1956年東宝
117分

 ずっと観たいと思っていた『流れる』が新文芸坐にかかっていた。現在(3/22まで)成瀬巳喜男特集をやっているのだ。
 池袋に文芸坐あり!


IMG_20190318_134913



 見どころは、何と言っても、日本映画史を代表する名女優6人の競演である。
 
 山田五十鈴、杉村春子、田中絹代、高峰秀子、岡田茉莉子、栗島すみ子


流れる
 

 ソルティはこの中で、もっとも古い時代に属する栗島すみ子だけはよく知らなかった。
 大正~昭和初期のサイレント(無声映画)時代に「映画の恋人」「日本の恋人」と言われるほどの絶大人気を博した美人女優である。小津安二郎の『淑女は何を忘れたか』(1937)が引退作となっているが、このあたりを境に日本は無声映画からトーキーに移り変わっている。もしかしたら、「トーキーに適応できなかった女優」の一人だったのかもしれない。つまり、声や喋り方が美しくなかったということである。
 本作は、監督の成瀬から懇願されての19年ぶりの映画出演。五十代半ばの元一流芸者である料亭女将という役だから、声はもはや関係ない。かつての美貌の名残りと大女優の貫禄で、さすがの存在感を放っている。セリフをまったく入れずに本作の撮影に臨んだというエピソードが伝説となっているが、サイレント出身女優なら不思議もなかろう。
 
 山田五十鈴にどうしても目が行く。
 ストーリーからして、山田演じる芸者置屋「つたの屋」の女将が主役と言ってよいし、出番も多い。目立つのは当然である。
 が、そればかりでなく、山田の美貌、達者な芸(三味線と小唄)、着物姿のあでやかな立ち居振舞い、姿勢の良さ、表情の繊細さ、艶やかなオーラが、同一画面に出ている他の役者たち(杉村春子や田中絹代すら)を霞ませるほどに際立っている。嫌でも観衆の注目を集めてしまう女優なのだ。
 
 杉村春子はあいかわらず憎らしいほど上手い。
 途中まで山田の陰に隠れて地味な印象だが、終わりに近づくに連れて、山田と肩を並べるくらい風格を増していく。二人が対座して三味線の合奏をする最後の場面は、「昭和2大名女優の稀有な共演シーン」の記録として必見。
 
 高峰秀子は、山田の娘の役を無難に演じている。
 これほどの大女優たちに囲まれながら、萎縮した様子もなく自分なりの演技を通せるのは、子役スターとして絶大な人気を誇った高峰は、芸歴に関して言えば杉村や山田に遜色なかったからであろうか。
 
 岡田茉莉子は6人の中で一番若く、芸歴も一番短い。
 大先輩方を前にして、どれだけ緊張したことか。むろん、若さと美貌では群を抜いている。暗くて希望の見えない物語の中で一服の清涼剤となっている。
 
 田中絹代をどう評価するかが難しい。
 職業安定所から「つたの屋」に勤めに来た腰の低い女中さんという役なので、着物をまとった他の女優たちの間で地味で目立たないのは仕方ない。また、原作となった小説『流れる』においては、この女中の視点から「つたの屋」の日常風景が語られる作りになっているので、ある意味、田中の役は周囲の映像を映すだけのカメラみたいなものである。あまり自分が出てはいけない。
 と言って、無表情、無感情でいるわけにもいかない。時流に押され、かつての繁栄を失い衰退してゆく「つたの屋」(花柳界)と、そこで暮らす女将や古株芸者への愛着と哀しみを、密かに観客に伝えなければならない。
 そこを考えると、実はこの女中の役が一番難しい。
 うむ。
 やっぱり、田中絹代でなければ果たせない役であろう。
 座敷で三味線を合奏する山田と杉村の姿を、台所からそっと見やる田中の表情は、まさにこの作品のテーマ「消えゆくものへの哀惜と諦観」を表現しきっている。
 
 残念なのは、フィルムの保存状態が悪かったせいか、画面が暗くて見づらい。
 また、登場人物の人間関係が分かりにくいうえに、花柳界ならではの風習や文化もあって、予備知識なく初めてこの映画を見る人は、イライラするかもしれない。(客席からそんな感じの溜息が聞こえた)
 ソルティが純粋に女優競演を楽しむことができたのは、前もって原作を読んでいたからであり、それは正解だった。



評価: ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損