お猿さん」という

 居心地よさそうな東屋があったので、笠を脱いでここで昼食とする。
 メニューは山歩きの定番。
 おにぎり2個、イワシのかば焼き(缶詰)、枝豆、ゆで卵、お茶。


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蓮池にウグイスという不思議な取り合わせ


 なんたることか。
 食べ始めて5分したら猛烈な雨が降ってきた。屋根を打つ音からするにヒョウも混じっているらしい。さっきまで晴れていたのに????
 もっと驚いたことに、食べ終わって足揉みして、「そろそろ行くべ」と腰を上げると、つと雨が上がった。慈悲の瞑想の効用であろう。

 ここからは県道72号を武甲山を左前方に眺めながら歩く。
 第21番観音堂では入口に並ぶ赤い胸かけした六地蔵が、一家の主人を見送るイギリスの従僕たちのようである――なんて罰当たりな・・・。
 
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 第22番童子堂もまた面白い。
 茅葺き屋根の山門のたたずまいはキノコのよう。近寄って柱を覗いて思わずにんまり。怖い顔した仁王様が左右に侍しているかと思えば、さくらももこの漫画の登場人物を思わせる剽軽な風貌の仁王様。



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阿形

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吽形


 開山は遍照僧正(816‐890)と言う。百人一首の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の作者である。桓武天皇の孫とも言われる高貴な方が本当にこんな秩父くんだりまで来たのだろうか? ありえない。
 伝承によると、915年に一帯で天然痘が流行し沢山の子供が亡くなった。観音堂から湧き出た清水を薬にすると、病はたちどころに治った。その後、子供を病から救う観世音信仰が広まり「童子堂」の名がついたそうだ。
 真偽はともあれ、古来より貞子まで、天然痘ほど恐れられた病はなかった。


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第22番額絵


 このあたりから、荒川にかかる秩父公園橋のアーティスティックな巨大な山型の橋梁が目立つ。手前にある橋が大きく眼に映る関係で、武甲山とほぼ同じ大きさに見える。まるで双子山のよう。と思っていたら、歩いているうちに角度が変わって、二つの山が一つに重なった。そのように計算されて設計されたに違いない。


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 第23番音楽寺は秩父ミューズパークに続く丘の上にある。傾斜はなだらかだが、一日歩いてきた身には結構こたえる登り道。ここを最後に打って一日を終えるのが正解かもしれない。
 音楽堂という風雅な名前のためか、ゲンをかついだ音楽関係者がヒット祈願に訪れている。観音堂の脇には歌手のポスターやコンサートのチラシが一面貼られていた。知っている歌手はいなかった。


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 楽しそうなミーハー系のお寺と思っていたら大間違い。ここは第15番少林寺同様、秩父事件にゆかりの深い史跡でもある。
 上記の「秩父事件」説明文の中にあるように、数千名の武装農民が下吉田村椋神社に結集したあと、襲撃開始の出発点としたのがこの音楽堂なのである。秩父の町全体を見下ろす地点にあるので、状況を伺うのにも士気を高めるのにも都合よかったのであろう。

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「われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」


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この鐘の乱打を合図に秩父市内に突入した


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 お堂をさらに登ったところに、秩父札所の開設にかかわる13人の聖者の石仏が並んでいる。閻魔大王、具生神といった悪玉キャラ、花山法王、白河法皇といった煩悩まみれキャラが入っているのが面白い。

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倶生神(くしょうじん、skt:Soha-deva)は、人の善悪を記録し死後に閻魔大王に報告するという二神のこと。倶生とは、倶生起(くしょうき)の略で、本来は生まれると同時に生起する煩悩を意味する。人が生まれると同時に生まれ、常にその人の両肩に在って、昼夜などの区別なく善悪の行動を記録して、その人の死後に閻魔大王へ報告する。(ウィキペディア「倶生神」)

 納経所で御朱印をもらい、そばにあったベンチで松風に吹かれる。五色の仏教旗がはためいて、パラパラと雨が落ちてきた。今日は座ると降る。

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 第23番と第24番のほぼ中間地点に佐久良橋がある。この橋で荒川を渡って道なりにずっと進むと、第13番慈眼寺を脇に見て、秩父鉄道を超え(6度目)、西武秩父駅に戻れる。ちょうど良いゴールである。
 次回はこの佐久良橋からスタートすればよい。

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 今回は平日を選んだせいか巡礼者は少なく、とくに徒歩組は4~5人しか出会わなかった。朝方の天候が悪かったためもあろうか。
 秩父の街中から始まり、じょじょに郊外に出て、荒川を渡って里山を歩くコースだった。ちょうど一日目と逆の展開である。街中も面白いけれど、やはり気持ちいいのは野道や山道。次回からだんだんと道は険しさを増していき、幽谷の風情が漂ってくるはず。楽しみだ。


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西武秩父駅跨線橋から本日歩いたあたりを望む


 帰りは西武秩父線・横瀬駅で途中下車して、徒歩10分の武甲温泉に浸かる。傍らを流れる横瀬川には200匹を超えるこいのぼりが風に泳いでいた。


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第3日に続く。