四国遍路にいくことになった。
仕事を辞めてフリーになったからには、それしかないだろうと――。

鐘付堂山&羅漢山 038


四国八十八ヶ所通し打ちは、若い時から、「人生で一度はやってみたいこと」の一つだった。
いつかその時が来るだろうと思っていたが、どうやら来たらしい。
今ならまだ体力的に(たぶん)可能だと思うし、周囲の状況も許せる。
養うべき家族もいないし、介護すべき親族もいない。
80代の両親はまずまず健康で、2ヶ月くらい顔見なくとも問題なかろう。 
経済的に余裕のあるわけでは全然ないけれど、2ヶ月分の旅費ぐらいは捻出できるだろう。
帰ったらまた頑張って働けばよい。

ありがたいことに、10年前区切り打ちで満願した友人や四国出身の知り合いがいて、いろいろアドバイスを受けることができた。(高知の道は軍手2枚必須です、ってのは笑った。どんな道だ!)

荷物は出来るだけ軽くしたいので、パソコンは持っていかない。
体力維持のため、基本、宿に泊まる。
日記はアナログ式にペンと帳面でつけることにする。
スマホは・・・・・
最後まで迷いに迷った。

道案内(GPS機能)やら、宿の予約やら、バスや列車の時刻調べやら、遍路同士の情報交換やら、役立つことは今さら言うまでもない。
だけど、スマホを持っていると、どうしてもスマホに頼ってしまいがちになる。
何かにつけポケットから取り出して、路上で、宿で、スマホ操作している自分が目に浮かぶ。
それはあまり好きな絵ではない。
地元の人に道を尋ねたり、宿の人に情報を教えてもらったり、ベテラン遍路に案内を乞うたり、心細いひとり旅ならではの、そうした人との交流の機会が減ってしまうのは本意ではない。
それに、道に迷って途方に暮れて、泣きたくなるところに見えた宿の灯りの安堵感こそ、遍路の醍醐味じゃないか、という気もする。
同行二人の相手はスマホじゃない。


多摩全生園 006
弘法大師


一方、GPS機能だけはあるにこしたことはない。
山の中で道に迷い遭難したら、ケガや死のリスクがあるばかりでなく、周囲にも多大なる迷惑がかかるからだ。(ソルティは愛媛にある西日本最高峰の石鎚山1,982mにも挑戦したいと思っている)
目の前にあるセーフティネットをわざわざ敬遠して、危険を冒すのも大人げない気がする。
ソルティが無事帰ってくることを願ってくれる人が一人でもいる以上・・・。
それに、やっぱり若さを頼みとすることは最早できない。
体調も、退職してからは上がり調子ではあるものの、万全とは言えない。

迷いに迷った挙句、スマホを購入した(2年ぶりである)。

でも、遍路を歩くときはなるべく使わずに、バッグの奥に水戸黄門の印籠のごと忍ばせておこうと思っている。
先人や「へんろみち保存協力会」の人たちが作ってくれた道標や紙地図を一番の頼りにしよう。


へんみち協力会地図表紙


というわけで、近日中に東京からフェリーで徳島入りします。
スマホがうまく使いこなせるようになったら、そして一日30キロ近い歩行のあとに気力体力残っていたら、道中経過をここに上げていきたいと思います。

それでは、お大師さまの大いなる袂に!


鋸山20161207 068