2019年春風社

 第25回参議院議員選挙が終わった。
 今回新たに候補者を立てた政治団体の中でソルティが動向に注目していたのは、『NHKから国民を守る会』、山本太郎が代表を務める『れいわ新選組』、そして『安楽死制度を考える会』であった。

 欧米を中心に海外では、尊厳死はもとより安楽死を法制化する国が増えている。
 安楽死と尊厳死の違いは以下の通りである。

 尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えること。たとえば、胃ろうの中止・中心静脈栄養法など点滴の停止・人工透析の中止・人工呼吸器を外す・抗がん剤の投与中止など。消極的安楽死とも言われる。安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を早めること。積極的安楽死とも言われる。もちろん、どちらも「病気が不治で末期状態にあること」、「本人の意思によること」という条件が前提である。
 
 日本の臨床現場では、尊厳死は容認され実施されてもいるが、安楽死は認められていない。法制化されておらず、厚労省や日本医師会などは独自にガイドラインを作成している。
 『安楽死制度を考える会』は、尊厳死だけでなく安楽死も視野に入れ法制化することを訴えている。公式ホームページによればその訴えは次の7点。 

① 自分の最後は自分で決めたい
② 制度を使いたくない人は無視すればよい
③ 耐え難い痛みや辛い思いをしてまで延命したくない
④ 人生の選択肢の一つとしてあると「お守り」の様に安心
⑤ 家族などに世話や迷惑を掛けたくない
⑥ 将来の不安に備えた貯金をする必要がない
⑦ 予算を掛けずに国民が安心感を感じれる
(「安楽死制度を考える会」ホームページより)


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 著者の有馬斉(ひとし)は1978年生まれの研究者。倫理学、生命倫理を専門とし、現在は横浜市立大学の准教授である。本書あとがきによると、当ブログで紹介した『不動の身体と息する機械』を書いた立石真也の研究プロジェクトに参加した経験がある。そこから推測されるように、このテーマに関する有馬の基本姿勢は、安楽死も尊厳死も容認せず、法制化反対である。 

本書の主題は、他人の死期を早めうる主に臨床的なふるまいの是非である。そこで、容認派と反対派の双方からこれまでに提出されてきた主要な議論を整理し、検討する。最終的には、一連の臨床的ふるまいが道徳的に正当化できる(また、法的に許容されるべき)場合の有無、範囲、根拠まであきらかにすることを目指す。

・・・・最終的には、生命維持医療の見送りと、致死薬の使用、持続的で深い鎮静のすべてについて、道徳的に正当化できるのはきわめて限られた場合のみと考えうることを述べる。具体的には、患者の知覚と意識が不可逆的に喪失している場合と、患者が理性的に思考するのを困難にするほどの著しい苦痛に苛まれている場合である。また、これらふたつの場合にかんしても、法律を設けて許容することは、社会的弱者に悪影響を及ぼすと予想できるため推奨できないことを指摘する。

(標題書より引用、ゴチックはソルティ付す)


 有馬はまず、内外の先行研究の分析をもとに、現時点で考えられる安楽死&尊厳死容認派の根拠となる理論を次の3つに整理して掲げている。
  • 1-1 自己決定の尊重(上記の『安楽死制度を考える会』の訴え①と②はこれに含まれる)
  • 1-2 関係者とくに患者本人の利益の重視(③~⑥はこれに含まれる)
  • 1-3 医療費の高騰を抑える(⑦はこれに含まれる)

 一つ一つの理論について、その内容とポイントを読者にわかりやすく説明したあとで、その理論に対してこれまでに提出されている反対意見や理論の欠陥と思われるところを示す。最終的には3つの理論すべてを論理的に否定し、容認派の根拠を崩している。
 とは言っても、上記引用に見る通り、有馬は尊厳死に100%反対しているわけではない。例外を設けている。上記のゴチック部分は、『安楽死制度を考える会』の訴えの③に部分的に相応している。(ちなみに、「患者の知覚と意識が不可逆的に喪失している場合」とは、たとえば脳死による植物状態のことである)

