1960年松竹
123分
原作 深沢七郎
脚本 木下惠介
音楽 木下忠司
甲斐国を流れる笛吹川は、最上川、球磨川とともに日本三大急流のひとつとされ、「暴れ川」の異名を持つ。
この川のほとりの掘っ立て小屋に暮らす貧農一家の5代にわたる生活の様を描く。
時は戦国。
甲斐の武田が、上杉はもとより北条や諏訪など周囲の大名らと戦を重ねていた時代である。いきおい、領地内の庶民の暮らしは戦を中心に回っていく。
手柄や褒美や勲功に釣られて、鋤や鍬を投げだし、刀を手に戦に飛び込む血気盛んな百姓たち。
「風林火山」の旗の下、主君に命を投げ出す男たち。が、その主君こそは、気分次第で領民を虫けらのように殺戮する暴君なのだ。
生まれた子供をすべて戦に取られ、なすすべもなく天を仰ぐ老夫婦。
これは、もう一つの『陸軍』である。
木下惠介の怒りと慟哭のこもった反戦映画である。
モノクロフィルムに部分的に色を焼き付ける手法は、評価の分かれるところであろう。
リアリティを奪い、鑑賞の妨げになるだけの感もある。
せっかく素晴らしい場所を見つけての(現在ではもはや不可能な)ロケ撮影なのに、もったいない気もする。
が、最初は違和感あったが、観ているうちに気にならなくなった。
むしろ、たとえば黒澤の活劇のようなリアリズム一辺倒の作品にはない、ある種の寓意というかメタフィクション性が備わっているように思う。
つまり、特定の時代、特定の場所の、特定の家族の物語が、人間の「無明」と生の「苦しみ」を描く絵巻物の仏教説話のような普遍性を帯びている。それは、白装束の遍路姿で鈴を鳴らす原泉がところどころで亡霊のように出現するシーンや、合戦の最中に無情に打ち鳴らされる鐘の響きなどにも依っている。
反戦映画であると同時に、「何千年という戦いの歴史を持ちながらも、そこから抜け出すことのできない人類の無明」が一見無造作に色づけられたフィルムの表層から迫ってくる。
老醜メイクも厭わず役者根性を見せた高峰秀子、地味だが芯の通った人の好い夫を演じた田村高廣、しょっぱなの短い出番だけで物語全体の行く末を暗示する加藤嘉の深みある演技が印象に残った。
評価:★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損