感情を出せない源氏の人びと


2000年毎日新聞社発行

 30代の中頃、はじめて猫を飼ったとき、自分の中で抑圧されていた怒りの大きさに気づいて愕然としたことがある。
 アパートの扉わきの古紙回収用に置いていた段ボール箱に、知らない間に野良猫が住みついた。立派なオスの成猫である。ソルティを怖がるどころか、妙になついてきたので、そのまま部屋に入れてペットにしてしまった。(あとで大家に叱られた)
 猫との生活は面白く、大いに癒された。芸を仕込もうとずいぶん頑張ったものである。可愛がったのは確かであるけれど、その可愛がりの延長上に虐待チックなからかいも時にあった。たとえば、猫の両腕を持って部屋の中でブンブン振り回したり、嫌がる猫を無理やり風呂場で洗ってドライヤーしたり、抱えた猫をベランダから外に突き出して高所(と言っても2階だが)に怯えた猫がこちらにしがみつく様を楽しんだり・・・。
 サディスティックなところは元からあると自覚していたが、実際にこうして、自分より弱く、抵抗のできない、ある程度意のままになる生命を手にすると、こんなことをしてしまう自分であったのか、と空恐ろしくなった。自分の中に溜め込んで抑圧していた怒りを知って、軽いショックを受けた。昔から周囲には穏やかな人間であると思われてきたし、自分でもそう思っていただけに・・・。(こんな扱いを受けても最後まで猫は逃げることなく、畳の上で平気で腹を出して大の字を描いて寝ていた)


baby-cat-2119695_960_720


 本書の著者大塚ひかりもまた、自らの怒りをうまく表現することができず、内攻させてしまうタイプだそうである。

 他人との付き合いの中ではとっさに怒りに気付かず、怒りを表せないだけに、常に怒りがたまった状態となっていて、何かの拍子に爆発する。たまった怒りが、本来の怒りの原因とは無関係なところで、多く家族に対してぶつけられる。キレるというほどではないが、それに近いものがあるのだ。
 そんな私は自分が何を欲しているのか、人にそれと指摘されないと分からないところもあって、だから失って初めて、それが私にとってどんなに大切なものであったか気付くことも多い。


 そんな大塚だからこそ、古代から中世までの文学作品をたどって日本人の感情表現の歴史を読み解くという、興味深く画期的なテーマを思いついたわけである。
 取り上げられているのは、『日本書紀』『古事記』といった神話、天皇から乞食に至る様々な人の歌を収めた『万葉集』、仏教説話の元祖『日本霊異記』、紫式部『源氏物語』を頂点とする雅びな王朝物語の数々、庶民のありのままの喜怒哀楽を写し取った『今昔物語』、そして武家の栄枯盛衰を描き切った『平家物語』などである。

 おおむね、以下のような感情表現の変遷が指摘されている。
記紀神話の時代  ・・・子供のように天真爛漫。神々は大いに笑い、大いに怒り、大いに泣く。
② 『万葉集』の時代 ・・・モラルなき時代の刹那的、享楽的な価値観。よく泣く男と微笑む女。
③ 仏教浸透の時代  ・・・仏罰や地獄行きなど「怖れ」の感情が発生してくる。
④ 王朝時代初期   ・・・次第に感情表現が洗練されてくる。
⑤ 『源氏物語』の時代・・・感情(とくに怒り)を表に出さないことが上流の嗜みとされる。
⑥ 王朝時代後期   ・・・貴族たちは内攻した感情のため鬱屈とし、生きる意欲が低下。一方、『今昔物語』にみる庶民は感情表現豊かで生命エネルギー旺盛。
⑦ 『平家物語』の時代・・・そのために破滅を呼ぶほどの武士たちの激しい喜怒哀楽の嵐。

