1955年講談社
1965年新潮文庫

 芥川賞を獲った「白い人」と、その兄弟編とも言える「黄色い人」の二編から成る著者の出世作。32歳当時の遠藤の深い思索と高い筆力、時代を超えたテーマの普遍性を確認することができる。60年以上経った今読んでも、ちっとも古びていない。


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 「白い人」は、西洋人の神をめぐるアイデンティティの様を描いたもの。
 舞台は第2次大戦中のフランス、リヨン。母国フランスを裏切ってゲシュタポ(ドイツ秘密警察)に協力する語り手の男と、対独地下活動で逮捕され拷問を受ける神父との対峙を描いている。この二人が実は中学の同級生で、二人とも異性に愛されないような醜貌にコンプレックスを抱きながら育ったという共通項を与えることで、かえって対比を際立たせている。

 神を信じない男(=悪)と、拷問されてもなお神を信じぬく男(=善)との分かりやすい対決構図。背景にはユダヤ人大虐殺、ナチ占領下における市民無差別逮捕による見せしめ処刑といった地獄絵図があり、一個人的にも神を信じない語り手には狂信的な清教徒である母親と、生まれついてのサディスティックな性向とが付与されている。つまり、どう考えても、善よりも悪のほうが分がいい。
 後年の『沈黙』や『深い河』につながる「神を信じることの困難」が描かれる。

 読んでいて思った点が二つ。
 一つは、「神を信じるor信じない」といった善悪の対決構図にはまる限り、いずれにしても神(キリスト教)の手の内にあるのではないかという点。善は善であるために、悪は悪であるために、互いを必要としているのだから両者は依存関係にある。神と悪魔は一蓮托生、祭壇の裏で神は悪魔に袖の下を渡している。
 もう一つは、個人の信仰が問題とされる土壌・文化の基盤には、強い個(=自我意識)があるという点。「自分は~を信じる」「自分は~を信じない」「自分は~に身をまかせる」というopinion(意見)が成り立つためには、確固とした主体「自分」が存在することが前提としてある。
 一般に、西洋人(白い人)は、キリスト教文化の中でアイデンティティ形成されつつ成長し、社会化される。「自分」と「神」とが分割したところではじめて信仰の問題が浮上する。だから、この問題も結局、「自分」ある限り、解決のない堂々巡りをするばかりである。というのも、「自分」とは、キリスト教文化の諸相をアイデンティティの根っこに植え付けられた存在だからである。「神」を否定するのは「自分」を否定することになりかねない。
 善悪の対立構造と「自己対神」の問題——この二つのジレンマからなかなか抜けられないのが「白い人」の宿命と言えようか。

 なんてうがったことを思ってたら、そんなこと百も承知の遠藤周作である。
 続く『黄色い人』では、今度は西洋人とくらべたときの黄色い人(日本人)の宗教観、自我意識をテーマにしている。
 時代は太平洋戦争中。布教のため来日したフランス人神父デュランは、日本人女性キミコと関係を持ったことで教会を追われ、世間の冷たい目に晒されながら貧苦のうちにキミコと暮らしている。デュランは、自らの地獄行きを覚悟しつつも、隠れて教会に通うことを止められず、良心の呵責からいまも逃れられない。身内の苦悩は深まるばかり。
 そんなデュランにある日、キミコはこともなげに言う。

「なぜ、神さまのことや教会のことが忘れられへんの。忘れればええやないの。あんたは教会を捨てはったんでしょう。ならどうしていつまでもその事ばかり気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまの方がどれほどいいか、わからへん」

 デュランは自らの置かれているジレンマの構造に気づき、キミコをはじめとする周囲の日本人たちの、死にも罪にも無感動な目の秘密を知る。
 
私は神を拒みながら、その存在を否むことができない。彼は私の指の先までしみこんでいるのだ。それなのに、これらの学生たち、たった今、私の躰にぶつかり通りすぎていった若い男、千葉もキミコも、彼等日本人は神なしにすべてすまされるのだった。教会も罪の苦しみも、救済の願望も、私たち白人が人間の条件と考えた悉くに無関心、無感覚に、あいまいなままで生きられるのだった。これはどうしたことなのだ。これはどうしたことなのだ。

 デュランは神に束縛されない「黄色い人」のありように驚きつつ羨ましく思い、自らもそのように生きようと思った矢先に空襲にやられてしまう。
 デュラン神父の抱えた宗教的ジレンマこそ、幼い頃に洗礼を受けたカトリック作家遠藤周作の背負った十字架だったのであろう。

 むろん遠藤は、多くの日本人の宗教観、自我意識を手放しで褒めたたえ、羨んでいるわけではない。神の審判による善悪の観念つまり「罪」の意識を持たない日本人の歯止めなさ、そして強い「個」を持たず世間の目を内在化して生活している日本人の醜悪さを、遠藤は『海と毒薬』で問いかけた。また、神を持たぬ現代日本人の心の空漠を『わたしが・棄てた・女』で描いた。
 
 白い人と黄色い人、はたしてどちらが幸せなのか?
 そして、黒い人は・・・・・・?
 
 
評価: ★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損