2018年東海テレビ放送
プロデューサー:阿武野勝彦
監督:齊藤潤一、鎌田麗香
語り:仲代達矢
96分
監督:齊藤潤一、鎌田麗香
語り:仲代達矢
96分
恥ずかしいことに、この映画で語られている『名張毒ぶどう酒殺人事件』をソルティは知らなかった。
村の懇親会の席で毒の盛られたぶどう酒を口にした女性5人が殺されたことも、当時35歳の奥西勝が逮捕されたことも、奥西が自供をひるがえして1審無罪を勝ち取ったことも、2審で逆転死刑判決が下されたことも、最高裁への上告が棄却されたことも、奥西が独房から再審を求めるも却下され続けたことも、2015年に奥西が85歳で獄死したことも、闘いを引き継いだ高齢の妹が支援者とともに今も兄の無実を訴え続けていることも、なにも知らなかった。事件が起こったのが昭和36年という、ソルティが生まれる少し前であったことが大きい。自分が生まれた前後十年くらいの事件って、盲点になりがちなのである。
カメラは、事件の舞台となった三重県と奈良県にまたがる小さな山村である葛尾に入り、いまや残り少なくなった当時を知る村人にマイクを向ける。東海テレビが撮り続けてきた事件に関する過去のフィルムが適宜挿入され、山里を恐怖のどん底に陥れ、葛尾という名を一躍全国に知らしめた毒殺事件の全容が再構成される。
そこで明らかになるのは、
村の懇親会の席で毒の盛られたぶどう酒を口にした女性5人が殺されたことも、当時35歳の奥西勝が逮捕されたことも、奥西が自供をひるがえして1審無罪を勝ち取ったことも、2審で逆転死刑判決が下されたことも、最高裁への上告が棄却されたことも、奥西が独房から再審を求めるも却下され続けたことも、2015年に奥西が85歳で獄死したことも、闘いを引き継いだ高齢の妹が支援者とともに今も兄の無実を訴え続けていることも、なにも知らなかった。事件が起こったのが昭和36年という、ソルティが生まれる少し前であったことが大きい。自分が生まれた前後十年くらいの事件って、盲点になりがちなのである。
カメラは、事件の舞台となった三重県と奈良県にまたがる小さな山村である葛尾に入り、いまや残り少なくなった当時を知る村人にマイクを向ける。東海テレビが撮り続けてきた事件に関する過去のフィルムが適宜挿入され、山里を恐怖のどん底に陥れ、葛尾という名を一躍全国に知らしめた毒殺事件の全容が再構成される。
そこで明らかになるのは、
- 決定的な物証がなかったこと
- 奥西に対する警察の自白強要があったらしいこと
- 裁判官が当時から今に至るまで自白調書だけをもとに裁定を下し、その後に出てきた科学的鑑定による反証の数々を無視し続けていること
- 奥西が逮捕されたとたん、複数の村人の証言が奥西に不利となるよう翻ったこと
- 奥西の家族は村八分となって故郷を離れ、身を隠し息をひそめ、苦しい生涯を送ったこと。また今も送り続けていること
- 奥西家の墓が、村人の手によって村の共同墓地から掘り起こされ、畑の中へ追いやられたこと
- 奥西勝は友人が少なく、また分家のため村落内での立場が低かったこと
などである。
観ていて連想せざるを得ないのは、同じ時代(昭和38年)に埼玉県で起きた「狭山事件」である。(こちらはソルティ地元の事件で、部落差別とからまって全国的にも有名になったので、本を読んで知っていた)
決定的な物証の不在、被疑者の逮捕当初の自白重視の裁定、検察側の提出する物証の明らかな矛盾、数度にわたる再審請求の棄却、被疑者の共同体内での立場の弱さ(狭山事件の被疑者・石川一雄は被差別部落出身だった)、強固な家制度を基盤に持つ村落共同体のゆがみ、今も再審を求める支援運動が続いていること・・・。
共通点はたくさんある。
が、もっともソルティが看過できないと思うのは、もし奥西勝や石川一雄が無実ならば、つまりこれらが冤罪事件だったならば、真犯人が半世紀以上野放しになっていたという事実である。時効が成立した現在、生きていればどこかで子供や孫に囲まれ、のうのうと余生を送っていることだろう。
それにしてもつくづくむごいと思うのは、奥西勝は35歳から85歳までの50年間、石川一雄は24歳から56歳までの32年間(現在80歳で仮出獄中)、人生の盛りを獄中で過ごさなければならなかったということである。
映画の中で、今も葛尾に暮らす当時を知る高齢男性は、奥西勝についてなかば憐憫を込めてこう呟く。
「むしろ、生まれてこないほうが良かった」
キリストがユダに対して告げた言葉とまったく同じ。
(ソルティ、実はユダは冤罪だったと思っている)
観ていて連想せざるを得ないのは、同じ時代(昭和38年)に埼玉県で起きた「狭山事件」である。(こちらはソルティ地元の事件で、部落差別とからまって全国的にも有名になったので、本を読んで知っていた)
決定的な物証の不在、被疑者の逮捕当初の自白重視の裁定、検察側の提出する物証の明らかな矛盾、数度にわたる再審請求の棄却、被疑者の共同体内での立場の弱さ(狭山事件の被疑者・石川一雄は被差別部落出身だった)、強固な家制度を基盤に持つ村落共同体のゆがみ、今も再審を求める支援運動が続いていること・・・。
共通点はたくさんある。
が、もっともソルティが看過できないと思うのは、もし奥西勝や石川一雄が無実ならば、つまりこれらが冤罪事件だったならば、真犯人が半世紀以上野放しになっていたという事実である。時効が成立した現在、生きていればどこかで子供や孫に囲まれ、のうのうと余生を送っていることだろう。
それにしてもつくづくむごいと思うのは、奥西勝は35歳から85歳までの50年間、石川一雄は24歳から56歳までの32年間(現在80歳で仮出獄中)、人生の盛りを獄中で過ごさなければならなかったということである。
映画の中で、今も葛尾に暮らす当時を知る高齢男性は、奥西勝についてなかば憐憫を込めてこう呟く。
「むしろ、生まれてこないほうが良かった」
キリストがユダに対して告げた言葉とまったく同じ。
(ソルティ、実はユダは冤罪だったと思っている)
評価: ★★★★
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損