 次に有馬は、安楽死&尊厳死反対派の根拠となる理論を次の3つに整理して掲げている。
  • 2-1 社会的弱者への悪影響
  • 2-2 生命の神聖さ(Sanctity Of Life)に対する冒瀆
  • 2-3 人の尊厳に対する冒涜
 このうち 2-2 の「生命の神聖さに対する冒涜」という理論については、安楽死&尊厳死反対の根拠として説得力に欠き成立し難いものであることを論証する。つまり、「生命というものはそもそも神聖なものだから、安楽死や尊厳死はあってはならない」という理屈は通用しないということだ。この理屈を通用させるためには、人類は蚊取り線香の使用や食肉や戦争や妊娠中絶や死刑をただちに止めなければならない。むろん脳死患者も生かすべきである。
 残りの2つの理論(2-1 と 2-3)についても、そのまま無検討で通過させることはせず、これまでに提出されている反論を紹介し、それについてまた反駁するという手続きを取っている。それによって、2-1 および 2-3 については批判的検証にも耐え抜くことのできる核があることを明らかにせんとしている。
 
本書全体の最重要の眼目は、次のふたつのことを主張することにある。ひとつは、患者の死期を早めうる医療者のふるまいを容認するルールが社会的弱者を脅かすことにある。もうひとつは、同じ医療者のふるまいが、人の存在の内に宿る価値にたいして払われるべき敬意と相いれないことである。患者の死期を早めうるふるまいの是非について検討するとき、またはこれにかかわる具体的な政策の妥当性を評価する場面では、これら二つの否定的側面(デメリット)が考慮されなくてはならない。
 
 「社会的弱者への悪影響」はともかく、「人の尊厳に対する冒涜」が理解しにくいかもしれない。「生命の神聖さ」とどう違うのか?――と思う向きもあるかもしれない。
 有馬によれば、これはドイツの哲学者カントが道徳規範の唯一の根拠にして基準であるべきと考えていた「人格を手段化してはならない」という命題に拠っている。この場合の「人格」とは、合理的本性が備わった理性的存在者を指して言う。

カント理論では、人が内在的価値を持つとされるのは、人間が合理的本性を有する理性的存在だからである。

 人間は合理的本性を持つ理性的存在である(=人格を有する)がゆえに、他人のみならず自分自身をも手段化してはならない。端的に言えば、人間存在そのものに特有の価値があり、生の目的は理性のうちに生きることにある。その価値や目的をないがしろにする安楽死や尊厳死は到底許容できないという見解である。

自殺についても同様である。つらいから、苦しいからという理由で自殺することは、自分という存在にたいする適切な敬意を欠いたふるまいだと理解することができる。その人は、自分という存在について、楽しく幸せでいたいという自分の中の欲求を満たすことができるための前提としてのみ価値があると考えていることになると思われるからである。また、そのような理由でだれかが自殺するのを私が手伝うとすれば、私もまた、相手の存在がそのような価値しか持たないものだと認めていることになるだろう。

 自殺についても同様なら、死刑についても同様というべきだろう。合理的本性を持つ理性的存在とみなし得る死刑囚は世に存在するからだ。ゆえに、カント理論(=人の内在的価値)を足場にして安楽死&尊厳死に反対する者は、当然死刑制度についても反対表明しなければならないはずである。


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 国の内外の容認派の意見、反対派の意見、またそれぞれについての批判や反論が、網羅的に紹介され、丁寧に解説され、きめ細かく検討されているところが、本書の一番の美点である。一読すれば、このテーマに関する論点の全貌が把握できて、安楽死や尊厳死に関する読者自身の意見なり希望なり感情なりが、「どこに立脚しているか、何を根拠にしているのか、どんな反対意見を予期し迎え撃たなければならないのか」、を具体的に確かめることができる。いわば、このテーマについての見取り図とGPSを得ることができる。
 それはまた、自らの死生観、生命観、人生観、幸福感、宗教観、倫理観、人権観を見つめ直す機会でもある。
 ソルティも引き続き考えていきたい。

 さて、このたびの参院選では、「れいわ新選組」から2名の重度身体障害者が当選した。筋萎縮性側索硬化症 (ALS)の舩後靖彦と、脳性麻痺の木村英子である。『安楽死制度を考える会』からの当選はなかった。
 政策決定の場に、二人の重度身体障害者を送り込んだことは、今回の選挙の最大にして最良の成果であったと思う。
 

評価:★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損