2003年新潮社

 古本屋の100円コーナーにあった。結構ぶ厚い本だが、パラパラめくると、会話が多く章立ても盛んで読みやすそうだった。「溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。」という裏表紙の煽り文句に釣られて購入した。

 読んでいると、どうもデジャ・ヴューがある。読んだことがあるような気がして仕方ない。同じ兄弟もので放火がモチーフとなっている重松清の『疾走』(重い小説だった)とダブっているせいではないかと思ったが、だんだんつまらなくなって、読むのがしんどくなってきた。
 で、気がついた。
「これは前にも読んで、途中でギブアップした小説だ!」
 ギブアップして、結末だけ拾い読みして(ミステリーなので)、投げたのであった。少なくともこのブログを始める前、つまり8年以上前のことだ。記憶にしっかり残っていなかったので、未読と思ったのであろう。

 今回もまたギブアップした。
 ソルティは、自分で選んだ小説を途中で投げ捨てることはほとんどないので、この小説とはよっぽどそりが合わないらしい。伊坂幸太郎の他の作品は読んでいないので何とも言えないが、もしかしたらこの作家とそりが合わないのかもしれない。(この作家が原作を書いた映画『ゴールデンスランバー』(堺雅人主演、中村義洋監督、2010年)はとても面白かった。ヴィジュアル化すると違和感ないのかも)

 解説で北上次郎がこう書いている。

伊坂ワールドとは「一風変わったキャラクター像、軽快このうえない語り口、きらめく機知、洗練されたユーモア感覚、そして的確で洒落た引用と比喩が効いていて、読むのが愉しくて仕方がない」ものだ。この手の小説に、ストレートな感情表現は似合わない。感情の噴出は物語の水面下に隠して、出来れば知らん顔していたい。

 まったくこのとおりである。その魅力をたまらなく感じる(多分、男の)読者は多いのだろうなあ~と理解はできる。「深刻なことほど軽く扱う」というスタイルに陶酔する男は多いものである。北上自身はこの手のものは「他人事のような気がしてくる」と抵抗を吐露しているが、ソルティも同感である。

 この小説は一見ユーモアミステリーに見えて、ストレートな感情表現を回避するという点で、ハードボイルドなのである。ソルティはヘミングウェイから北方謙三まで、ハードボイルドが駄目なのだ。
 登場する男たち(父と二人の息子)が、感情的に解決していない過去の深刻な問題――妻をレイプされた夫、レイプ魔を父に持つ息子、その二人を父と弟に持つ語り手――に「向き合うまい、向き合うまい」として、ユーモアと機知とジョークのぶつけ合いに逃げるさまは、憐憫を通り越して不愉快ですらある。これをクールと思えないところが、ソルティの「男らしく」ない点なのであろう。



評価: 

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損