2015年カナダ
90分
原題は Closet Monster
幼い時に偶然目撃した近隣のゲイに対する悲惨な暴力事件、自分と父親を置いて家を出ていった母親、そしてゲイフォビアで支配的な父親の影響で、ゲイセクシュアリティを宿していたオスカーはそれを抑圧し、青春期を迎える。将来の夢を語り合う仲の良い女友達はいるが、彼女との関係は友情以上のものではない。そんなときアルバイト先の工具店で、自由な感性を持った青年ワイルダーに出会い、初恋におちいる。
観終わって思うのは、まず欧米社会のゲイフォビアの強さである。
この物語の舞台はカナダである。隣国アメリカよりはセクシャルマイノリティに対する理解と受容が進んでいるはず、当事者の自己肯定も容易なはず、と思っていたが、そうでもないらしい。
もっとも、カナダは世界で4番目に同性婚を合法化した国であり、昨年11月にはジャスティン・トルドー首相が、国会において、カナダ政府がかつて行ってきたセクシャルマイノリティの不当な扱いや差別について謝罪した(議員総立ちで拍手)という、たいへん大人な国である。これにくらべると、「同性愛者は非生産的」(自民・杉田水脈)とか「伝統に合わない」(自民・竹下亘)とか臆面もなく暴言をかます日本の国会議員の質の低さは、まさに国辱ものである。本当に日本を愛するなら、すぐに国会から出ていってほしいところである。これで東京オリンピックが成功すると思っているのか?
法や制度が整っていても、理解ある多数の支持者が存在するとしても、長い歴史や宗教や風習によって培われ洗脳されてきた人々の心を変えるのは、簡単ではないということである。自分より下の人間をつくりバッシングすることで劣等意識を解消したがる人間の本性は、一筋縄でいかない。
オスカーが苦しみの果てに、自ら抑圧してきた感情に気づき、過去のトラウマを乗り越え、(象徴的意味合いでの)父親殺しを果たし、自立と自由への道を手に入れていく様は、非常に感動的である。オスカー(=コナー・ジェサップ)がとてもイケメンだということも手伝って、誰が応援せずいられるだろうか?
そう、今一つの気づきは、欧米の強固なエディプスコンプレックスである。眼前に立ちはだかる壁のように強い父を倒すことによって男の子は自立する、という物語はいまも生きているのだ。エディプスはギリシア悲劇に登場する青年だが、この心理構造の真の由来は古代ギリシアではなく、ヨーロッパ中世から近代を分ける二つの指標、すなわちキリスト教(神)の支配からの解放、および絶対王政の転覆(市民革命)であろう。
欧米文化とはそもそも基盤が異なる日本は、日本人は、当然この二つを果たしていない。別になんでもかんでも西欧流にすることが正しいわけでも、必須なわけでもあるまい。日本には、日本の因縁がある。
そう考えたときに、日本のLGBTの今後の動向を占うとすると、たぶん、「西欧のLGBT受容のもはや押し留めようのない流れを受けて、国際標準を求める強い内的外的圧力が日本を襲い、なし崩し的にLGBTに関わる権利や法制度を推進せざるをえなくなるだろう。しかし、冠たるニッポン・イデオロギーの存在ゆえに、流入してきたそれはもともとの欧米流LGBT文化およびその受容形態とは異なり、日本流にアレンジされて、スポイルされて、発酵されて、なにか得体のしれないものになる」。
そう、今一つの気づきは、欧米の強固なエディプスコンプレックスである。眼前に立ちはだかる壁のように強い父を倒すことによって男の子は自立する、という物語はいまも生きているのだ。エディプスはギリシア悲劇に登場する青年だが、この心理構造の真の由来は古代ギリシアではなく、ヨーロッパ中世から近代を分ける二つの指標、すなわちキリスト教(神)の支配からの解放、および絶対王政の転覆(市民革命)であろう。
欧米文化とはそもそも基盤が異なる日本は、日本人は、当然この二つを果たしていない。別になんでもかんでも西欧流にすることが正しいわけでも、必須なわけでもあるまい。日本には、日本の因縁がある。
そう考えたときに、日本のLGBTの今後の動向を占うとすると、たぶん、「西欧のLGBT受容のもはや押し留めようのない流れを受けて、国際標準を求める強い内的外的圧力が日本を襲い、なし崩し的にLGBTに関わる権利や法制度を推進せざるをえなくなるだろう。しかし、冠たるニッポン・イデオロギーの存在ゆえに、流入してきたそれはもともとの欧米流LGBT文化およびその受容形態とは異なり、日本流にアレンジされて、スポイルされて、発酵されて、なにか得体のしれないものになる」。
どんなモンスターが出てくるか楽しみではある。
