2002年日本映画
119分

原作 山本周五郎『なんの花か薫る』、『つゆのひぬま』
脚本 黒澤明
出演 清水美砂、遠野凪子、永瀬正敏、吉岡秀隆

 巨匠黒澤明監督(1910-1998)が、遺作となった『まあだだよ』(1993年)の次に撮ろうと思っていた作品である。黒澤自身、脚本と絵コンテを書いて準備していたが、ラストの洪水シーンにかかる莫大なコストがネックとなり、制作に至らなかったそうである。
 その後、黒澤明の遺志をついだ息子黒澤久雄の依頼に応じ、熊井啓監督によって映画化された。

 熊井啓は、『黒部の太陽』(1968年)、『地の群れ』(1970年)、『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)、『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(1981年)、『日本の黒い夏─冤罪』(2001年)といった社会派映画や、『海と毒薬』(1986年)、『深い河』(1995年)、『愛する』(1997年)など遠藤周作原作の文芸映画を撮っている。重厚で、観た後に深く考えさせられるような作品が主流である。国際的評価も高い。(ソルティと問題意識が重なる)
 そのラインナップからすると、深川の遊女の切ない恋模様を描いた本作はかなり異質と言える。同じ娼婦を描いた『サンダカン八番娼館 望郷』のような悲愴感や社会批判は見られないし、同じ男女の恋愛を中心に置いた『愛する』のような崇高さや宗教性も見られない。純粋に娯楽映画と言っても間違ってはいまい。
 その理由は、むろん、この作品が黒澤明の脚本と絵コンテ、彼の遺した手書きノートなどをもとに作られているからである。良くも悪くも「文学的あるいは社会批評的な」いつもの熊井調は薄められ、純粋に「絵的な・映画的な」作品に仕上がっている。ソルティがこれまでに観た熊井のどの作品よりも、映画的で美しい

 遊女たちの着物に代表される色彩の美しさ、日本が世界に誇る美術監督木村威夫による遊郭風景のゆかしさ、黒澤の絵コンテをもとにした構図の見事さ、遊郭周囲の自然の美しさ、江戸時代の夜の美しさ。切なくもドラマチックなストーリー展開とは別に、観ていて幸福感に包まれる映画的空間は、黒澤明単独でも、熊井啓単独でも、生み出しえない性質のものである。二人の大先輩である溝口健二の名前を出したいところだ。

 役者では、凛と気風のいい遊郭の姉さんを演じた清水美沙が良い。こんなに上手い女優とは知らなかった。そのヤクザのひもを演じた奥田瑛士もいい。途中まで奥田とは気づかなかったくらい、いやらしい性悪ぶりを滲みだしている。主役の遠野凪子は熱演ぶりが好ましい。

 女性が主人公のラブストーリーは、熊井監督にとっても珍しいが、黒澤明にとってはおそらく長い監督人生で初めてじゃないかと思う。それも、DVDの特典映像で熊井監督が繰り返し述べているように、この作品は、「黒澤監督がフェミニストであった」ことを匂わせる内容である。
 黒澤明とフェミニズム――。ちょっと思いも寄らなかったマッチング。(これが、黒澤と同年デビューの木下惠介監督なら腑に落ちるのだが・・・)

 黒澤が『海は見ていた』の脚本を書いた80年代後半と言えば、上野千鶴子や林真理子による「アグネス論争」など、まさにフェミニズムが日本社会を席巻した時代であった。時代風俗に敏感で、多読家で、勉強家であった黒澤明は、フェミニズムブームにより蒙を啓かれたのだろうか?


海と女性



 
評価: ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損