 このうち、特に多くのページが割かれ、著者の関心も共感も深く、読んで面白いのは、タイトルにもなった⑤の『源氏物語』分析である。
 『源氏物語』に出てくる貴族たちの感情表現のルールは、「笑うべき時に笑い、泣くべき時に泣く、怒りは見せない」である。宮廷生活の中の数多くの儀式や煩雑な儀礼、陰陽道などの因習により生活全般がマニュアル化してしまっているので、感情表現もまたマニュアル化している。「泣きたい時」でなく「泣くべき時」に泣き、「笑いたい時」でなく「笑うべき時」に笑う。「怒り」をNGとする仏教が浸透しているので、怒りはこらえる、見せない、流す。自分の中にある本当の感情より、周囲に見せる感情表現のほうが重要なのである。人に「笑われる」ことを何より怖れるというあり方から、貴族たちが周囲の視線を内面化して生きていたことが伺える。窮屈この上ない。
 しかし、内攻し抑圧された感情はそのままではすまない。病気となって当人を襲う。あるいは狂気となって発作的に浮上する。それがいわゆる「物の怪」である。

 紫式部は、物の怪の発生は、「憑かれる側」に、精神的な必然性があるためだと考えている。そうした考え方は『紫式部集』の次の歌からも見て取れる。
『死んだ人にぬれぎぬを着せて苦しむのも、自分自身の“心の鬼”――良心の呵責――のせいではないか』(亡き人に かごとはかけて わづらふも おのが心の 鬼にやはあらぬ)

 物の怪が信じられていた時代に、紫式部は、「憑かれる側」の心の問題が、物の怪を見させるのだと、実に合理的な解釈をする。

 著者は『源氏物語』のあちこちに登場する物の怪たちに着眼し、物の怪に憑かれた登場人物たちの抑圧された感情を解析する。非常に面白い箇所である。この視点からもう一度『源氏』を読みたくなった。

 “さまよき(ソルティ解釈:「クールな」)”感情表現を心がけていた平安貴族にとって物の怪とは、未決済に終わった感情表現のためのガス抜きの役割を果たしていたのだろう。物の怪の激しい感情表現は、物の怪にならざるをえないほど抑圧されていた平安貴族を癒す安全弁だったのだろう。


 そうなると、なぜ平安貴族が、感情表現を抑圧せざるをえなかったのかが気になる。
 著者はこう述べる。

 その時代背景について、今までちらほら触れたことも含めてまとめると、間接的なコミュニケーションのあり方、身内ばかりで構成された貴族社会の狭さ、人目が行動規範だったことなどがある。
 『源氏』が生まれた平安中期はまた、明るい未来のない成熟社会だった。貴族は超自然的なものを畏れ、仏教、とくに安楽な死後の世界を目指す浄土教に走った。浄土教では「三毒」といって、貪欲・瞋恚・愚痴の三つの煩悩を、浄土に往生するのを妨げる罪とした。瞋恚とは怒ることだ。仏教とは別に、当時日本に伝わっていた古代中国の医学書には、健康法として喜怒哀楽の抑制のススメも見られる。光源氏が怒りを抑える思想的な裏付けがこれらにはあろう。


 感情表現を抑圧し続けた先にはなにが待っているか。
 自らの感情や欲望のありかが分からなくなり、人目だけを行動規範とする平板とした感情表現に陥る。あるいは「何を思っているのか感じているのかよくわからない」頼りない、人まかせな性格をつくる。著者は『源氏物語』後半の「宇治十帖」の主人公である薫と浮舟の中に、この典型像を読み取っている。
 これも言われてみれば「なるほど」と思える指摘である。感情抑圧の権化であった光源氏や紫の上の没した後に、自らの感情のありかがよく分からない薫や浮舟が登場するのは道理である。

 なだらかで、さまよく、人笑われならぬ感情表現を目指してきた『源氏』の貴族は、薫という「無表情」な貴族を発明し、ついには浮舟にいたって、感情そのものがない、「無感情」な女を発明した。

 実直だけど気づまりなところのある薫と、気はゆるせるけれど浮気性の匂宮、両者の間で引き裂かれた浮舟は、入水自殺する。僧侶に助けられ、その縁で出家してしまう。貴族社会から脱出したその時から、やっと浮舟の感情回復が始まる。

 無表情な『源氏』の人々は、物の怪や心身症や拒食症や自殺や出家という形で、たまりにたまった感情を出してきた。そしてついに無感情な女が登場し、感情を出すことを許してくれない、人間関係のすべてを断ち切って、別の世界で生きることにした。別の世界で生きれば、感情も出すことができる。この世界から「外」に出る勇気があれば、感情を出すことができる。出せば、胸がすっとする。生きていて良かった、とさえ思える。

