2014年講談社
週刊『モーニング』に掲載された福島第一原子力発電所(通称:いちえふ)労働記。1~3巻を近所の図書館で見つけた。
売れない漫画家で副業を転々としていた竜田は、2012年~2014年に「いちえふ」で原発事故の後片付けのための作業員として働いた。その体験を漫画にしたものである。
まず、竜田の漫画家としての力量はたいしたものだ。
画力があり、構成力があり、ネーム(セリフ)を練る力もある。読者が初めて聞くような専門用語が多い話を、わかりやすく説明している。
なにより驚くのが記憶力である。きびしい環境で重労働しながら、よくここまで詳細に覚えているなあと感心する。現場ではもちろん携帯による撮影など許されなかったであろうし、休憩時間に他の作業員の目の前でデッサンするわけにもいかなかったであろうから、肉眼による記憶をもとに描かざるを得なかったはず。よっぽど視覚記憶に秀でていると思われる。
本作の後に、竜田がどのような活動をしているのか知らないが、才能ある漫画家の出現は喜ばしいことである。
内容に関して、ソルティは最初、「原発被害の悲惨さを訴える」、「作業員の劣悪な労働環境を赤裸々にする」、「被災地の荒廃を描き出す」といった反 or 脱原発メッセージを匂わせる作品かと思っていたのだが、そうではなかった。「フクシマの真実」を描いたのではなく「福島の現実」を描いた、という第1巻表紙のキャッチフレーズ通り、竜田が実際に経験した出来事を、淡々とありのままに冷静な目で描いている。
一部メディアの恐怖をあおる過剰報道(たとえば「奇形動物が増えている」、「放射線被爆で作業中に亡くなった者がいる」など)がデマゴギーであることが語られる。放射線被爆から作業員を守るための設備やシステムがきちんと機能している様子も語られる。作業員のプロ意識や技術の高さ、責任感や連帯感、男所帯の気楽さや潤いのなさなども語られる。加えて、作業の暇を見て避難所にある介護施設に行きギターを弾いてボランティアする竜田の姿も語られる。ありのままの日常がそこにはある。
原発事故・津波被害は非日常で一時的な出来事であり、その後には被害を前提とした日常生活が始まる。どんな災害であろうが、いったん喉元過ぎれば日常生活に組み込んでしまう人間の強さというか、日常生活の持つ堅忍不抜性をつくづく感じる。そうでなければ、人は逆境を生き延びてはいけない。(このあたりを描いた傑作小説に安部公房『砂の女』がある)
これは、竜田の目で見た「福島の現実」であり、その点に文句をつける筋合いはない。異論を言うほどの情報も体験もソルティは持っていない。このまま受け入れるだけだ。
ただ、「福島の現実」=「客観的に正しい福島の姿」ではない。
創作するということは、たとえルポルタージュのようなノンフィクションであろうと、作者の主観というバイアスからは逃れられない。この作品を描くにあたって、いやそもそも「いちえふ」で働くにあたって、竜田一人という人間がもとから持っている価値観や好みや性格や思想傾向などが自ずから反映される。竜田一人というフィルターを通して、『いちえふ』は読者の前に供されている。そこは押さえておくべきだろう。
で、ソルティが思うに、竜田一人は元来、どちらかと言えば保守的でマッチョな男という気がする。自民党支持者かどうか、原発推進派か否かは知るところではないが、自民党より「左」の党に投票したことはないんじゃないかという気がする。見事な画力のうちにも劇画的でマッチョな画風が漂っている。(まあ、ある程度マッチョな男じゃないと、そもそも事故後の原発作業員を志望しないだろう)
作中で竜田は、自分が描いたこの作品が東京電力のお偉方の目に触れて、なんらかの圧力(雇用拒否など)を受けるのではないかとしきりに気にしている。
だが、むしろ原発推進派や東京電力にとって都合の良い漫画になっているなあと思った。(はい、これもソルティの主観です)
評価:★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損