2011年新潮文庫
世間にはいろいろな闘病記が出回っている。昨今は、自閉症やアスペルガー症候群や強迫性障害や双極性障害(躁鬱病)など、精神に関わる病を患った本人の手記やマンガも発表されている。これらの障害に対する理解を深め、偏見をなくすためにも良いことだと思う。
が、よもや統合失調症の本人の手記が出ているとは知らなかった。
ソルティは統合失調症の人と話したことも手紙をもらったこともあるが、「ちょっとなに言ってるかわからない」(byサンドウィッチマン富澤)と正直思った。代表的な症状である妄想はもちろん、話が飛ぶ、脈絡がない、同じ話の繰り返し、主語や目的語がない・・・・。まともに応対していると、こちらの頭がおかしくなりそうな気がしてくる。
が、よもや統合失調症の本人の手記が出ているとは知らなかった。
ソルティは統合失調症の人と話したことも手紙をもらったこともあるが、「ちょっとなに言ってるかわからない」(byサンドウィッチマン富澤)と正直思った。代表的な症状である妄想はもちろん、話が飛ぶ、脈絡がない、同じ話の繰り返し、主語や目的語がない・・・・。まともに応対していると、こちらの頭がおかしくなりそうな気がしてくる。
だから、名だたる新潮文庫の一冊に加えられるレベルの、誰もが読んで理解できる文章が当事者に書けるとは、失礼ながら想像していなかった。
著者の小林和彦は、1962年横浜生まれ。早稲田大学卒業後、アニメ制作会社に就職し、『タッチ』『ドラえもん』『クリィミーマミ』などの演出やコンテを担当する。1986年7月、おニャン子クラブのコンサートを見に行ったのが引き金となって統合失調症を発病。以後、入退院を繰り返す。現在は、新潟県にあるグループホームで仲間と共同生活しながら、精神科のデイケアに通っている。(2011年時点)
読んでいると、やっぱりこちらに伝染してきそうなゾワゾワ感が募ってくる(ソルティもあやうい領域にいるからかもしれない)。急性期(本人は「発狂」と書いている)における妄想を書いた部分など、奇妙とか異常とか滑稽とか言う以上に、悪夢でも見るような怖さ・不気味さに襲われる。
そうこうしているうちに空が白んできた。郵便屋らしきバイクの音が四、五回して家の前に停まって、何か郵便物をポストに入れては去っていった。妹に、僕の扱いに関する指令を届けているんだと思った。すずめが鳴き始めた。最初は訳のわからないすずめの声だったが、だんだんそれが日本語に聞こえ始めた。
「木梨か?」
と聞くと、
「チュン(はい)」
と答えた、木梨武憲はこれ以降、すずめの声で僕と交信を取り始めたのだ。
発狂する。店の中に倒れる。警察官の格好をした竹下登が僕の顔をのぞき込み、「大丈夫か」と声をかける。パトカーに乗り込むと、後部座席に警官の格好をした芝山さんが乗っていた。「芝山さん、ふけましたね」と話しかけると、「ウヒャヒャヒャヒャ」と芝山さんにしかできない笑いが返ってくる。
※ソルティ注 : 木梨武憲はタレント、竹下登は政治家、芝山さんは小林の元勤め先「亜細亜堂」の社長
カフカのような、安倍公房のような、ムンクのような、テリー・ギリアムのような、不条理と不安におおわれた世界である。
一方、急性期以外の時の文章は、明晰で、論理的破綻も見られない。むしろ知的能力の高さ(何と言っても早稲田だ)を感じさせる。記憶力もすごい。
世の中には武器メーカー、武器商人をはじめとして、平和になってしまったら困る人々がゴマンといるのだ。平和にしたくない人が、平和にならないように行動しているのと同じように、いやそれ以上に、平和な世の中を築こうと強い信念を持って行動しなければならないのではないか。日常生活のレベルでも、一人一人が周りの身近な人達との関りの中で、仕事をしながら、子供を育てながら、恋人と愛を語りながら、平和のことを考える。本当に平和を望むなら、まずそういう姿勢か態度か習慣が必要ではないかと思ってしまった。
精神科医の岩波明が解説を書いている。
それによると、やはり統合失調症患者が、自らの体験を客観的に描いた手記は世界でも珍しいらしい。思考や言語の障害を伴う病気の性質上、しかたのないことである。その意味で、本書は臨床的な価値も持っていると言える。
著者は、自らの誕生から子供時代、アニメ同好会で同人誌づくりに夢中になった学生時代、尊敬する先輩と共にアニメ制作の仕事に打ち込んだ社会人時代、そして発症から今までの経緯を、世相や流行りの文化に触れながら、順に語っている。
70~80年代のサブカルチャーシーンを代表する懐かしい人や作品の名前がたくさん登場し、同世代のソルティにとって、昔を振り返る楽しさがあった。
また、昭和天皇崩御、手塚治虫や美空ひばりら大物有名人の死、埼玉県幼女連続殺人事件の犯人逮捕、土井社会党の圧勝と田中角栄の引退、天安門事件にベルリンの壁崩壊に冷戦終結宣言など、内外で時代が大きく動いた1989年に著者の筆は触れている。平成が終わる今、「時代」について考えていた矢先だったので、妙な符牒を感じた。(この「符牒を感じる」ってのが病の前兆の一つらしい)
ベルリンの壁記念碑
統合失調症患者というと、昔も今もイメージは決して良くない。理由もなくいきなり暴力を振るうのではないかと恐れられたり、社会から外れた人と可哀そうな目で見られたり、専門病棟に隔離されて薬漬けにされた廃人同様のイメージを持たれたり、うかつに近寄りがたい厄介な存在と思われている。
しかし、この手記を読んで、小林を「可哀そうな不幸な人」と思うことはまったくなかった。小学生時代にクラスメートが指摘した彼の長所「活発、ユーモアがある、積極的、人づきあいがいい、マンガや絵がうまい」が、発症後もそのまま残っていて、家族や学生時代からの友人や元仕事仲間や入院先の医療従事者から愛されている様子が伝わってくる。発病がもとで彼から離れていった人はほとんどいないようである。亜細亜堂などは、二度も復職を受け入れている。
病人としての小林はまた、明るく自己肯定的で、社会を変革したいという使命に燃えている。よく本を読み、よくものを考えている。基本、「愛されキャラ」なのだろう。
ソルティが介護の現場で接してきた認知症患者と同じように、統合失調症患者もまた、自分なりの正当な論理や理屈があって行動しているのだろう。その世界を理解はできないにしても、否定しないで接することが大切なのだろう。
最後に、小林の妄想にはスピリチュアル業界の言説と重なるものが多い。まるで、「悟り」と紙一重のよう。これもまた患者によく見られる障害の一つらしい。
僕がこの世界を作っている。もう少し穏当な表現をすれば、僕が見知っているこの世界は、僕のイメージの産物だ、ということに気がついてしまった。空想的な遊びではなく、実感してしまったのだ。
自分と世界(宇宙)がリンクしている感覚は常にある。外的宇宙と内的宇宙は多分同じモノだと思っている。だから人並の生活が送れないのかもしれない。本来つながってはいけないものがつながっているのだ。頭の中にスイッチがあればいいのだが、それが壊れているので、つながっている感覚が強く出てきたら、ヒルナミンを飲んでおとなしく寝るしかない。
“自我”障害とはよく言ったものだ。
評価: ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損