 著者もところどころで漏らしているが、『源氏』の人々の感情表現こそ、平成時代の我々のそれである。ことを荒立てないよう、できるだけ感情的にならずに人と接し、おのれの感情を抑える。周囲からどう見られるか、どう思われるかを一番の行動規範とする。ひと頃流行ったKY(空気を読む)なんて言葉はまさにその証左であろう。
 著者が読み取る薫と浮舟の姿に、まさに「コミュ症」と言われる現代若者像を見るのは難しくない。
 さしずめ、現代の「物の怪」が跳梁するのはインターネットの中である。

 
ネットカルマ
 

 感情の抑圧は好ましくないけれど、一方、子供のように、古代の神々のように、自由にありのままの感情をTPOわきまえず発散させればいいというものでもあるまい。それは子供だから、神様だから許されることである。大人同士の場合、喜びや笑いなどのプラス感情ならともかく、怒りや悲しみや嫉妬などのマイナス感情を互いにぶつけ合うだけでは、人間関係は上手くいかないし、社会は滅茶苦茶になる。平家の二の舞になりかねない。その場では我慢し、あとでネットに書き込むのは憂さ晴らしにはなるかもしれないが、当の相手との関係改善には何の役にも立たない。
 一つの方法は、マイナス感情(たとえば怒り)をそのまま表現するのでなく、自分がそれを感じていることを相手に伝える、というやり方であろう。
「バカヤロー! ビシッバシッ(殴る音)」ではなくて、「私はあなたの先ほどの行為に対して憤りを感じています」と相手に言う。
 いずれにせよ、自分のありのままの今の感情に気づくことが前提である。


 さて、猫によって発見されたソルティの怒りであるが、その後、どうなったか。
 40代半ばにしてテーラワーダ仏教に出会いヴィパッサナー瞑想を始めたことで、それはいよいよ掘り当てられ、発掘され、浮上して正体を現し、ついには解放されたのである。

 瞑想を開始して最初の2年間、とにかく体が震えて仕方なかった。ある程度心が静まって集中力が増してくると、腹の底の方から熱く重い塊が湧き上がってきて、出口を求めて背筋を這い上がろうとする。そのたびに、体が震えて、床についた尾骨を支点に大きくグルングルンと上半身が回転する。時折、火山の噴火のように、反射的に体が飛び上がったり、両腕が跳ね上がったりする。それが瞑想中ずっと続く。それまでも自己流に瞑想(サマタ瞑想)を数年間続けていたのだが、こんなことは起きたためしがなかった。
 これまで40年以上蓄えられ抑えつけられていたマイナスエネルギーの塊りのせいだと直感した。ほうっておくしかなかった。
 それが2年くらい瞑想を続けているうちに、徐々に治まってきた。同時に体も心も軽くなった。若いころから悩まされてきた腰痛が問題ならなくなった。おおむね、いつも晴れやかで明るい気持ちでいられるようになった。
 4年目に入って、悩まされていた体の震えと揺れは消えていった。 
 ただ、その後も、時折ショッキングな出来事(たとえば大切な人との別れとか)があったあとに瞑想すると、同じような体の震えと回転が生じ、それが抜けると心が晴れやかになるということが続いた。どうやら感情表現が苦手なソルティに代わって、瞑想がうまくマイナスエネルギーを発散してくれているようであった。むろん、ただ座って沈思黙考するというのではなく、浮かび上がってきたマイナス感情に気づき、観察するという過程を通してのことだ。
 40年以上溜め込んできた感情を表現して成仏させるなど到底無理と思っていたが、ヴィパッサナー瞑想はそれを可能にしたのである。
 
 著者の述べているように、仏教は瞋恚(=怒り)をNGとする。どんな場合でも怒りによって解決するものはないと言う。怒りは、それが向けられた相手を害う以上に、怒った当の本人を傷つける。それは間違いない。怒りはまた健康を害する。 
 と言って、それを抑圧し溜め込んでおくのはよろしくない。抑圧された感情は、必ず何らかの形で当人に仕返しするからである。 
 「怒るな」という戒めと同時に、自らの心を観る瞑想法の実践が仏教で推奨されるゆえんである。