2008年角川学芸出版

 『殴り合う貴族たち』の著者による同じ平安時代研究本。
 といっても、論文調のお堅いものではない。文章には若干まどるっこしいところはある(同じセンテンスを繰り返すなど)ものの、全般わかりやすく楽しく、興味深い読み物になっている。

 今回は平安京で暮らす庶民に焦点を当てている。
 王朝時代を牛耳った皇族や貴族ばかりに目を向けられることが多い中で、実際には人口の大半を占める庶民を取り上げた点が素晴らしい。『殴り合う』同様、繁田の新鮮な視点の持ち方がうかがえる。ソルティが好きな民俗研究家の筒井功に近いものを感じる。
 
 話の出どころとなるのは、同時代の貴族や役人が残した記録、いわゆる古文書である。清少納言『枕草子』、作者不詳の『大鏡』、藤原実資『小右記』など、よく知られている文献が出てきて親しみやすい。
 また、無実の罪で投獄された夫の釈放を求める『小犬丸妻秦吉子解(こいぬまるのつま・はたのよしこ・げ)』などは、なんと王朝時代の代表的法典『延喜式』の写本の裏紙に残されていたと言う。膨大な量の『延喜式』の写本を作るとき新しい紙をおろすのはもったいないので、裏白の反故紙を使った。『延喜式』が保存され今日まで残されていく過程で、裏に書かれていた一介の庶民の女性の声も同時に残されたのである。(内容は漢文で書かれていて論理も体裁もしっかりしている。女性の依頼により誰か学のある者が代筆したのではないかと繁田は憶測している)

 この小犬丸妻の話をはじめとし、清少納言が相手をした尼姿の下品な物乞いの話、牛車を引く牛の世話をする牛飼童と呼ばれる男たちの話、市場で十貫の銭で売られた赤ん坊の話など、大層面白く、庶民の闊達なパワーを感じる。牛飼童が、大人になっても元服せず、頭頂を隠すための烏帽子も被らず、姓も持たなかった(幼名で一生過ごした)とは初めて知った。  

不思議なことに、王朝時代において、牛の世話を職掌とする従者として貴族家に仕えることがあったのは、こうした疑似的に子供であり続けることを選んだ特殊な庶民男性たちだけであった。すなわち、普通に元服を迎えて普通に烏帽子を被っていた普通の庶民男性たちは、貴族家に奉公する身であったとしても、けっして牛の世話を仕事とする従者ではなかったようなのである。ことによると、牛の世話というのは、王朝時代の人々にとって、何か特別な意味を持つ特別な仕事だったのだろうか。


 なんとなくこの記述は、筒井功の『賤民と差別の起源 イチからエタへ』に通じる、つまり牛飼いという職業の「聖性と転落」の歴史を匂わせる。
 
 それぞれ別の貴族家に勤める牛飼童たちが、同じ職種同士の飲み会(いわゆる牛飼会?)を頻繁に開いていたというのも面白い。宴会の帰り道に、泥酔した牛飼童が荒れ果てていた右京の一角で人殺しをする話も出てくる。

 ドラマは貴族の回りにあるだけじゃない。


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牛のような、熊のような、象のような雲



評価: ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損