1986年集英社
原著は975年(天延3年)前後に成立
著者の藤原道綱母(936-995)は平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘。名前は不詳。一人息子の道綱が右大将だったので、百人一首では右大将道綱母として知られている。
『蜻蛉(かげろう)日記』は、藤原兼家との21年間にわたる愛憎の結婚生活を赤裸々に綴った王朝日記文学の傑作である。
本書は、歌人の生方(うぶかた)たつゑによる主要部分の現代語訳である。

「古典文学の傑作」というレッテルに怖じて読むのを敬遠してしまうのは、まことにもったいない面白さ。王朝時代の黄金期を「愛と歌と息子のため」に生きた一人の女性のなまなましい肉声が、そのまま採録されている。ひたすら夫の愛をもとめ、嫉妬に苦しみ、発散しようのない才能とエネルギーと性欲をもてあまし、人生の不如意とはかなさを悟る女性の姿は、あらゆる時代の女性に通ずるものであろう。
夫の藤原兼家は、最高権力者(太政大臣)に昇りつめた超大物。「この世をば・・・」で藤原一族の栄華を極めた藤原道長の実の父親である。
殿上入りの許されない一受領(今でいうなら県知事?)の娘に過ぎない道綱母は、その非凡な美しさと歌才ゆえ、貴公子兼家に見初められ、第二夫人となった。まぎれもない玉の輿である。
これを現代に置き換えるならば、安倍首相のお妾さん?
いや、権力の質とレベルが違う。一夫一婦制で日陰の身に甘んじざるをえないお妾さんとは、世間的地位も異なる。
より近い喩えをもとめるなら、インドネシアのスカルノ大統領第三夫人であったデヴィ夫人だろう。つまり、富と権力と栄誉を手に入れた民間女性の最高位である。そのうえに、デヴィ夫人同様、道綱母は天下にとどろく才媛であった。歌才では夫兼家を足元にも寄せ付けず、その美貌は本朝三美人のひとりと讃えられた。軟弱ではあるものの優しい息子・道綱にも恵まれた。日本一幸福な女性とみなされてもおかしくはない。
ところが、日記を読めばわかるとおり、彼女は不幸だった。
嫉妬、恨み、妬み、怒り、憎しみ、欲求不満、不安、愚痴、依怙地、悲嘆、絶望、自暴自棄、悲しみ・・・等々、全編からにじみ出る不幸のオーラに圧倒される。幸不幸は、富や権力や見かけからは判断できないという恰好の例を彼女は自ら提供してくれたのである。
殿上入りの許されない一受領(今でいうなら県知事?)の娘に過ぎない道綱母は、その非凡な美しさと歌才ゆえ、貴公子兼家に見初められ、第二夫人となった。まぎれもない玉の輿である。
これを現代に置き換えるならば、安倍首相のお妾さん?
いや、権力の質とレベルが違う。一夫一婦制で日陰の身に甘んじざるをえないお妾さんとは、世間的地位も異なる。
より近い喩えをもとめるなら、インドネシアのスカルノ大統領第三夫人であったデヴィ夫人だろう。つまり、富と権力と栄誉を手に入れた民間女性の最高位である。そのうえに、デヴィ夫人同様、道綱母は天下にとどろく才媛であった。歌才では夫兼家を足元にも寄せ付けず、その美貌は本朝三美人のひとりと讃えられた。軟弱ではあるものの優しい息子・道綱にも恵まれた。日本一幸福な女性とみなされてもおかしくはない。
ところが、日記を読めばわかるとおり、彼女は不幸だった。
嫉妬、恨み、妬み、怒り、憎しみ、欲求不満、不安、愚痴、依怙地、悲嘆、絶望、自暴自棄、悲しみ・・・等々、全編からにじみ出る不幸のオーラに圧倒される。幸不幸は、富や権力や見かけからは判断できないという恰好の例を彼女は自ら提供してくれたのである。
このうえない身分の高い人に嫁した女の生活は、どんなものかと、もし尋ねる人がいたら、その答えにもなるのではないかと思って書いてみた。(序文より)
道綱母の不幸の原因はどこにあったのか?
