1966年大映
95分

 容赦ないリアリティ。
 えげつないまでの赤裸々さ。
 強烈無比なるインパクト。
 これは生涯忘れ得ぬ一本である。
 
 原作の有馬頼義は直木賞作家。最も有名な作品は、吉永小百合と後藤久美子の主演で2回映画化されている『ガラスの中の少女』である。
 
 本作は、戦地の病院や診療所で傷病兵の世話に明け暮れる看護婦・西さくら(=若尾文子)の献身を描いた作品。容赦ないリアリティは、実際に満州で3年間の従軍経験を持つ作者の見聞と、傷口に本物の蛆をたからせて撮影したという増村監督の完璧主義によるものだろう。

 テーマを一言で言うなら、「戦争と性」ということになる。
 映画では滅多にお目にかかれないテーマであるが、それをここまであからさまに描き出したものは古今東西見当たるまい。実際、「ここまであけすけに描くか」、「若尾文子にここまでさせるか」と、衝撃が走った。
 むろん、若尾は脱いではいない。露出度の高いシーンはやはり替え玉であろう。そのものずばりのセックスシーンもない。西さくらは看護婦であって、娼婦ではない。断じてポルノ映画ではない。
 しかし、夜の見回りの際に病室で兵士たちに犯されるわ、両腕のない兵士のためにマスを手伝うわ、惚れた上官医師のインポを治すために徹夜の奮闘するわ・・・、大映もよく大事な看板女優にこんなことさせるなあとビックリする。いや、若尾はよく嫌がらずにこんな役を引き受けるなあと感心する。プロ根性?
 そう、不可解にして好奇心を掻き立てられるのは、若尾文子の「性」に対する認識のありようである。
 ポルノ女優ではなしに、ここまで「性」に肉迫した女優、しかも汚れたイメージのつかなかった女優、しかも稀にみる演技派女優――は、古今東西ほかにおるまい。
 なんとも不思議な位置づけの女優である。

 従軍慰安婦問題を扱った『主戦場』を観たすぐあとに、この作品に当ったのは奇妙な巡り合わせである。慰安婦問題はまさに「戦争と性」を語るに避けては通れないテーマであるから。
 両者が大きく異なるのは、西さくらは看護婦であり、自分の意志と愛と性欲とで戦地における自らの性のあり方を自己決定している――少なくとも本人がそう自覚している点にあろう。もっとも、赴任早々に集団レイプの洗礼を受けた西さくらのその後の「自己決定」が、どの程度 “自律” したものと言い得るのか分からないが。(それを言うなら、いかなる「自己決定」も幻想にすぎないと言いたいところだが・・・)

 思春期の少年が見たら、白衣姿の若尾文子が生涯、夜の枕元に棲みつくのは間違いない。


看護師

評価:★★★★★  

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損