約7年ぶりに水泳を再開した。
 
 就職した20代はじめから、週2~3回プールに通っていた。長旅に出たり、体調をくずしたりした期間を除けば、25年くらい続けていたことになる。会員制のスポーツクラブを利用していたこともあるが、ほとんどは公共施設の温水プールである。
 7年近いブランクがあったのは、介護の仕事をしていた為である。日々十分な運動量があったから、それ以上体を動かす必要を感じなかった。というより、仕事が終わるとヘトヘトで、とても泳ぐ気にならなかった。休日はよく山登りに行ったが、どちらかと言えば、肉体上より精神上の理由からであった。
 
 介護の仕事を辞めて、2ヵ月の四国遍路を終えて、無職も3ヵ月になろうとしている。
 ここに来て、久しぶりに体がなまるという感覚を思い出した。寒いのが苦手なので、室内で本を読んだり、映画を観たり、こうしてブログを書きながら、甘いものを飲んで間食しているので、当然の帰結である。遍路でのせっかくの7㎏減量が3㎏以上リバウンドして、お腹まわりが緩んできたのも当然の帰結である。
 
 「体がなまる」という感覚は、純粋に肉体的なイズイ感を表すだけでなく、精神的なイズイ感をも含んでいる。ちなみに、イズイとは仙台弁で、「物事や気分がフィット(Fit)しない状態」を指す。別の表現で言えば、「整っていない」感じである。
 労働やスポーツやエッチで体を使う機会がないと、気の流れが悪くなり、エネルギーが滞る。すると、精神的に鬱屈した状態になりやすい。放っておくと、何事にも意欲を失ってしまい、それがさらなる活動の低下をもたらし、気の澱みをもたらすという悪循環にはまってしまう。本格的な鬱になると、抜けるのは至難である。
 体のなまりは、早めに解消するにかぎる。

 というわけで、家の近くの公共プール(1時間200円)に通い始めた。
 20、30代の頃は、500~1000mは泳いでいた。隣りのコースでウォーキングしているメタボの中高年利用者を心の中でなじったものである。
「そんなチンタラ歩いているだけじゃ、ダイエット効果ねえよ」

 しかるに、厄年あたりから500m泳ぐのがだんだんきつくなってきて、ウォーキングも取り入れるようになった。ウォーキング20分、水泳30分というように。すると、「歩く瞑想」にもなるウォーキングの大いなる利点に気づいた。
 7年ぶりの今回は、まるまるウォーキング50分で、泳いではいない。五十肩のため、左腕が回せないので、クロール、背泳ぎ、バタフライはNGである。平泳ぎなら大丈夫かと思ったら、通院しているクリニックのリハビリ職員に、「脇を開けるのは良くない」と言われた。犬掻きしかできないではないか・・・。

犬掻き


 腕を前後に振るのや、脇を締めて上肢(肘より先の部分)を左右に動かすのはOKで、筋肉の拘縮を防ぐためにもいいらしい。そこで、30分の前歩き、10分のカニ歩き、10分の後ろ歩きを行っている。
 ちなみに、1時間あたりの消費カロリーは陸上ウォーキングは150kcalに対し、水中ウォーキングは360kcalということである。ポテトチップス1袋分くらいか。


 久しぶりに水泳(じゃなくてウォーキングだが)してみて、つくづくその気持ちよさを実感している。ダイエットなどの肉体的効果は別としても、水に浸かったあとのスッキリ感は格別なものがある。
 以前、友人から「一人で泳いだってつまらないじゃん。なぜ泳ぐの?」と問われて、たいして考えもせずに、こう答えた。
「泳いでいると、悪いことが起きない気がするから」
 それは実感からくる言葉であったのだが、なぜそう思うのかと重ねて問われると、答えようがなかった。
 今になって思うに、水の中で体を動かすことで、体内に溜まった有害な電磁波(=悪い気)が抜けるからではなかろうか。家電のアース線の役割同様に。
 気は同種の気と引きつけ合うので、悪い気を持っていると、悪い物や悪い人とつながりやすい。結果、悪いことが起きやすい。
 
 有害な電磁波を抜く方法として、他にも、土に触れる(畑仕事など)、森を歩く(森林浴)、運動して汗をかく、瞑想やヨガをする、温泉に入る、神社などのパワースポットに行く(でたあ!)、善行をする――なども効果あると思う。仕事やエッチは、どんな仕事か、どんな相手か、によってかえって悪い気をもらってしまうこともあるので、必ずしもベストな方法とは言えないだろう。
 
 文字通り、すべてはソルティののせいかもしれない。
 ただ、水中ウォーキングを終えて、血行が良くなってポカポカしている体を感じながら木枯らしの夜道を帰るとき、安上がりの幸福感にひたるのは悪くない。