公開 2007年
脚本 若松孝二、掛川正幸、大友麻子
原作 掛川正幸
配給 若松プロダクション
上映時間 190分

 凄い映画である。
 怖い映画である。
 ここ最近観た、いかなるホラーよりも怪談よりもSFよりも犯罪スリラーよりも怖かった。途中、正視できなくて一時停止しコーヒーブレイクを入れた。
 これがまた「実録」というから驚いてしまう。事実は小説より奇なりである。現代日本の政治情勢との違い、今どきの若者との違いに、「時代」という言葉の重みをつくづく感じる。
 そう、これは学園紛争の嵐が日本中に吹き荒れた時代。全共闘、70年安保、ベトナム戦争、三里塚闘争、ヒッピー文化の時代。吉本隆明の本を抱えた若者が口角泡飛ばし議論し、連帯を組んで街を練り歩き、アメリカや自民党や大学当局といった体制側の権威に身を挺して闘った時代。戦後日本がもっとも「赤」に近づいた時代。「戦争知らない子供たち」がもっとも熱かった時代の話である。
 
 たいていの人もそうだと思うが、ソルティもまた日本史に関して空白地帯がある。自分が生まれた年の前後各10年、つまり1950年代半ばから1970年代半ばまでの約20年間である。1951年のサンフランシスコ平和条約締結あたりまでは歴史の授業で習っている。受験勉強でも出題範囲だった。また、小学校高学年あたりから社会の出来事に関心を持つようになりテレビのニュースも文脈的理解ができるようになる。ちなみにソルティがはじめてその背景を子供の頭なりに理解した上で記憶に刻みつけた出来事は、1976年ロッキード事件である。
 空白の50年代半ばから70年代半ばまでにどんな出来事があったか。
 
1953年 NHKがテレビ放送を開始
1955年 イタイイタイ病発生
1956年 日ソ国交回復、国際連合加盟、水俣病発生
1958年 東京タワー完成
1959年 安保闘争
1960年 四日市ぜんそく発生、ベトナム戦争(~1975)
1962年 キューバ危機
1963年 吉展ちゃん誘拐事件、狭山事件
1968年 小笠原諸島がアメリカから返還される、永山則夫連続射殺事件
1969年 東大安田講堂事件、アポロ11号が人類初月面着陸
1970年 よど号ハイジャック事件、三島由紀夫自決
1972年 沖縄がアメリカから返還される、中国と国交を回復
1973年 第一次オイルショック

 オイルショックの時は「紙がない、ない」と大人たちが騒いでいたことは覚えている。なぜ石油と紙が関係するのかよく分からなかった。
 むろん、空白の20年は大人になってから、本を読んだりドキュメント番組を観たり当時を知っている人に直接話を聞いたりして、ある程度は埋められている。が、1972年に起きた「あさま山荘事件」に関しては、情報が埋まらないままであった。子供の頃、親や兄弟と茶の間のテレビで、どこかの山荘の静止画のような映像を見た記憶はある。(視聴率89.7%だったとか!) しかるに、一体だれが、どういう目的で、そこに立て籠っているのか分からなかった。親が説明してくれたのかもしれないが覚えていない。変化のない映像など子供にとってはつまらないだけである。
 長じてから、「革命を志した過激派の若者たちが、警察に追われて逃走し、仲間をリンチし、人質を取って山荘に立てこもり、武力衝突のあげく逮捕された」という大ざっぱなあらましは知った。が、そもそもなぜ彼らは山荘に立て籠もる羽目になったのか、組織内部で何があったのか、連合赤軍とはいったい何なのか、なぜその残党が今も指名手配されているのか、全共闘とどう関係するのか、この事件が日本社会や日本人にどんな影響を及ぼしたのか・・・・・といったことは長いこと関心の外であった。

 時代は移り変わった。政治闘争は下火になり、共産主義は沈下し、思想と連帯とヒッピーの季節は過ぎ去った。ノンポリと個人主義と物質主義の時代の申し子であるソルティは、全共闘的な匂いのするもの、全体主義的な匂いのするものに忌避感があった。人々が政治運動から距離を置く時代に入ったわけで、思春期のソルティもその価値観を無自覚に内面化した。
 政治に対する無関心、革新(共産主義)に対する警戒心――これこそが連合赤軍事件が日本社会にもたらした最大の功績(←皮肉です)だったのかもしれない。
 さらに言えば、全共闘や連合赤軍事件に対する無関心には、もしかしたら、シラケ世代・三無主義(無関心・無感動・無気力)と揶揄された自分たちの、公私ともに熱い青春時代を送った団塊世代に対する無意識の羨望もあったのかもしれない。

