1965年松竹
113分

原作:川端康成
撮影 成島東一郎
音楽 山本直純
出演 
 駒子:岩下志麻
 島村:木村功
 葉子:加賀まりこ


『雪国』(新潮文庫)をはじめて読んだのは高校生の時だった。
世界の名作小説を立て続けに読んでいたのだが、当然日本文学でまず読むべきはノーベル文学賞に輝く『雪国』と思い、手に取った。
背表紙の薄さから「読みやすそう」と思った。

ところがどっこい、なんだかよく分からない小説であった。
筋らしい筋もなく、事件らしい事件もなく、淡々として、幕切れもあっけなかった。
白い雪の中、夜空を焦がす火事の描写は印象に残ったが・・・。

大人の男女の、それも妻ある男と芸者との情事を描いているから、高校生の自分にはまだそのあたりの機微は分からないのかと思った。
が一方、海外の恋愛小説の名作は、『カルメン』にしろ『マノン・レスコー』にしろ『椿姫』にしろ、もちろん『若きウェルテルの悩み』にしろ、登場人物の心情の深いところまでは理解できなくとも、それなりに感情移入することはできた。
『雪国』は登場人物の誰一人にも感情移入を許さなかった。
そもそも、小説には欠かせないと当時の自分が思っていた「ドラマ」というものがここにはなかった。
端的に、面白くなかったのである。
「なんでこれが傑作なんだろう?」といぶかった。

あれから40年――。
映画という形ではあるが今また『雪国』に接してみると、やっぱり面白くはない。
だが、これは西洋風の恋愛小説や人間ドラマではないばかりか、そもそも恋愛もドラマも存在しない作品だったのだと合点がいった。
それは、視点の据えどころでも語り手でもある島村は、恋愛やドラマに埋没できるような情熱というか人間的感情を欠いているからである。
と言って冷たく、非情なわけではない。
駒子をもてあそんでいるのとは違う。(結果としてはそうなっているが)

彼の心を領しているのは虚無なのだ。
夜を走る列車の窓ガラスが鏡となって車内の情景を映すように、彼の虚無を通して、周囲の駒子や葉子らの生が、幻影のように、舞台の踊り子のように、闇夜に舞いあがる火の粉のように、一瞬鮮やかに浮かび上がる。
そんな情景を切り取った小説なのである。
(ソルティもそれが分かるほどには年老いたか)

本作は、そういった川端文学の特質をうまく移管している。
岩下志麻も加賀まりこも一瞬の鮮やかさ、激しさをよく体現している。
二人とも切ないほど美しい。
戦前の日本の田舎の風景、家屋や家具調度の光景がまた懐かしい。

それにしても島村はよく煙草を吸う。
人前でも容赦なくプカプカと煙を吐く。
一昔前の男は皆こうだった。
40年前ですらそうだった。
そこが変わったのは良いことだ。


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評価: ★★★


★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損