2005年日本放送出版協会発行

 著者の今枝は、現時点で考えられる仏教の最良入門書と言えるワールポラ・ラーフラ著『ブッダが説いたこと』(1959年刊行、2016年岩波文庫)の邦訳者である。
 ソルティは、今枝がこの本を訳しているのをちょっと不思議に思った。
 理由が二つある。

 一つには、『ブータンに魅せられて』(岩波新書、2005年)ほか数多くのブータン関連の本を書いている今枝を、「ブータンの草分け紹介者にしてチベット研究者」と認識していた。彼の経歴には「フランス国立科学研究センター勤務」とあるが、ここから科学者――少なくとも文系なら社会学者か言語学者――を想像するのは無理もなかろう。よもや東洋仏教史(とくにチベット仏教史)専門家とは思わなかった。が、その一環としてのブータン研究だったのである。ブータン仏教は、ダライ・ラマで知られるチベット仏教圏に含まれるからだ。
 本書で今枝は子供の頃からの仏教との関りを述べている。彼が、少年時代(!)からの熱心な仏教研究者であり、志操高い仏教徒であることが伝わってくる。また、フランス国立科学研究センターは、本書によると、「好きな研究をすること、それ以外のことはしてはいけない」場所だったらしい。
 今枝は何にもまして仏教研究者だったのである。
 
 いま一つは、ブータン仏教(チベット仏教)は日本や中国と同じ大乗仏教圏に属する。その意味で、今枝を大乗仏教研究者と考えるのもあながち外れてはなかろう。一方、ワールポラ・ラーフラはスリランカ出身、つまりテーラヴァーダ仏教(小乗仏教)の僧侶なので、ある意味、今枝とは対極的位置にいる。
 別に大乗仏教研究者が、小乗仏教の一僧侶の書いた本を訳しても何の問題もないけれど、たとえばこれが、日本人の密教研究で有名な学者なり、他の追随を許さない親鸞研究の大家なりが同じことをしたと仮定してみると、かなり違和感を持つのではあるまいか。日本は縦割り社会だからである。
 これもまた本書を読むと納得するが、海外生活40年余でフランス国籍を持つ今枝は、「仏教とは何か」「これからの仏教はどうあるべきか」を真摯に追い求め続けてきた人間であり、その根源的問いの前には大乗と小乗の別はさしたる問題ではないようである。
 こう述べている。

 日本人は、もう一度白紙に戻って仏教を見直す必要があるであろう。少なくとも、仏教のルネサンスを考えるのなら、それが出発点であろう。そして、そのための機運は熟している。海外渡航の自由化(・・・中略・・・)によって、海外での仏教の諸々の形態――テーラヴァーダ仏教も大乗仏教も――に実地で接することができるし、何よりも国内外でこの一世紀余にわたって積み上げられてきた、優れた近代仏教研究の成果を活用することができる。そして、仏教を俯瞰的に、全体的に把握し、理解することが最重要であり、急務である。

 また、本書で今枝が紹介するブータン仏教を知れば知るほど、それは同じ大乗仏教であるはずの日本仏教とはまったく様相が異なる。むしろ、距離的にはテーラヴァーダ仏教に近いのでは?とさえ思えてくる。アジア諸国の仏教を国際的見地から長年研究してきた今枝にしてみれば、日本仏教の特殊性は、大乗仏教圏の中でも異様なものに見えるのであろう。上記の熱い思いが、ラーフラの著作の邦訳作業につながったのかもしれない。

 実際、本書を読んでつくづく思ったが、小乗と大乗の違い以上に、「日本仏教」と「それ以外の国の仏教」の違いのほうが格段と大きいのではなかろうか。日本仏教は、極東の島国で変異につぐ変異を遂げたガラパゴス仏教なのではあるまいか。
 
ガラ携
 

 いまさらここで日本仏教の特殊性を一つ一つ列挙するつもりはないが、ソルティが今枝の指摘に強く共感したことの一つに、「日本ではお経が翻訳されずに、漢語のまま使われてきた」というのがある。
 他の仏教国では、もともと古代インドのパーリ語やサンスクリット語で伝えられてきたお経は、輸入されるにあたってそれぞれの国の言語に翻訳され、流通・活用されてきた。お経とは原則、その昔「ブッダが説いたこと」なので、ちゃんと具体的な内容があり、経による難易度の差はともかく、聞けば誰でも理解できるものである。
 ところが、なぜか日本ではお経が翻訳されず、漢語のまま葬儀や法要や呪術で使用されてきた。子供の頃ソルティは、隣の家の爺様が毎日唱える法華経を、ザ・ピーナッツが歌う「モスラの歌」のような呪文と思っていた。お経は外国語の一種であり、ちゃんと意味があると知ったのは成人してからであった。いまだにお経を一種の呪文として、あるいは葬儀や法要の情緒を高めるBGMのようなものとして、とらえている日本人は多いのではなかろうか?  
 「大乗仏教は仏説か否か」ということが云々される以前に、そもそも多くの日本人は、大乗仏教のお経の内容も知らないままに、お経を聴いて唱えている。

 四国遍路でしばらく一緒に歩いていたアメリカ人女性は、それぞれの札所で般若心経を読む際、最初は日本人遍路と同様に漢語で「カンジーザイボサ ギョウジン ハンニャハラミッタジ~」と唱え、次にネットで見つけた英訳を読み上げていた。そして、その度ごとに「諸法無我、一切皆空(苦)」というテーマに彼女なりに思いを致していた。ソルティは、それが読経の正しいあり方と思い、感心したものである。 


一休み


P.S. 最近になって、モスラの歌はインドネシア語であり、ちゃんと意味があることを知った。カサクヤ~♬



評価: ★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損