 
連合赤軍事件
 大学闘争の後、武装した左翼グループが栃木県真岡市で猟銃を強奪。72年2月、山岳アジトを移動して長野県の「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた。「総括」と称して群馬県内で仲間12人をリンチ殺人、遺体を山中に埋めた。
 (出典 朝日新聞掲載「キーワード」)

あさま山荘
あさま山荘(当時)

 
 映画は、あさま山荘立て籠りと警察との攻防をクライマックスとし、そこに至るまでの混乱した世相と左翼活動家たちの次第に先鋭化していく言動、そこから生まれた鬼子たる連合赤軍が狂気に陥っていく模様を丁寧に描いていく。
 だいたいこの頃の左翼グループは比較的穏健なのから過激なのまで日本中にいくつもあり、統廃合や派閥争いを繰り返しているので、なにがなんだかよく分からない。東京と大阪の違いや、中国毛沢東系かソ連スターリン系かという違いもあって、そこに学園紛争やベトナム反戦運動や三里塚闘争も絡んで、暴力団の勢力地図並みの煩雑さ。(そのへんもまたソルティがこの事件の読解を遠ざけていた理由の一つである)
 若松監督は、左翼グループの起こした運動激化の節目となる事件を時系列で語っていきながら、連合赤軍事件の登場人物(実名)を一人一人揃えていく。ややこしい背景や人間関係をナレーションや字幕を使って上手に整理しつつ、新宿騒乱(68年)や安田講堂陥落(69年)などの当時のニュース映像を挿入することで臨場感を生み出し、教科書的な説明に堕することなくまとめている。可愛い女子学生を前にして、小賢しい理論や思想を語る当時の青年たちのストイックというか頭でっかちな姿、「オルグ」とか「殲滅」とか「10.21(ジュッテンニイイチ)」といった左翼用語の堅苦しさに最初は違和感を覚えるも、だんだんとなれてくる。


安田講堂
東大安田講堂

 
 武装闘争路線を放棄した日本社会党、日本共産党に愛想をつかした急進的な若者たちは、あくまで武力革命による日本の共産主義化を目指して団結し、連合赤軍を結成する。物語は佳境に入る。外界から遮断された榛名山、妙義山など山岳地帯の小屋をアジトにした武闘訓練が始まる。男女合わせて総勢30名ほどによる合宿である。
 このへんからじわじわと怖さが押し寄せてくる。


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 怖さのもとはどこにあるか。
 それは、彼らの思想信条(曰く、「世界革命戦争勝利、共産主義建設に向けて、銃による殲滅戦を成し遂げられる革命戦士を作る・・・云々」)とも、射撃訓練を含む厳しい訓練メニューとも、まったく関係ない。これだけなら単なる「危ないオタク」で済む。
 怖いのは、閉鎖されたグループに生じるパワーゲームと負のグループダイナミクス(集団力学)、集団がもたらす狂気――これに尽きる。

① カリスマある絶対的リーダーの存在(森恒夫と永田洋子)
② 輝かしい理想の実現という大義(世界革命、共産主義社会の建設)
③ 不明瞭で恣意的なルールのもとの構成員に対する裁き、言動および思想統制(総括、自己批判)
④ 限定された人間関係内で生じるストレスや視野狭窄や派閥形成
⑤ ストイックな窮乏生活の欲求不満、疲労や栄養不良、精神鈍麻
⑥ いつ敵に見つかって逮捕されるかもしれない不安と恐怖と被害妄想


 こういう状況下にあって、内部腐敗が進行しないほうがおかしい。日本人が弱いとされるピアプレッシャー(同調圧力)のもと、集団思考や共同絶交やリスキーシフトやバンドワゴン効果などの負の集団心理が働かない方がおかしい。

総括
革新政党、労働組合、学生組織などが、一つの闘争を行った段階あるいは大会の時期などに、それまでの活動をしめくくる意味で成果や欠点を明確にさせること。

自己批判
共産主義においては、自分の「誤り」を「自発的」に認め、公開の場で自分自身を批判する事を指す。各国の共産党や当初の武装革命を支持した革新組織などで行われ、日本では自己批判に加えて、集団で糾弾して吊し上げることを総括と呼ばれた。

