2018年ドキュメンタリージャパン製作
100分
ポレポレ東中野で『眠る村』を観た時、予告編でやっていた。
「三段壁」という観光名所(自殺名所)がある和歌山県白浜町で、自殺志願者たちを思いとどまらせ、社会復帰させる取り組みをしている牧師・藤藪庸一の日常を描くドキュメンタリー。
上映終了後、会場に来ていた加瀬澤監督からの挨拶があった。
この映画を撮った動機として、「自分にドキュメンタリーを教えてくれた師匠が自死したのがショックだったから」と述べていた。名作『阿賀に生きる』の佐藤真監督のことである。
藤藪牧師は、三段壁にある「いのちの電話」の看板を見て電話をかけてきた人々のもとに駆けつけ、その場で何時間も説得し、教会に連れて帰り、落ち着かせ、彼らと共同生活を送る。運営している弁当屋で彼らの仕事をつくり、給料を支払い、社会復帰の足がかりを提供する。教会では共に祈り、仲間同士のミーティングを行い、生活を立て直すための相談や助言を行う。
このようにして関わった人はこれまでに900人を超えると言う。
「夜回り先生」の異名を持つ水谷修や、秋田で中小企業の経営者を対象に自殺防止の活動を行っている佐藤久男など、悲惨な現状を見るに見かね、一人立ち上がって、苦しんでいる人々に手を差し伸べる「知られざるヒーロー」は、各地にいるんだなあとまず思った。
むろん、まったくの独力ではなくて、行政や警察や福祉医療の専門家や地域住民やボランティアらとの連携・協力はあるのだろうが、やはり、「核となる肝の据わった人」の存在、いわゆる Key person(キーパーソン)が重要なのである。
孤独や絶望で自暴自棄になっている者は、キーパーソンと出会い、その確固たる存在感や信念に触れ、その言動から杓子定規でもおためごかしでも逃げ腰でもない「本気」や「熱意」を感じ取り、自分のことを真剣に思っている人がここにいることを知って、人を信頼することを思い出し、希望の光を見つけ、すんでのところで「生」に踏みとどまることができるのだろう。
こういう人が存在すると知るだけで、「世の中捨てたもんじゃない。日本はまだまだ大丈夫かも」と思える。
むろん、まったくの独力ではなくて、行政や警察や福祉医療の専門家や地域住民やボランティアらとの連携・協力はあるのだろうが、やはり、「核となる肝の据わった人」の存在、いわゆる Key person(キーパーソン)が重要なのである。
孤独や絶望で自暴自棄になっている者は、キーパーソンと出会い、その確固たる存在感や信念に触れ、その言動から杓子定規でもおためごかしでも逃げ腰でもない「本気」や「熱意」を感じ取り、自分のことを真剣に思っている人がここにいることを知って、人を信頼することを思い出し、希望の光を見つけ、すんでのところで「生」に踏みとどまることができるのだろう。
こういう人が存在すると知るだけで、「世の中捨てたもんじゃない。日本はまだまだ大丈夫かも」と思える。
一方、映画を観ていて抱いたのは、「藤藪牧師、バーンアウトしないだろうか?」という心配である。
あまりに忙しすぎるし、一人で抱えすぎるような印象を持った。二人の偉大なるカミ(神様とかみさん)につねに見守られ助けられているとはいえ、疲労といらだちは隠せない。
藤藪牧師がせっかく救った青年――社会復帰に向けて励まし、見守り、叱り、教育し、仕事の機会を与えた青年が、教会を離れ地元に帰ったあと自殺してしまう、という悲しいエピソードで映画は終了する。このように過酷なシチュエイションをおのれの中で処理するのは、容易なことではなかろう。
組織をバックに持つ専門家なら、こういう場合、スーパーヴァイザーにカウンセリングを受けるといった手立てがある。気分転換や休養も必要だ。藤藪牧師に自らの癒しの時間や手立てはあるのだろうか? 信仰の力は万能なのか?
また、専門家の場合、最初の緊急時対応(自殺を思いとどまらせる)が済んで相手が落ち着いたあたりからは、一定の枠と方法を持った相談体制に移ることが多い。映画で見た限りに過ぎないが、藤藪牧師はかなり個人技に頼っているような印象を受けた。数百人の成功体験に支えられているとは言え、これを続けるのは結構しんどいのでは?
批評的に言うなら、牧師の超人的なタフネスの背景にあるものについて突っ込んでほしかった。
あまりに忙しすぎるし、一人で抱えすぎるような印象を持った。二人の偉大なるカミ(神様とかみさん)につねに見守られ助けられているとはいえ、疲労といらだちは隠せない。
藤藪牧師がせっかく救った青年――社会復帰に向けて励まし、見守り、叱り、教育し、仕事の機会を与えた青年が、教会を離れ地元に帰ったあと自殺してしまう、という悲しいエピソードで映画は終了する。このように過酷なシチュエイションをおのれの中で処理するのは、容易なことではなかろう。
組織をバックに持つ専門家なら、こういう場合、スーパーヴァイザーにカウンセリングを受けるといった手立てがある。気分転換や休養も必要だ。藤藪牧師に自らの癒しの時間や手立てはあるのだろうか? 信仰の力は万能なのか?
また、専門家の場合、最初の緊急時対応(自殺を思いとどまらせる)が済んで相手が落ち着いたあたりからは、一定の枠と方法を持った相談体制に移ることが多い。映画で見た限りに過ぎないが、藤藪牧師はかなり個人技に頼っているような印象を受けた。数百人の成功体験に支えられているとは言え、これを続けるのは結構しんどいのでは?
批評的に言うなら、牧師の超人的なタフネスの背景にあるものについて突っ込んでほしかった。
『ちょっと前までは、ある程度歳いった人が、親も亡くなって兄弟や友人とも疎遠になり、孤独苦から自殺を考えるケースが多かった。いまは、親は普通にいて、別に虐待されているとかいうわけでもないのに、「自分の居場所がない」と言って自殺を考える若者が多い』
――という牧師のかみさんの言葉が印象に残った。
評価: ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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