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●日時 2018年7月14日(土)
●場所 尾瀬(尾瀬ヶ原、見晴~三条の滝~天神田代~御池)
●行程
 4:15 尾瀬ヶ原逍遥(見晴~竜宮~ヨッピ吊橋~東電尾瀬橋~見晴)
    歩行開始
 7:15 朝食/休憩/チェックアウト
 8:30 燧小屋 出発
 9:45 三条ノ滝
    休憩(25分)
11:30 裏燧橋
12:00 天神田代
12:35 昼食
13:30 御池 着
    歩行終了 
●所要時間 9時間15分(歩行時間6時間30分+食事&休憩2時間45分)


7 オ~ンブラ・マイ・フ🎵

 クーラーの音も冷蔵庫の音も時計の音もしない、針一本落ちても聞こえるような静寂、そして携帯電波圏外における4時間の歩行のおかげで、眠りはずいぶん深いところまで達したらしい。ここ数年なかったすっきりした目覚めが訪れた。
 時刻は4時。
 窓の外を見ると、尾瀬ヶ原は薄明に蒼く浮かんでいる。
 汽車の軌道のような木道に誘われるように、宿を静かに抜け出して、湿原に踏み出した。デジカメと地図だけをポケットに入れて。
 ヘッドライトを点灯させた早朝登山者たちが、ストイックな表情で燧ケ岳あるいは至仏山へと足早に去っていく。いまのところ、両名峰とも頭にすっぽり厚い雲をかぶっている。

 正味3時間、人影まばらな尾瀬ヶ原を心ゆくまで逍遥した。


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至仏山に向かう道


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振り向けば燧ケ岳


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福島県と群馬県の境となる沼尻川


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竜宮近辺の浮島風景


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 歩いていると、頭の中をマーラーの交響曲が鳴り響く。
 自然をモチーフにした第3番、高原の朝の景色を彷彿させる第4番第1楽章。
 マーラーはオーストリアのシュタインバッハという湖畔の景勝地に別荘を持っていて、ここで第3番を作曲した。指揮者のブルーノ・ワルターがマーラーに招かれてシュタインバッハを訪れたときのエピソードがある。
 ワルターが周囲の自然に目を奪われているのを見て、マーラーはこう言った。
「もう眺めるに及ばないよ、君。わたしがこのすべてを曲にしてしまったから」
 

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ヨッピ川にかかるヨッピ吊橋


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ヨッピとはアイヌ語で、「呼び」「別れ」「集まる」といった意味がある


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木道の彼方に見えるは東電小屋


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東電尾瀬橋
今回歩いた中で一番のパワースポット
さすが東電、ワットが高い


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 マーラーのほかに、鳴り響く曲がある。


 オーーーーーーーーーーーーーーーーーーン ブラ マイフ🎵


 ある年代以上の人なら、あの美しい映像とソプラノ歌手の美声を覚えているだろう。
 1986年、ニッカウヰスキーのコマーシャルに使われ一世を風靡した曲である。もとはヘンデルのオペラ『セルセ』の中のアリアで、ペルシャ王セルセが木陰のすばらしさを讃えた歌。CMではアメリカ出身の黒人歌手キャスリーン・バトルが、どこかの湖畔の大自然の中、白いドレスの袂を風になびかせてディーヴァらしい気品と優雅さをもって歌い上げていた。演出は、鬼才・実相寺昭雄だった。

 実を云えば、あのニッカCMおよびキャスリーン・バトルこそが、ソルティのクラシック道の筆おろしだったのである。まったき静寂から生まれるバトルのピアニシモと、秋空の如き清澄なる高音の輝きに、ウヰスキーの宣伝だからというわけではないが、すっかり酔わされた。すぐにレコード店に走って同曲を収録したカセットテープ(!)を買った。当時はカセットウォークマン全盛だったのである。

 あれから30年以上が経ち、カセットウォークマンは姿を消し、実相寺監督はこの世の人ではなくなった。いまや60歳のキャスリーン・バトルはどうしているのだろう? 我が儘が高じてメトロポリタンオペラハウスから追放されたのはだいぶ前のことである。
 時は過ぎ、状況は変わっていくけれど、今でも大自然の中にいると、(周囲に人のいないのを確かめて)、ついバトルの真似して、

 オーーーーーーーーーーーーーーーーーーン ブラ マイフ🎵

とやってしまうのである。


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尾瀬の花5 オオウバユリ


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尾瀬の花6 マルバダケブキ


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宿に戻る道
夢のような3時間であった




8 三条の滝を見ずして尾瀬を語るべからず

 散歩のあとは朝メシがうまい。こんなにモリモリ食べたのは久しぶり。
 快眠、快食、・・・・・・残る一つをクリアして、宿が用意してくれたおにぎり弁当をリュックに納め、8時半にチェックアウト。
 予定では、燧ケ岳か至仏山に登りたかったのだが、どうにも天気が読めない。晴れるのは間違いなかろうが、山頂の雲の動きが不透明。せっかく山頂に到達しても、尾瀬ヶ原を見渡す展望が得られなければ残念至極である。昨日の4時間歩行の足の疲れも若干残っている。
 ここは無理せず、別のルートを楽しむことにしよう。

