1946年松竹
75分

 まず思うのは画面の見づらさ。フィルムの状態がよろしくなく、晴れのシーンなのに雨が降っているかのように見える、聞こえる。これに先立つ処女作『花咲く港』(1943)より悪い。とくに、この映画は浅間高原の牧場を舞台とする文字通り「牧歌的」な作品なので、広々と晴れやかな風景が味わえないのは残念至極。デジタル補正が望まれる。
 
 雄大な浅間山を背景に、牛が草を食み、馬が駆け抜け、若くイケメン揃いの牧童たちが輪になって歌を唄い、ハーモニカを吹き鳴らし、鈴をつけ花で飾られた馬車がリンリンと山道を往く。そんな風景の中での美しき男女の恋愛模様。
 まったくこれほどまでに「牧歌的」な映画はあるまい。これぞ木下惠介の理想郷なのだろう。ただし、主役の二人が「男と男」であったならという条件付きで。
bokujou
 
 ハンサムな兄(=原保美)は、血のつながっていない美しい妹(=井川邦子)に恋している。ゆくゆくは結婚したいと思っている。妹もまんざらじゃないようだ。ここまでは喜劇。
 しかるに、思いを打ち明けようとした祭りの晩、妹には別に思い人のいることが判明する。ここからが悲劇。
 つまりこれは失恋男の話なのである。妹が選んだ相手がいい男であるだけに反対のしようもない。つらいなあ~。
 
 母親役を東山千栄子、主題歌含めた音楽を木下忠司が担当している。イタリアオペラ風なこの主題歌が面白い。歌っているのは主役の井川自身だろうか? 上手である。
 井川邦子といえば、小津安二郎『麦秋』の紀子(=原節子)の義理の姉役がすぐに思い浮かぶ。落ち着いた穏やかな妻といったイメージが強い。『わが恋せし乙女』で観られる23歳の井川のはち切れんばかりの若さ、躍動する肉体、画面から放射される清廉な美貌の輝きは、「だれにでも若い時があった」という当たり前の事実を観る者に突きつける。


評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損