1945年フランス映画
190分

脚本 ジャック・プレヴェール
出演者
ジャン=ルイ・バロー
アルレッティ
ピエール・ブラッスール
マルセル・エラン
ピエール・ルノワール

天井桟敷の人々


 その昔、JR高田馬場駅から早稲田通りを早大方向に進み、明治通りを渡って少し行った左手の雑居ビルの2階に、「ACTミニシアター」という小さな映画館があった。古い名画を中心に16ミリ上映していた。
 狭い階段を昇ったところに受付があって、そこで靴を脱いで手渡されたビニール袋に入れる。中に入ると、椅子はなく、20畳くらいのカーペット敷きの広間があった。観客は、体育座りしたり、オネエ座りしたり、寝転んだり、思い思いの格好で鑑賞するのである。
 週末はオールナイトをやっていた。座布団だかクッションだかを枕にしながら、一晩見続けて、早朝の早稲田通りを高田馬場駅まで歩き、始発の山手線で家に帰るということをよくやった。20代の頃(80年代)である。今だったら、深夜12時を回ったあたりで間違いなく熟睡モードに突入することだろう。とくに無声映画特集なんかやった夜はてきめんだ。
 
 ここでずいぶんと古い名画を見まくった。
 ヴィスコンティ、フェリーニ、チャップリン、バスター・キートン、無声映画時代の小津安二郎、アメリカのミュージカル、ジャン・コクトー、エイゼンシュタイン、アラン・ロブ=グリエ、キューブリック・・・e.t.c.
 映画史上に燦然と輝くフランス映画の傑作たる『天井桟敷の人々』もここではじめて観た。

 この映画、なぜか日本人に特に愛されていて、1980年「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」第1位、1988年「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第1位に選ばれている。80年代の時点では敵なしの強さだった。
 2部構成190分という長丁場なので、事前にコーヒーを飲んで、気合を入れてオールナイト興行に臨んだのを覚えている。

コーヒー

 いい映画であった。
 アルレッティは美人だし、ジャン=ルイ・バローのパントマイムは絶品だし、パリ下町の雑踏の賑わいや活気ある庶民の様子、そして恋愛至上主義のフランスの国民性がよく伝わってくる。登場人物はみな個性的で面白かった。190分まったく飽きることなく、眠くなることなく、楽しむことができた。
 が一方、「これがベスト1? ふつうの恋愛ドラマじゃん」とも思った。
 なにせ若かったので、もっと難解な(ロブ・グリエの『去年、マリエンバードで』)、もっと社会的な(エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』)、もっと深みのある(フェリーニの『道』)、もっと詩的な(ジャン・コクトーの『双頭の鷲』)、もっと耽美的な(ヴィスコンティの『ベニスに死す』)、もっと哲学的な(キューブリックの『2001年宇宙の旅』)映画のほうに惹かれたのであった。自分が大人の男女の機微というものに疎かったせいもある。
 
 30年ぶりに観て、この映画は何より大人の恋愛ドラマなのだと実感した。
 美しい女芸人ガランスと、彼女をそれぞれのやり方で愛する4人の男——シャイでロマンチストのバチスト、陽気で積極的なフレデリック、愛を拒む悪人ピエール、誇り高く自己中心的なモントレー伯爵——の愛と嫉妬と怒りと絶望の物語なのである。それぞれの人物造詣がしっかり出来ているので、人物と人物とのからみ合いが然るべく化学変化を起こして互いの感情を湧き立たせ、ドラマを思いもかけない方向へと転がしていき、その流れの勢いが今度は人物たちを、それぞれが望まない、しかし止めることも変えることもできない方向へと転がしていく、そんなビリヤードゲームでも見るかのような展開、ジャック・プレヴェールの脚本が見事である。

 20代の時は「酸いも甘きも嚙み分けた美しい熟女」としか思えなかったアルレッティも、50を越した今見ると「人生に倦怠しながらも真実の愛を求め続ける孤独な中年女性」に見える。20代の時は唾棄すべき男としか思えなかった悪人ピエール(=マルセル・エラン)が、今見ると4人の男の中で一番魅力的に映る。(30年間でいかに屈折したのか、自分?)
 今回、端役の一人に過ぎない古着商ジェリコ(=ピエール・ルノワール)の演技のうまさにも目を開かされた。ピエールは画家ルノワールの息子で、映画監督ジャン・ルノワールの兄である。
 
 30年前と同じように(家で)寝転んで見ながら、30年という歳月をふと思い、高田馬場に心を飛ばした「令和」発表の夜であった。(ACTミニシアターは2000年頃閉館したらしい)

 
 
評価: ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損