1965年朝日新聞社より刊行
1978年同社文庫

 朝日新聞社主催の懸賞小説の入選作としてベストセラーとなり、すぐさま若尾文子、船越英二らキャストで映画化(1966年大映)、その後新珠美千代の継子いびりが話題となって視聴率40%を超える大ヒットとなった(1966年)のを皮切りに、幾度もテレビドラマ化されている人気小説である。
 ソルティは、原作はむろん、映画もテレビドラマも観たことがなかった。作者の三浦綾子がクリスチャンであるというのは知っていて、遠藤周作や曽野綾子の書くようなクリスチャン小説というイメージがあったので敬遠していた。
 夜勤の仕事に出かける際、眠気覚ましになるミステリーを探して実家の本棚を漁っていたら見つけた。ミステリーではないが、ベストセラーならではの面白さを期待して鞄に詰めた。
 
 案の定、というか期待以上の面白さであった。
 読みやすい簡潔な文章、興趣そそるプロット、ストーリーテリングの卓抜さ、キャラクターの魅力と心理描写の細やかさ。ベストセラーも幾度のテレビドラマ化も納得である。聖書の引用や原罪というキリスト教的テーマは根幹にあるものの、どちらかと言えばひと昔前の大映ドラマ風の――殺人者を父に持つ娘、継子いじめ、兄妹間の許されぬ恋愛、毒を飲んでの自殺未遂 e.t.c.――愛憎と秘密とケレン味たっぷりの大人向けの家族ドラマである。
 おかげで、夜勤の長丁場が常より短く感じられた。

 一番の面白さは、心理描写の細やかさである。
 登場人物それぞれの心の動きが鮮やかに描写され、キャラクターをくっきり浮かび上がらせ、それが各々の行動につながってドラマを展開させていく様は、チェスの試合でも見ているかのよう。
 しかも、三浦綾子の人を見る目は結構辛辣でリアリスティックで、男も女も大人であれば根本的に愚かで醜くてエゴイスティックで、キリスト精神とは真逆の存在として描かれている。この辛辣さ、三浦と同じ敬虔なクリスチャンで、三浦同様に生涯病魔に苦しめられたアメリカ作家のフラナリー・オコナーを思わせる。

 とくに見事なのは、主人公陽子の継母・辻口夏江の人物造型である。美人で教養あり、お嬢様育ちながら細やかな気遣いができ、出会った男どもをすぐさま魅了してしまう夏江の、良妻賢母の仮面の下にある素顔を、同性ならではの遠慮なさと冷徹さで暴いていく。この夏江というキャラだけは、絶対に男性作家には創造できまい。
 前述のように、新珠美千代がこの夏江を演じて一世を風靡したらしいが、ソルティも読みながら夏江を演じてほしい女優をあれこれ思い浮かべてしまった。映画では若尾文子が演じていた。これも気になる。

 この小説、日本のみならず韓国や台湾でもリメイクされて人気を博したらしい。ソルティはそこに感じるものがある。
 というのも、この家族ドラマが成り立つのは、この家族ドラマを理解できる視聴者を持ち得るのは、東アジア的土壌だけなのではないかと思うからだ。東アジア的な家族のありようこそが、このドラマのプロットを支えているように思うのである。

 ドラマの発端は、辻口啓造と夏江夫婦が幼くして殺された娘ルリ子の代わりに、乳児院から陽子を養女として迎えることに始まる。実はこの陽子の父親こそが、ルリ子を殺し、その後自殺した佐石土雄なのである。啓造はそうと知りつつ、「汝の敵を愛せよ」というキリスト精神を標榜し、陽子を養女に迎えた。妻の夏江には内緒で――。
 なんとも不自然で奇怪な設定に思える。が、啓造の本心は別のところにあった。
 啓造は、同僚医師の村井と夏江の関係を疑って、それがルリ子の死につながったと思い込んだ。夏江を憎むあまり、復讐のために陽子を養女にしたのである。わが子を殺した男の娘をそうとは知らずに夏江に育てさせる、という何とも陰湿な復讐である。(大映ドラマ的でしょ?)

 啓造の心の狭さ、陰険さにはあきれるばかりだが、読んでいてなによりも苛立つのは、「なぜ啓造は、最初からはっきりと夏江や村井に問い質さないのか?」という点である。
 啓造は村井と夏江の関係を勝手に憶測するばかりで、当人たちに面と向かって確かめることができない。結果、妄想たくましゅうして復讐心ばかり募り、誤った行動を招き、家族全員を不幸にしてしまう。(実際には、村井と夏江の間に男女関係はなかった!)

 この啓造のふるまいに象徴されるように、この小説で描きだされる人間関係の根幹にあるのは、「面と向かって率直に話し合うことを忌避し、勝手に忖度し、思い悩み、誤った行動に走る」登場人物たちの姿である。これは同じ日本人、あるいは東アジア圏の人々には理解・共感できても、西欧人には容易に理解しがたいものであろう。
 そのうえ、このような偽りと疑心暗鬼の家族関係に関わらず、表面上は何事もないかのように振舞い、あたかも「理想的な家庭」のように装って何十年と一つ屋根の下で暮らし続ける。中身はとうに崩壊しているのに、外に向けては面目を保ち、破綻を先延ばしにする。昨今の「引きこもり」家庭の様相にも通じるところである。やはり、西欧人には理解しがたい文化であろう。
 よく言えば、「和をもって貴し」となす。その実相は、個人を犠牲にしても理想の家庭を演じ合う「家族ごっこ」という名の茶番である。
 そして、この「家庭」という言葉を「国家」にしても成り立つところに、日本人の悲劇がある。

 三浦綾子は、キリスト教の「原罪」をテーマにこの小説を書きたかったのかもしれないが、ソルティはむしろ、日本人の原罪が赤裸々にされている小説だと思った。日本病という原罪が。

 
雪景色



評価:★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損