集団思考
集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されること、あるいはそれにつながる意思決定パターン。

共同絶交
規範に反したメンバーを、集団で排斥すること。いわゆる、いじめや村八分。

リスキーシフト
普段は穏健な考え方をし比較的節度を守って行動することのできる人が、大勢の集団の中では、その成員が極端な言動を行ってもそれを特に気に掛けもせずに同調したり、一緒になって主張したりするようになっていくこと。

バンドワゴン効果
多数がある選択肢を選択している現象が、その選択肢を選択する者を更に増大させる効果。多勢に与する・勝ち馬に乗ること。

(以上、ウィキペディアの各項目より抜粋) 

 とりわけ、総括の手段として「殴る」を採用するようになってからは、組織は雪崩式に暴力的な色合いを濃くしていき、合宿所は地獄絵図と化していく。総括の御旗のもと、自分の兄を殴り厳寒の戸外に見殺しにする弟もいれば、自分自身の顔を腫れあがるまで殴り続ける女子も出てくる。「なんで脱走しないんだろう?」と傍目には思えるけれど、ブラック企業での過労死ニュースに見るように、ある程度まで精神が疲弊すると逃げる気力も奪われてしまうのである。目の前の苦役をどうにかこなすことだけに全精力が使われてしまうのである。
 ほかのメンバーには分からぬよう、街に下りてセックスしていた永田と森が逮捕され、自暴自棄になった残りのメンバーらは山間を必死で逃げ回る。あげくの果てに辿り着いたのが「あさま山荘」であった。
 
 あさま山荘から先は、不謹慎な言い方だが、ある意味サスペンスドラマや犯罪ドラマの域を出ない。というより、あさま山荘事件がその後の犯人逃亡ドラマや人質立てこもりドラマの雛形になったのかもしれない。投降を呼びかける警察側の説得者の中に犯人の母親が混じっているといったお涙頂戴場面もあり、「お約束」はここから始まったのかな?と思った。(結局、母性愛効果はなかったのだが・・・)

 この映画のエッセンスはやはり山岳アジトにおける集団狂気のドラマにあると思う。
 そして、それゆえに、この映画は単なる一事件のドキュメンタリー、ある時代を不器用に生きた若者たちの悲喜劇、一つの政治思想の誤謬と敗北を記録したノンフィクション――という枠を超えた普遍性を獲得し、LINEや教室内のいじめ、体育会系サークルにおけるしごきやパワハラ、企業における組織ぐるみの隠蔽、宗教団体に見る洗脳騒動などと同じ文脈で語ることのできるパラダイムに達するのである。実際、この映画からソルティが連想せざるを得なかったのは、あさま山荘事件の23年後に勃発し日本中を震撼させた今一つのテロ事件――オウム真理教事件であった。


富士山麓

 
 上記の①~⑥の条件は、事件前のオウム真理教の内部環境と酷似する。集団の目指していた目的や理想、組織内のルールや文化、用いられた凶器や犯行手段の違いはあれど、骨格だけ見れば、この二つの事件は双子のように似ている。(組織を統率するリーダー格の男女が他の信者には内緒で逢引きしていたところまで)
 なるほど、森恒夫や永田洋子や麻原彰晃は悪人だったのかもしれない。組織の目的やルールや教理には最初から反社会的なところもあったのかもしれない。だが、個人レベルの悪を巨大な社会レベルの悪にまで増幅していくのは、カリスマの才能や資質や努力だけでは足りない。そのカリスマに依存しながら、集団の中で各々の立ち位置を確保し、保身や追従や隠された欲望の充足や親との屈折した関係の反復を図っていく、複数のエゴが織りなす力学構造にこそあろう。

 この視点から観たときに、オウム真理教や連合赤軍を過去の事件、一部の心の病んだ頭でっかちのインテリたちが起こした特異な事件、と他人事のように嘲笑う資格は誰にもない。
 なぜなら、2つの事件をもっとずっと遡ったある時代、我々日本人は①から⑥の条件が見事に揃った下で、強烈な言論統制と洗脳と密告と虐待と自爆テロと大いなる破滅との道を集団で歩んだ記憶を持っているはずだからである。
 その記憶だけは空白にしてはなるまい。