すぐに出てくる答えは、夫兼家の浮気癖である。第一夫人(正妻)である時姫、第二夫人である道綱母のほかにも、兼家は複数の女性とつきあい、子を成していた。
が、光源氏の例を出すまでもなく、一夫多妻制のこの時代、複数の妻や愛人を持つことは珍しくない。そのうえ、権勢家である以上、権謀術数に役立てる多くの息子・娘を成すことも、ある意味、義務のうちであろう。賢い道綱母がそれを理解できないはずがない。
夫との身分の違い、すでに子を成している正妻(時姫)の存在は、はじめから分かっていたことである。兼家の強引なプロポーズを拒否することは立場上ほとんど不可能であったのは事実であるが、若く凛々しく裕福で将来確かな貴公子からの求婚に、心ときめかない女性はまずいないだろう。ご多分に漏れず、彼女は兼家にぞっこんになったのである。
こういった時代的制約を別にすれば、彼女の不幸の一番の原因は、その性格にあった。
夫は憎い。が、相手の女はもっと憎い。またもや、胸の底の炎がめらめらと燃えあがる。
夫の浮気を、見て見ぬふりをするのが賢女の処世術だといわれているけれど、私は、そんな優等生の妻ではない。それなら、騒ぎたてて夫を困らせてやるか、あるいは直談判で、切りこんでゆくか。
こうして、いつも鬱然と暮らしていたが、あるとき、あのすばらしく時めいていた女(町の小路の女)が、出産してからというものは、あの人から冷たく扱われているとの噂を耳にした。私は、いい気味だことと、一人ほくそ笑みながら、久しぶりに胸が晴れ晴れとする思いだった。あの女を生き長らえさせておいて、私が悩み苦しんだような、辛い思いをさせてやりたいと思っていたら、ほんとうに、そのようになってしまったあげく、大騒ぎして産んだ子も死んでしまったという。
実情を知らない人たちが、あの女をちやほやしているけれど、とるにたらない素性の卑しい女ではないか。急にこんなことになって、どんな気持ちでいることか。
私が苦しんだより、もっともっと苦しめばいいのだ。思いしれ!
ほとんど阿修羅か羅刹である。
このような気の強さ、プライドの高さ、独占欲、意地の悪さ、感情の激しさを見せつけられて(彼女は隠し立てておくことができない)、引かない男がいるだろうか? 足が遠ざからない夫がいるだろうか?
それでも(感心なことに)訪ねてくる兼家に対し、彼女は冷たい取り澄ました態度で応対する。あるときなど、門を閉ざして敷地の中に入れようとすらしない。素直になれないのだ。(このあたりが、根っからの苦労人でホステス経験のあるデヴィ夫人と違うところかもしれない)
嘆きつつ ひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
(あなたの訪れがないのを嘆きながら、一人寝する夜の明けるのは、どんなに長いことでしょう。この苦しみをお分かり?) ――百人一首の彼女の歌
本書を読み進めていくうちに、多くの読者は(男の読者はとくに)、夫にほうっておかれる道綱母に同情するよりも、彼女に振り回される兼家に同情すると思う。そればかりか、兼家の度量の広さ、忍耐強さ、器の大きさ、きっぷの良さ、家人に対する心配り、豪放磊落な人となりに、「さすが天下の大物」と感心することであろう。役者が一枚上手なのである。
息子道綱も成人し、結婚生活も20年になろうとするアラフォーになって、ようやく彼女も丸くなり、そのことに気づく。
しかし、よくよく考えてみれば、夫は私などがどう足掻いてみても、歯に立たない大器であった。
私の誇りとしているものを、いってみれば、学識、歌才、容色、それにデリカシーなど、平気で踏み潰しながら、彼自身は端然と身を保てる人なのである。
彼と私は、常に異なった次元でむき合っていた。私が近づけば彼が退き、彼が近寄ろうとすれば、私は反射的に身をかわしていた。これも彼への執着心と、私自身が固持する誇り(自己愛か)とのバランスが保てなかったことから生じた摩擦であったと思う。
日記執筆のあと、彼女は約20年の月日を世に生きている。夫の兼家は、栄華のうちに彼女より5年早く亡くなった。晩年の二人の関係はどうだったのだろう? 彼女はついに幸福を自らのものとしたのだろうか? 想像するほかない。
ただ一つ確かなのは、彼女の不幸こそが、この作品を執筆させ、千年という歳月読み継がれ、今や現代語はおろか外国語にも訳されるほどの傑作を生んだことである。
藤原兼家は、日本の歴史上の何百人もいた権力者の一人に過ぎない。名前を持たぬ彼女の作品は永遠の生命を得た。
評価: ★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損