昨日(1/6)は恒例の高尾山初詣でに行った。
もう15年以上になる。
自分もしっかり大乗仏教徒だな。
自分もしっかり大乗仏教徒だな。
リフトに乗って見晴らし台に着くと、休み中に洗われた東京の空は澄みわたって、普段は見つけるのに苦労するスカイツリーがあたかも手の届くところに見える。
横浜の高層ビルの向こうに、相模湾が光の線となって伸びている。
横浜の高層ビルの向こうに、相模湾が光の線となって伸びている。
まだ人の少ない参道を通って薬王院に行き、生きとし生けるものの幸福を祈る。
本堂ではちょうど護摩祈祷が始まるところで、友人とともに堂内に上がり、僧侶たちの迫力ある読経が響く中、火焔を見守った。
本堂ではちょうど護摩祈祷が始まるところで、友人とともに堂内に上がり、僧侶たちの迫力ある読経が響く中、火焔を見守った。
もう十年以上前の話だが、ミャンマーの知人Fさんをここに誘ったことがある。
日本の初詣の慣習を話し、「一緒に祈りに行かないか?」と声をかけた。
ミャンマー人は信仰に篤いと聞いていたので喜ぶかと思ったら、気乗り薄な様子で、
「ソルティさんが行きたいなら一緒に行ってもいい」と言う。
Fさんは初詣客でごった返している薬王院に到着しても、本堂で手を合わせるわけでなし、お守りにもおみくじにも興味ないふうであった。
(ミャンマー人にもいろいろいて当然。Fさんはまだ若いし、それほど宗教心ないんだな)と思った。
数日後、お礼に夕食を振舞いたいと言うので、教えられた高円寺のアパートに出向いた。
Fさんはミャンマーの友人2人と部屋を共有していた。
案内されたリビングに入ってすぐ目についたのは、窓際のテーブルに整然と置かれた20センチくらいの金色の仏像であった。
周囲は美しい花で囲われて、東南アジア特有のお香の香りが漂っていた。
「これは誰の仏像?」とFさんの友人に尋ねたところ、
「みんなのものです。朝晩三人それぞれ拝んでいます」と言う。
台所で食事の支度に余念のないFさんの方を目線で指しながら、
「Fさんもですか?」と聞くと、
「彼が一番、熱心ですよ。彼があの仏像を見つけてきたんです」
意外に思って、仏像を拝んだ後に手に取って調べてみると、鎌倉大仏のミニチュアであった。
「いったい・・・・?」
しばらくあと、Fさんの友人から電話をもらい、Fさんが強制送還されたことを知った。
就労ビザが切れた後もそのまま日本に残って働いていた、いわゆるオーバーステイだったのである。
当時は石原都政で、オーバーステイの在日外国人に対する「魔女狩り」のような摘発が続いていた。
きちんと別れができなかったのを残念に思った。
就労ビザが切れた後もそのまま日本に残って働いていた、いわゆるオーバーステイだったのである。
当時は石原都政で、オーバーステイの在日外国人に対する「魔女狩り」のような摘発が続いていた。
きちんと別れができなかったのを残念に思った。
その後、自分はテーラワーダ仏教(いわゆる小乗仏教)と出会い、本来のお釈迦様の教えを学ぶようになった。
タイ、ミャンマー、スリランカ、ラオスを中心に伝えられている教えである。
そのときになってはじめて、高尾山でのFさんの不可解な振舞いに合点がいった。
高尾山薬王院は真言宗のお寺であり、もちろん大乗仏教である。
Fさんにとっては、まったく別の宗教も同然なのであった。
ソルティがFさんにしたことは、良かれと思ってカトリック教会にユダヤ教徒を連れて行ったクリスチャンみたいなものだ。
弘法大師も不動明王も薬師如来も飯縄大権現(いづなだいごんげん)も天狗様も阿弥陀如来もFさんには異教の神様であり信仰の対象にはならない、もっと言えば「まがいものの仏教」としか感じられなかったであろう。
何も知らずに、大乗も小乗も同じ仏教の仲間と思っていたおのれの浅はかさを、今になって恥じる。
さて、この話のオチはどこにあるか?
Fさんは鎌倉大仏を拝んでいたが、あれ実は阿弥陀如来なのである。
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな