2005年柏書房
2008年角川ソフィア文庫
光源氏や藤原道長に代表される王朝貴族たちにとって、考えられ得るもっとも恥ずかしいことは、帽子を取られて丁髷(チョンマゲ)を人目に晒されることであった。この時代の帽子とは冠や烏帽子のこと、チョンマゲとは髻(もとどり)のことである。
平安時代の人々は、男性であっても、出家して僧侶になったりしない限り、髪の毛は長く伸ばしておくものであったが、成人した男性は、その長い髪の毛を頭頂部で束ねて丁髷のようにすることになっていた。これが「髻」と呼ばれたわけだが、この髻は冠や烏帽子(えぼし)などの被り物によってつねに他人の眼から隠しておくべきもので、これを人眼に晒すことは、現代人の感覚に置き換えてみると、人前でズボンがずり落ちて下着を見られてしまうくらいに恥ずかしいことであった。
「見せパン」ファッションなんてものがある現代の若者にとって下着を見られるくらいどうってことないかもしれない。むしろ、パンツを脱がされたくらいの感覚か。
実際、王朝貴族たちは愛する女性と一戦交えているときでさえ、下着は取っても帽子だけはとらなかったらしい。想像すると笑える。(庶民はどうか知らない)
時は万寿元年(1024年)、所は宮中紫宸殿。
相撲観戦している後一条天皇はじめお歴々の面前で、二人の貴族が、お互いの髻をつかんで取っ組み合いの喧嘩を始めた。すなわち、互いの帽子を奪い合っての殴り合いである。
現代に置き換えると、天皇皇后両陛下が主宰する園遊会で、内閣総理大臣はじめ大臣一同、政府要人、都道府県知事、叙勲者、各界の著名人らが参列する目の前で、二人の国会議員が裸で追っかけっこしているようなものか。
恥知らずというか、傍若無人というか。
しかも、このような恥知らずの暴力行為は、雅びをこととする平安貴族の世界で結構あったらしい。
王朝時代に生きた現実の貴族たちは、さまざまな場面において頻繁に暴力事件を起こした。自宅で、他家で、路上で・・・・・。「王朝貴族」と呼ばれる貴公子たちは、いろいろなところで殴ったり蹴ったりの暴力行為に及んでいたのだ。ときには、宮中において、天皇の御前であることを憚らずに取っ組み合いをはじめることさえあった。
本書は、道長や紫式部と同時代に生き、賢人の名声をほしいままにした右大臣藤原実資(小野宮右大臣)の書き残した日記『小右記』をもとに、王朝貴族(皇族含む)の起こしたさまざまな暴力沙汰を描き出したものである。映画なら「R15+」指定(15歳未満は入場禁止)がふさわしい。
一読、『源氏物語』をはじめとする王朝女流文学に描き出されている貴公子たちのイメージはがらがらと崩れ落ちる。優雅で美しく、情緒を解し、歌や音楽を好み、ひたすら縁起を担ぎ、お洒落とナンパにうつつを抜かし、暴力とは縁のなさそうな色白でなよなよした優男(やさおとこ)――といったイメージの上流貴族たちは、どうやら物語の中だけの存在だったようである。
本書に見られるのは、酒を飲んではつまらないことで場所柄もわきまえず喧嘩を始め、ごろつきばかりの従者を使って敵の屋敷を打ち壊し略奪し、女性を強姦し、祭りの見物席の取り合いで乱闘を起こし、気に食わない相手を拉致・監禁して集団暴行し、自分の家の前を通過する牛車に石つぶてを投げて震え上がらせ、庶民の行き来する白日の都大路で取っ組み合いを始める――まるで暴力団か半グレのような上流貴族たちの姿である。
別記事『感情を出せない源氏の人びと 日本人の感情表現の歴史』(大塚ひかり著)で、王朝貴族たちの感情表現の特徴として、「感情(とくに怒り)を表に出さないことが上流の嗜み」と書いたけれど、あれはやっぱり物語上のこと、つまり、紫式部をはじめとする女流作家たちの理想の男像なのであろう。紫の上や六条御息所など『源氏物語』に登場する女性たちはともかく、光源氏や薫など少なくとも男の登場人物に限っては、式部の身の回りにいた現実の男たちとはまったくかけ離れている。その点では、『源氏物語』は写実小説でなくハーレクインロマンスあるいは宝塚なのだ。
上流貴族や皇族たちがいとも簡単に暴力沙汰を起こしたのはなぜか。
酒のせいもある。熾烈な権力争いのせいもある。主流からはじかれた者の怨恨・怨念もある。また、彼等が超法規的な立場にあったこともある。(たとえば、貴族が庶民を殺しても、庶民の女を拉致強姦しても罪にはならない。上位の貴族の蛮行に対して下位の貴族は泣き寝入りするほかない)
が、彼らのわがままを助長させた見逃せない要因は、ボンボン育ちという点にあった。
たとえば、とりわけ目に余る乱暴狼藉を繰り返したのは藤原道長の息子たちであったが、彼らは、「揃いも揃って、若い頃から何の苦労もなしに高い地位にあった」。
酒のせいもある。熾烈な権力争いのせいもある。主流からはじかれた者の怨恨・怨念もある。また、彼等が超法規的な立場にあったこともある。(たとえば、貴族が庶民を殺しても、庶民の女を拉致強姦しても罪にはならない。上位の貴族の蛮行に対して下位の貴族は泣き寝入りするほかない)
が、彼らのわがままを助長させた見逃せない要因は、ボンボン育ちという点にあった。
たとえば、とりわけ目に余る乱暴狼藉を繰り返したのは藤原道長の息子たちであったが、彼らは、「揃いも揃って、若い頃から何の苦労もなしに高い地位にあった」。
道長の息子たちの昇任は、どうかすると光源氏のそれをも上回るような勢いであった。
しかし、物語の主人公である光源氏とは異なり、彼らには生まれついての賢明さなどというものはなかった。そのため、彼らは自身で賢明さを身につけていかなければならなかったのである。だが、彼らの大半は、そうしなかった。そんなことをせずとも、父親の持つ権力がいくらでも高い地位を与えてくれたからである。
かくして、御堂関白道長の息子たちの多くは、賢明さをかけらも持ち合わせていないような、幼稚な貴公子へと成長したのであった。
どこかの国のボンボン権力者を思わせる記述だが、この世に「欠けたることなし」と歌った道長も、自分の息子たちの愚行ばかりはどうにもならなかったようである。
評価: ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損