2017年ロシア
第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞
128分

 『父、帰る』(2003)、『エレナの惑い』(2011)のズビャギンツェフ監督の最新作。
 重厚で、シリアスで、画面はあくまで美しく、結末は悲劇的――これがこの監督の身上である。同じロシアのタルコフスキーを思わせる。
 本作も上記2作同様、現代家族の歪な姿を容赦なく描いている。
 タイトル通り、自己愛以外の「愛のない(ラブレスな)」親たちが登場する。

 親になる覚悟もなく「できちゃった婚」したボリスとジェーニャの関係はすっかり冷え切っている。離婚を間近に控え、それぞれの愛人との情事にふける二人。再婚のために、12歳の一人息子アレクセイを互いに押し付けあう。
 愛されていないことを知ったアレクセイは、ある日家から姿を消してしまう。

 ストーリーの大半は、行方不明のアレクセイを捜索するエピソードである。地元のボランティア組織が、知識と経験に裏付けられた素人離れしたチームワークで懸命に捜査を行うかたわら、ボリスとジーニャはどこか他人事である。相変わらず愛人のもとで夜を過ごし、ボランティアの目の前で夫婦喧嘩を始める。大人になり切れていないのだ。
 幼くして両親を失ったボリス、被害妄想にかられ周囲を責め立てる猛烈な母親に振り回されてきたジーニャ。彼らもまたラブレスな家庭で育ってきたことを観る者は知る。
 そう、ラブレスは連鎖する。

ラブレス


 『エレナの惑い』でも描かれていたが、ポイントの一つは宗教心の欠如であろう。
 ロシア人の6割以上はキリスト教正教会の信者だと言われているが、この映画には宗教心を感じさせるものがまったく出てこない。当然、即物的なボリスとジーニャも無宗教のようだ。
 ボリスの会社の上司が熱心なキリスト教徒で、社員の離婚を認めない、社員家族に休暇中の修道院巡りを強制するというエピソードが出てくる。これは明らかに監督一流の皮肉であろう。
 
 宗教は社会や個人に倫理をもたらすものである。それは押し付けられるものではないし、強制は良くない。
 しかし、宗教心がないところでは、社会も個人もひたすら欲望の追求と孤独の解消に追われるハメになる。むろん、ここで言う宗教心とは、教会に通うことや戒律を守ることや修行に打ち込むことではない。
 同様に、ラブレスの「ラブ(LOVE)」とは、夫婦や親子や愛人同士のような個人的関係における愛だけを言うのではない。一見、自分とは無関係な他者に対する「関心や慈悲や奉仕」のことなのだ。
 
 列車の中でそれぞれのスマホ画面を見つめるのに余念がない乗客たち、隣国の戦争より世界の終わりを伝える古代マヤの予言に関心を寄せる人々・・・。
 ラブレスな社会は、ラブレスな個人を生む。これもまた連鎖する。

 アレクセイを見つけるために黙々と奉仕活動するボランティアの姿に、唯一希望が託されているようだ。


評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損