2009年新潮社

 副題は「長期LB級刑務所・殺人犯の告白」。
 LB級刑務所とは、刑期8年以上のもっとも罪の重い犯罪者が入れられる刑務所で、全国に5か所しかないそうである。著者の美達大和は1959年生まれの無期懲役囚、二人殺めている。つまり、本書は獄中で執筆されたものである。
 『刑務所で死ぬということ』(2012年中央公論社)を先に読んで、著者の教養の高さと高邁な精神に驚き、このデビュー作を手にした。
 
 本書前半では、美達大和の生育環境を含む半生、殺人事件を起こした経緯、逮捕から裁判の様子、改心のきっかけ、刑務所での生活などが手際よく語られる。
 後半は、LB刑務所で出会った凶悪犯罪者たちの肖像が見事なデッサンで描き出される。寝食を共にする同じ囚人だけが書ける貴重な観察記録である。更生の可能性など微塵も感じさせない罪意識や自省力を欠いた囚人たちの様子に、いかりや長介のように、「ダメだ、こりゃ」と呟きたくなる。

刑務所は教育(矯正)施設か懲罰施設かというテーゼがありますが、LB級刑務所は教育を全く受け入れる余地のない受刑者がほとんどで、最近の監獄行政の変化の為、懲罰という意義も弱くなり悪党ランドになっています。


ディズニーランド

 
 やはり特筆すべきは、美達の知的能力の高さである。『刑務所で死ぬということ』を読んだとき、あまりの文章力の高さに、「おそらく編集者がかなり手を加えているのだろう」と思った。
 が、そうではなかった。美達は子供の頃から「神童、天才児」と言われたほど、抜きんでて優秀だったのである。IQが異常に高く、家で全く勉強しないのに成績はいつもトップ、学級委員や少年赤十字委員長をつとめ、末は東大に行って医者か弁護士かと期待されていた。社会に出てもすぐ頭角を現し、20代で年収億単位を稼ぐ。また、大変な読書家で、月に単行本100~200冊、週刊誌20誌、月刊誌60~80誌を読んでいたという。どんだけ速読よ!

 本書を読んでも、文章力の高さ、論理性、語彙の豊富さ、正確な言葉の用法、古今東西の古典からの引用の数々、それに加えて驚異的な記憶力と観察力は明らか。並み居るプロの物書きを蹴散らす才能である。
 この傑出した才能が良い環境と穏当な社会性を得て順調に開花すれば、おそらく、スティーヴ・ジョブズや孫正義のようなすぐれた事業家か、名だたる篤志家にでもなっていただろう。
 残念なことに、環境が悪かった。
 
 美達大和のパーソナリティを語る上で欠かせないのは、在日韓国人であった父親との関係である。この父親が大変な人物であった。

 父は地元では有名な暴力金融のパイオニアで、傷害事件で前科20犯くらいある凶暴な人でした。新聞紙上で「不良外国人なのになぜ強制送還しないのか」と叩かれたこともあり、還暦を過ぎた時に帰化申請を出したところ、それまで20年近く逮捕がなかったのに若い頃の前科の為に帰化申請が却下されたような人です。警察官、ヤクザ、税務署員等、誰でも殴りとばす人で、ヤクザの足元にライフルを撃ちこんだり、酔って帰って気分が悪いと町内の街灯を銃で撃って大声をあげるような人でした。

 優等生であった美達は、この父親の誇りであり、溺愛された。家には何台もの高級車があり、専属の運転手やお手伝いさんがいて、何不自由なく育てられた。美達にとっても、父親は最愛の肉親であり、最大の影響者にして生涯の目標であり、「進路を教え導く星座のような存在」だった。美達が逮捕されると、父親は毎回裁判を傍聴し、刑務所にも毎日のように面会に来る。父親が肺ガンで亡くなると、「これで私が死のうが生きようが、社会へ出ようが出まいがどうでもよくなった」と美達は思う。
 一卵性双生児のような父と息子の切っても切れない関係が伺える。ファザコンぶりは相当なもの。
 
 本書を読む限り、おそらく美達は自分では認識していないし、他人が言ってもきっと受け入れられない意見だろうと思うが、やっぱり美達は「被虐待児」だったと思う。
 子供の頃の生活描写を読むと、「えっ?」と思うようなエピソードが淡々となんの思い入れもなく書かれている。たとえば、小学5年生の時に母親がある日行き先を告げずに家出してしまったとか、父親も愛人のところに入り浸って家に帰らなくなったとか、家業が傾き給食費も払えなくなって仕方なく知恵を絞って小遣いを稼いだとか、中学の頃喧嘩で補導された時に父親は麻雀に夢中で迎えに来なかったとか、約束を忘れると過剰なくらい殴られたとか、債務不履行者を事務所で暴行する(耳をちぎる)父親の姿を否応なく見せつけられたとか・・・。どう見ても、「育児放棄(ネグレクト)・身体的虐待・心理的虐待」があてはまる「立派な」児童虐待である。
 虐待が子供の心に深い傷を残し、生涯にネガティヴな影響を及ぼすことは言うまでもない。それこそ、美達が殺人という大罪を犯すに至った一番の原因はこの父親にある、とソルティは思わざるを得ない。
 
 ところが、当の美達はこう書いている。

 殺人犯の息子を持った父の苦悩、それも小さい頃から自分の期待通りかそれ以上の成果を出してきた息子が一転、とんでもないことをして互いの未来の夢や楽しみを吹き飛ばし、他の人にも言い尽くせぬ被害と苦しみを与えてしまったのです。
 私は父にとって作品のようなものでした。その父が後悔した心のままに逝ったのかと思うと、そうではないと証を立てなければいけないという使命感を感じたのです。どんなに善行を重ねても私の犯した過ちは消えるものではないですが、良いこともして人生を終えましたとあの世の父に報告したいのです。

 韓国人の文化や親子関係、外からは分からない他家の父と息子の絆、男同士のプライドと意気地など、考慮すべきところはある。なので、一概に言えるものではないけれど、美達大和のアイデンティティが、圧倒的な権威である父親の支配下に形成されている感を受ける。父親の教えを絶対とし、父親の期待を一身に背負い、父親に褒められることを生きがいとし、牢の中でも父親のことを毎日のように考えている。あたかも父親の為に生きてきたかのような生・・・。
 
 美達大和は、社会復帰を望まず、生涯を牢の中で終えることを望んでいる。
 それはまた「親」という名の牢なのではあるまいか。



評価: ★★★ 

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損