2015年発表
2016年風雲舎より邦訳刊行

 カレンダーではない。

 サレンダー(surrender)とは、「降伏する、自首する、身をゆだねる」などの意。スピリチュアル業界では頻繁に目にする単語で、その場合、副題にある通り、「明け渡す」あるいは「流れに身をまかす」「手放す」などと訳されることが多い。

 ほとんどの人は、自分の人生を自分でコントロールしたがっている。コントロールしているつもりになっている。
 何の仕事に就きどこに住むか、結婚するかしないか、するなら誰とするか、子供を持つか持たぬか、家を買うべきか否か、保険に入るべきかどうか、子供の学校はどこにするか、稼いだお金をどう使うか、転職すべきか否か、離婚すべきか否か、どこの介護施設に入るか、お墓はどこに建てるかe.t.c. こういった比較的大きな事柄から、ごく日常的な事柄――今日の夕食は何にするか、どの店で買いものするか、明日は何を着ていくか、このメールに返信すべきか、前に立った妊婦に席を譲るべきかe.t.c.――まで、自分の意志や欲求や好き嫌いによって物事を決めることに慣れている。
 うまくいくこともあれば、望みどおりにいかないこともあるのは先刻承知。うまくいけば happy だし、自分の運の良さや才能や努力を讃えることができる。うまくいかなければ、落ち込んだり、怒ったり、自分や他人を責めたり、八つ当たりしたり、仕方ないと受け入れたり、自分の運の悪さを嘆いたり、自暴自棄になったり、うまくいってる人を妬んだり、世の中や社会を恨んだりする。

 望みどおりにいった事象 望み通りにいかなかった事象

 「望みどおりにいった事象」が「望みどおりにいかなかった事象」よりどれだけ多いかで、人は自分や他人の幸福度を計っているんじゃないだろうか。それも自分だけの尺度を用いて。

 もし、自分の人生を自分でコントロールするのは止めて、流れに身を任せたらどうなるだろう? 自分の意志や欲求や好き嫌いなどの思考のおしゃべりにいっさい耳を貸さないで、人生の差し出すものをそのまま受け入れたら、なにが起こるだろう?

道


 本書は、著者マイケルが自らを対象に生涯かけて行った実験「サレンダー・イクスペリメント(明け渡し実験)」の全容が描かれている。
 ある日、青年マイケルは次のように決心する。

 この実験のルールはとてもシンプルなものだった。
 人生が私の前に何らかの出来事をもたらしたら、私に、自分自身を超えさせるためにそうしているのだととらえる。もし個人的な自己が不平を言ったら、あらゆる機会を利用して、その自己を手放し、人生が私に提供するものに身を任せる。
 
 この実験がマイケルにいったいどんな人生を歩ませ、どこに連れて行ったか。
 奇想天外の驚くべき展開の連続に圧倒される。読む者は、行き先知らぬジェットコースターに乗せられたかのようなスリルとワクワク感に身を投じることになる。

 履歴書的なマイケルのプロフィールを記せば、このようになる。

1947年フロリダに生まれる。フロリダ大学で経済学を専攻、博士号を取る。非常勤講師として働き、月350ドル稼ぐ。
1977年自宅小屋の建築をきっかけにウィズラブ建設を立ち上げ、月数千ドル稼ぐ。
1978年コンピューターソフトの作成を独学で始め、ソフトウェア会社を立ち上げる。医療業務用のソフト「メディカル・マネジャー」を開発、全米の医療業務管理に革命をもたらし、売り上げ数百万ドル、従業員2000人以上の業界トップ企業の最高経営責任者になる。

 まったくの成功者である。アメリカンドリームの体現者といっていいような輝かしき功績と実績、先見の明すぐれたコンピュータ業界および実業界の風雲児。誰もが羨むような人生の「勝ち組」である。
 この履歴書だけしか知らなかったら、人はマイケルを超高層ビルの最上階をオフィスとし、高額所得者ばかりが住むロサンジェルスの高級住宅地にプール付き、ヘリポート付きの屋敷を持ち、世界各地に別荘を持ち、美人秘書を何人もはべらせているような俗物と思うかもしれない。
 ところが、現実のマイケルはジーンズとサンダルを好み、ポニーテールの長い髪をたらし、深い森の中の木の家に住み、インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダを慕い、寺院での朝晩の瞑想を一日たりとも欠かさない、非常にスピリチュアルな人間なのである。
 このギャップ!

 ソルティもそうだが、どうしてもスピリチュアルな人間とビジネスパースンを対極に置いてしまう傾向がある。世俗的に成功している人間がスピリチュアルであるはずがない、スピリチュアルな人間が株や金儲けに親しんでいるわけがない、と思ってしまう。それが偏見であることを本書は教えてくれる。
 マイケルの世間的成功は、まったくのところスピリチュアルな動機(=サレンダー・イクスペリメント)に基づいているのである。彼には、そもそも社会で成功しようとか、有名になろうとか、金持ちになろうとかいう動機は全然なかった。森の中で隠者のように瞑想生活を送りたかったのである。それが「自己を手放し、人生が提供するものに身を任せ」た結果、次から次へと人生は驚くべき贈り物を彼に与え、シンクロニシティ(偶然の一致)をそこかしこでもたらし、必要な時に必要なタイミングで必要な人や物が現れ、当初は一見マイナスと思えた事象があとからプラスに転じていき、最終的にすべてがおさまるべきところにおさまっていく。
 まさに奇跡のような人生!
 
「サレンダー・イクスペリメント」によって展開してきたすべての出来事は、個人的な好みによって生み出される内的な雑音を手放せば手放すほど、私の周囲で微細なシンクロニシティが起こることを示した。それらの思いがけない「偶然の一致」は、人生が向かう方向に私をそっと促すメッセージのように思えた。


シンクロニシティ


 人が人生をコントロールしたがるのは、どうしてだろう? 
  • 安心を得たいから
  • 未知のものに対する不安や恐れ
  • 臆病
  • 今あるものを失いたくない
  • 面倒を避けたがる気持ち
  • 自己実現欲求
  • 自己効力感を味わいたい
 こうした傾向は一般に年を取るほど強まるように思う。年を取るほど、保守的になるし、頑固になるし、変化を受け入れたがらない。自分が既に知っている範囲でしか動きたがらなくなる。老化は体を弱らせ、自信を損なうから、弱気になったり臆病になったりするのは、ある意味やむを得ないところではある。
 が、変化を拒絶し既知の範囲でしか動かなくなると、人生はとたんにつまらなくなる。同じ円の中を同じ価値観の人とグルグル回っているようになる。
 ぬるま湯の中の惰性的な日常の繰り返し・・・。 

 
確かなことが一つある。この旅に出かけた「人間」は決して戻らなかった。人生の流れはいましめをほどく見えない手の役割を果たし、私を自分自身から解き放った。頭の中の声に絶えず煩わされていた私はワラにもすがる思いで人生の腕の中に身を投じた。そのとき以来、私がやってきたのは、目の前に差し出されたことに全力で取り組み、自分の中に湧き起こってくるものを手放すことだった。喜びと痛み、成功と失敗、賞賛と非難、それらはみな私の内部に深く根づいたものを揺るがそうとした。それらを手放せば手放すほど、私は自由になった。
 
 巷によくあるサクセスストーリーのように見えて、中味は正真正銘スピリチュアルな冒険譚。うかつに手を出すと火傷する(笑)



評価: ★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損