 見晴から平滑の滝・三条の滝を経て、裏燧林道を通り、上田代の湿原を渡って御池に至るルートがある。燧ケ岳のふもとを巻くように、山の西南から西側を回って北東へ、ぐるりと半周することになる。滝と林道と湿原の3つの味が楽しめるとはお得である。5時間くらいかかるようだが、登って下りて7時間の燧ケ岳コースにくらべれば赤子の手をひねるようなものだろう。
 これが浅はかな過信であることは、知るすべもなく、意気揚々出発した。


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途中にある休憩所


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滝が近づくにつれ道はぐんぐん険しくなる


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平滑ノ滝
遠くてよく見えず


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三条ノ滝
高さ100m、幅30mを落下する只見川


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ここまでの足場の悪い下りの苦労が報われる爽快さ
こんな豪快な滝を隠し持っているとは!
「やるな~、尾瀬」


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裏燧橋(うらひうちばし)
ここまでの登りが結構きつい
本格的な山登り装備が必要なレベルである



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橋の下は水無川


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途中の沢で喉を潤す


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どうしたらこんな具合に育つのだろうか?


9 苦行のご褒美

 思いもかけない本格的な山歩き苦行の最後に待っていたのは、パラダイス
 昼なお小暗い森を抜けた先に、ペイルブルーに輝く夏空の下、田代の湿原が広がっていた。
 燦燦と日光は降り注ぐも、高原の風が心地よい。
 いつの間にやら、燧ケ岳はすっかり雲を薙ぎ払い、てっぺんを誇らしげに見せている。
 お別れ前に、尾瀬はその最高の晴れ姿を開示してくれた。


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昼メシに最高のロケーション
燧小屋特製のジャンボおにぎりを頬張れば
なべて世はこともなし



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御池到着


10 尾瀬を離れて

 会津高原尾瀬口駅行きのバスの時刻まで間があったので、御池ロッジに併設されている「尾瀬ブナの森ミュージアム」を見学する(無料)。尾瀬の成り立ちから地形、観光地化の歴史、生息する動植物、檜枝岐村の昔の暮しぶりなどが展示されていて、興味深い。

 尾瀬はそもそも、1889年(明治22年)に檜枝岐村の平野長蔵氏が燧ケ岳の登頂に成功したのが観光名所への端緒となった。その後、1922年(大正11年)に関東水電(現在の東京電力)が水利権を取得し、尾瀬ヶ原にダムを建設するというアホな計画を打ち出す。1949年、NHKラジオが発表した『夏の思い出』(作詞家江間章子・作曲家中田喜直)のヒットにより、尾瀬は一躍有名になり、多くの観光客が訪れるようになる。

 最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。
 実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定され、その時点で発電所計画は事実上不可能になっていたものの、東京電力は1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。
 また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。
 ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力の所有地である。現在の東京電力や子会社の東京パワーテクノロジー(旧尾瀬林業)は、木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体のひとつとなっており、東京パワーテクノロジーは尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。(ウィキペディア『尾瀬』より抜粋)


 自然保護の思想は戦前の日本にはなく、昭和9年の国立公園の指定が象徴と言われるが、自然破壊に抗議してたたかう自然保護の誕生は「尾瀬保存期成同盟」の結成からと言われる。これが日本自然保護協会誕生の原点となっている。(ウィキペディア『日本自然保護協会』より抜粋)


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 なんと、尾瀬原ダム反対運動こそは、日本の自然保護運動の出発点だったのである。
 東電に対する!

 なんだか宿命的なものを感じる。
 脱原発を祈るソルティのような人間は、尾瀬に足を運んで尾瀬の自然に親しみつつ尾瀬を守るのが使命なのかもしれない。(もしかしたら、8年前檜枝岐で会った女性と亡きご主人も同志だったのかも・・・)


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尾瀬の花7 コバギボウシ


 会津高原尾瀬口駅の近くにある『会津高原温泉・夢の湯』で汗を流し、さっぱりした服に着替えた。
 浅草に向かう帰りの列車の中、栃木の駅弁「岩下の新生姜とりめし」に舌鼓を打ちながら、尾瀬マップを広げ、「次はどこから入って、どのルートを歩こうかな」と、すでに計画を立てている自分がいた。


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夢の湯(日帰り500円)


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