1986年集英社
原著は1008年(寛弘5年)頃成立

先に取り上げた『蜻蛉日記』と合わさって集英社「わたしの古典シリーズ」の一冊を成している。
王朝時代の才高き女性の手になる日記文学という点で、この2作品が組み合わせられるのは別に不思議ではないけれど、女の半生あるいは女の恋愛事情という視点からみたとき、取り合わせの妙にうならされる。

先に取り上げた『蜻蛉日記』と合わさって集英社「わたしの古典シリーズ」の一冊を成している。
王朝時代の才高き女性の手になる日記文学という点で、この2作品が組み合わせられるのは別に不思議ではないけれど、女の半生あるいは女の恋愛事情という視点からみたとき、取り合わせの妙にうならされる。
というのも、道綱母と和泉式部は、同じ受領(今の県知事?)階級の親や夫を持つ出自の女であること、どちらも並々ならぬ歌才と美貌に恵まれたこと、身分違いの恋に身を焼かれたことなどはまったく同じなのであるが、二人の性格と恋愛事情は真逆だからである。
道綱母がその気の強さや高すぎるプライドゆえに夫・藤原兼家に疎まれて「独り寝の夜」を悶々と嘆き過ごしたのにくらべ、和泉式部は多くの高貴な男たちに愛された恋多き女であった。あの藤原道長から「浮かれ女」と呼ばれたほどである。下ネタになるが、道綱母が「蜘蛛の巣」嬢だとすれば、和泉式部はその名の通り「枯れなしの泉」であった。こと性愛に関しては、和泉式部圧勝である。
一番の勝因は、和泉式部の「いじらしさと可愛さと隙の多さ(を演じられること)&貞操のゆるさ」にあるのがこの日記からは伺える。
和泉式部(978年頃-没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。百人一首では、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」が採られている。
その半生はスキャンダラスの一言に尽きる。
ドラマ化しないかなあ? 絶対面白いのに…。
最近の女優はまったくと言っていいほど知らないのだが、仲里依紗なんか主役にどうだろう?
『和泉式部日記』では、この華々しい男性遍歴(上記は一部のみ)のうち、敦道親王との恋愛模様が描かれている。
出会いから始まって、最初の契り(セックス)、周囲の目を盗む忍び合い、行き違いや勘違い、嫉妬や煩悶、いよよ高まる情熱、親王による自宅への拉致、スキャンダル炎上、ついには親王の正妻が家出するまでを、百首を超える歌のやり取りを中心に、三人称体(「私は・・・」でなく「女(式部)は・・・」)で書いている。
歌の良し悪しのわからないソルティにとっては、思わず、「勝手にやってろ!」と言いたくなるような、のろけ満載のシンデレラストーリー&ハーレクインロマンス&和製エマニエル夫人である。
車とはもちろん牛車である。ギシギシ音を立てながら、屋形(やかた)が揺れ動いているのを、通りすがりの夜勤達や随身ども、それに牛さんはどう思っていたのだろう?
王朝時代の男女の恋のありようを知りたい人や、男がほうっておかない女になるコツを会得したい人にとって、格好のテキストたりうる古典である。
評価: ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
一番の勝因は、和泉式部の「いじらしさと可愛さと隙の多さ(を演じられること)&貞操のゆるさ」にあるのがこの日記からは伺える。
和泉式部(978年頃-没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。百人一首では、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」が採られている。
その半生はスキャンダラスの一言に尽きる。
- 和泉の守であった最初の夫(橘道貞)との結婚が破綻
- 冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との身分違いの恋で世間を騒がし、父親から勘当される
- たよりの為尊親王が26歳という若さで逝去
- その一周忌も経たぬうちに、今度は弟宮である敦道親王とできる。親王は、和泉式部に夢中になり、周囲や世間の非難もものかは、式部を自宅に引き取る。皇后を姉妹に持つほどに身分の高い正妻(藤原済時の娘)はプライドをずたずたにされ、怒り心頭に発し、実家に帰ってしまう。
- なんという不運か、敦道親王もまた27歳で逝去(このへん陰謀臭い)
- またしても独りぼっちになった式部に声をかけたのは、「この世をば・・・」の藤原道長(もちろん男女関係ありと見るべき)
- 道長の娘で一条天皇后・彰子の女官として採用され、紫式部や赤染衛門、それに最初の結婚でできた娘の小式部内侍らと共に雅やかに彰子サロンを盛り立てる。(日記を書いたのはこの頃らしい)
- その後、道長の忠臣である藤原保昌と再婚し、夫の任国・丹後に下る
- 晩年は出家したと思われる
ドラマ化しないかなあ? 絶対面白いのに…。
最近の女優はまったくと言っていいほど知らないのだが、仲里依紗なんか主役にどうだろう?
『和泉式部日記』では、この華々しい男性遍歴(上記は一部のみ)のうち、敦道親王との恋愛模様が描かれている。
出会いから始まって、最初の契り(セックス)、周囲の目を盗む忍び合い、行き違いや勘違い、嫉妬や煩悶、いよよ高まる情熱、親王による自宅への拉致、スキャンダル炎上、ついには親王の正妻が家出するまでを、百首を超える歌のやり取りを中心に、三人称体(「私は・・・」でなく「女(式部)は・・・」)で書いている。
歌の良し悪しのわからないソルティにとっては、思わず、「勝手にやってろ!」と言いたくなるような、のろけ満載のシンデレラストーリー&ハーレクインロマンス&和製エマニエル夫人である。
こうして、式部と二、三日、寸瞬も離れずお過ごしになられた宮さまは、式部の会話や和歌の才に、改めてお目をひらかされたご様子であった。この人は、ただ色香だけで男を魅惑するのではないことを確信した宮さまは、式部をもう誰の手にも渡すまいと、固くお心に決められたのだった。
式部はまた式部で、宮さまの率直で荒々しい男の若さに惹かれ、あの端麗なお姿からはとても想像できぬ逞しさを感じとっていた。こんな魅力的な男性は、もう私の前には現れないであろうと思うと、宮さまから、ますます離れがたくなってゆく式部である。
宮さまは、人が寝静まったころを見はからって、お出でになられ、お車にお乗りになると、式部をいきなり抱きしめられた。せまい車の中での抱擁に、今まで抑えていた二人の情熱は、はげしく燃えあがってゆく。
その車の側を、宿直の男たちが、ときおり往き来するが、例のように右近の尉(じょう)と、童とが車の近くを護衛しているのだった。
車とはもちろん牛車である。ギシギシ音を立てながら、屋形(やかた)が揺れ動いているのを、通りすがりの夜勤達や随身ども、それに牛さんはどう思っていたのだろう?
王朝時代の男女の恋のありようを知りたい人や、男がほうっておかない女になるコツを会得したい人にとって、格好のテキストたりうる古典である。
評価: ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損