1992年中央公論社
一遍上人の伝記かと思ったら、そうではなかった。国宝『一遍聖絵』を紐解きながら、先立った愛人との思い出に耽る中年女のモノローグである。最後は出家を心に決めた彼女こそ、寂聴尼の分身なのだろう。
あるいは、追想という物語形式を借りた一遍上人伝と言うこともできる。そのまんまの伝記スタイルでは読者の食いつきが悪いであろう、売り上げにも結びつかないだろう、という著者と版元の戦略だったのかもしれない。
こうした構成のためか、一遍上人の行状や思想(悟り)よりも、一遍の後を追って女の身でありながら厳しい求道の旅(=遊行)に同行した尼・超一(※一遍の愛妾だったという説が濃厚)に対する著者の共感の眼差しが印象に残る。
それにしても、妻(超一)と幼い娘(超ニ)と乳母(念仏房)とを引き連れて修行の旅に出るとは、一遍上人に冠される「捨聖」という称号にはふさわしくないように思われる。命を賭した修業の旅に妻子を同行させるのはふつうカッコ悪いよな~。大先輩ブッダは妻も子も捨てたではないか。
愛する家族を無下にできない優しく責任感のある男だったのか。それとも、優柔不断の煩悩多き男だったのか。このあたりの一遍の心持ちが気になるところである。女の立場からすれば、「最高にイイ男」なのかもしれないが・・・。(もっとも悟りを啓いたとされる熊野で、一遍は妻子を置き去りにする)
信者らが一心不乱に踊り念仏していたら、あたりに紫雲が立ち込め天から花が降ってきた。人々に奇瑞の意味を聞かれた一遍は、「花のことは花に問え。紫雲のことは紫雲に問え」と言い放った。タイトルはこの言葉からきている。
一遍上人の伝記かと思ったら、そうではなかった。国宝『一遍聖絵』を紐解きながら、先立った愛人との思い出に耽る中年女のモノローグである。最後は出家を心に決めた彼女こそ、寂聴尼の分身なのだろう。
あるいは、追想という物語形式を借りた一遍上人伝と言うこともできる。そのまんまの伝記スタイルでは読者の食いつきが悪いであろう、売り上げにも結びつかないだろう、という著者と版元の戦略だったのかもしれない。
こうした構成のためか、一遍上人の行状や思想(悟り)よりも、一遍の後を追って女の身でありながら厳しい求道の旅(=遊行)に同行した尼・超一(※一遍の愛妾だったという説が濃厚)に対する著者の共感の眼差しが印象に残る。
それにしても、妻(超一)と幼い娘(超ニ)と乳母(念仏房)とを引き連れて修行の旅に出るとは、一遍上人に冠される「捨聖」という称号にはふさわしくないように思われる。命を賭した修業の旅に妻子を同行させるのはふつうカッコ悪いよな~。大先輩ブッダは妻も子も捨てたではないか。
愛する家族を無下にできない優しく責任感のある男だったのか。それとも、優柔不断の煩悩多き男だったのか。このあたりの一遍の心持ちが気になるところである。女の立場からすれば、「最高にイイ男」なのかもしれないが・・・。(もっとも悟りを啓いたとされる熊野で、一遍は妻子を置き去りにする)
信者らが一心不乱に踊り念仏していたら、あたりに紫雲が立ち込め天から花が降ってきた。人々に奇瑞の意味を聞かれた一遍は、「花のことは花に問え。紫雲のことは紫雲に問え」と言い放った。タイトルはこの言葉からきている。