2002年集英社

 著者は山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイを手がけている女性(年代不詳)。
 本書は、2000年秋(6日間)と2001年春(7日間)の2回に分けて体験、結願した四国88札所巡礼のレポートである。

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 日数から分かる通り、著者は全行程すべてを歩いたのではなく、徒歩と車と電車とバス、それに山の上にある札所の場合はロープウェイを組み合わせた形で実施している。
 札所(お寺)ごとに項目立てし、おおむね1番から順番に紹介されているので、一つ一つの札所の特徴や雰囲気が、軽妙で飾らない文章とお得意のイラストに乗せて読み手に伝わってくる。
 さすがに絵描きならではというべきか、それぞれの札所のお堂や山門や手水舎の造り、仏像や彫刻の細部の巧みに惹かれる著者の視点に、独特なものを感じた。また、植物や花、売店のお土産、参拝者が奉納する仏像に掛ける手縫いのよだれかけ(?)などについての描写が多いのは女性ならではか。

 ソルティは通し打ちの歩き遍路だったが、実を言えば、それぞれの札所(お寺)をじっくり見学する余裕はなかった。各札所ともせいぜい20~30分の滞在時間で、ほぼそれが本堂と大師堂での読経と祈願、納経所での御朱印拝領に使われてしまい、建築学的・美術史的観点からお寺を見たり、歴史的見地からお寺の由緒を確かめたりは二の次、三の次であった。せいぜいが、「美しい五重塔だなあ(70番本山寺)」とか「ここはパワースポット認定だなあ(21番太龍寺)」とか「静かでのんびりできるお寺だなあ(39番延光寺)」とか「霊が多そうな陰気な寺だなあ(71番弥谷寺)」とか「すっかり観光地化しているなあ(51番石手寺)」とか「海の眺めが素晴らしいなあ(27番神峯寺)」とか、際立った一つの印象を胸に止めたくらいであった。
 秩父34札所巡礼のときは、一つ一つのお寺をじっくり見学し、境内で手元のガイドブックを開いて寺の縁起や見どころをチェックする余裕があった。日帰りの区切り打ちだったおかげである。今でも「〇番のお寺」と言われれば、すぐに境内の映像を心に描くことができる。一方、四国では「〇番の××寺」と言われても、すぐに映像が浮かんでこない札所も少なくない。

本山寺五重塔
70番本山寺の五重塔(改築したばかりだった)


 歩き遍路で心に刻まれるのは、寺より宿泊した宿である。泊まった宿についてなら、そこの主人の顔やチェックアウト時に交わした会話、建物の外見や内装、案内された室内のしつらい、晩の食事などをすぐに記憶から引き出すことができる。その晩、自分がどんな心境や体調で過ごしたかという記憶と共に。
 あるいは、寺より道である。初めてお接待をもらった道、野グソした山道、迷いに迷い焦りまくった里の道、豪雨をよけてホっと一息ついたトンネルの道、前にも後ろにも人の姿のまったく見えない海辺の幹線道路、韓国人と話しながら歩いた川沿いの道、アメリカ人と宿を探しつつ歩いた夕暮れの道、痛む足を引きずりながら歩いた峠道、立ち止まって地元の老婆(自転車を盗まれたと嘆いていた!)を慰めた田んぼ道、人けのないかつての目抜き通りの商店街・・・・。道の記憶は今もふんだんに蘇える。
 あるいは、寺より人である。宿の主人、同宿者、道や休憩所で会話した遍路仲間、接待いただいた地元の人、何気ない会話を交わし「お気をつけて」と見送ってくれた通りすがりの人・人・人。残念ながら、お寺の人の記憶は薄い。(中には濃く残っている坊さんもいる。62番宝寿寺の住職のように)


トンネルの中の遍路


 他人の四国遍路体験記を読むと、同じへんろ道が、時期や季節や交通手段はもちろんのこと、体験する人のパーソナリティ、性別・年代・職業などの様々な属性、目的意識やモチベーション、体調や精神状態などによって、まったく異なる独自の道になっているのを発見する。
 それぞれが、それぞれの“へんろ”を創り出して、体験している。
 それぞれが、それぞれの“現実”を創り出して、体験している。
 まさにそれが人生行路そのものなのだろう。



評価:★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損