1993年講談社刊行

 純文学作品を一気読みすることなど滅多にないのだが、眠る間際に最初のページを何の気なしにペラペラめくっていたら、そのまま引きずり込まれて、結局朝方までかけて読破してしまった。
 難しい本かと思ったら、読みやすくて面白かった。そのうえ、25年前にソルティが行った懐かしきインド(ベナレス)が舞台で、輪廻転生というスピリチュアルミステリーが扱われている。ソルティの胸に投げ込まれた直球のよう。なんでもっと早く読まなかったのか!
 さらに、『沈黙』で描き出され問われた「キリスト教を信仰する日本人が抱えるアンビバレントな思い」という遠藤周作の主要テーマについて、ここでは一応の答えが見出されている。読みやすさにかかわらず、中味はタイトル通り「深い」のである。


ガンジス川

  
 『沈黙』から始まって、『わたしが・棄てた・女』『海と毒薬』そして『深い河』と、ここ最近、立て続けに遠藤周作に手を出している。
 著者が生きていた間は、失礼ながらほとんど関心なかったのに、なぜ今になって?
 なぜ?
 心の内を探ってみた。
 
 著者の主要テーマである「キリスト教と日本人」には昔も今もあまり興味はない。そこではない。
 おそらく、キリスト教という一つの宗教に関わらず、「人間が何らかのスピリチュアルなものを志向する、志向せざるを得ない」――その現象を描いているところに惹かれているのだと思う。
 別に、キリスト教や仏教やヒンズー教といった「宗教」でなくともかまわない。オカルティズムでも芸術でも民間信仰でもオーロラ鑑賞ツアーでも奉仕活動でもよい。日常的な「生活」の枠を超えた、より深く繊細な、より直感的な、より大自然な、より神秘的な、人に敬虔な思いを抱かせる「何か」である。
 で、人間は――個人レベルでも民族レベルでも人類レベルでも――そういった「何か」を持たなければ、最終的に道を誤るんじゃないかという思いが最近とみにするのである。もうちょっとくだけた言い方をすれば、「役に立つか立たないか、金になるかならないか、見栄を満足させるか否か」といった実利的価値観ばかりが生きる指針となったとき、恐ろしい結果が待っているような気がしてならないのだ。

 そんなことを思った直接のきっかけはいささかミーハーで、昨今マスコミを騒がす若いタレントの“ありよう”をネットで(ソルティはテレビ・雑誌・新聞を見ないので)見聞したときに、「なんだか壊れているなあ」と思う子供たちがあまりに多い。それら若いタレントたちが、同世代の一般の若者の“ありよう”を最も純粋なる形で先鋭的に体現しているんじゃないかと思うと、「大丈夫か、日本」と思ってしまうのだ。
 そして、彼らの親世代にあたるソルティらバブル狂乱世代の実利的価値観が、そういう子供たちを大量生産してしまったんじゃないかと危惧するのである。


アイドル



 ソルティは、幸か不幸か、人の親にならなかったけれど、実利的価値観で子育てしてきた親たちは、おそらく、それに見合った苦い報酬を当の子供から受けとるのではなかろうか。

 遠藤周作の作品群は、その多くが書かれた昭和時代よりも、平成が終焉を迎える今、もっとも日本人の心の間隙を打つように思われる。



評価: ★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損