2013年ルーマニア
112分
原題の Poziția copilului は「胎児の姿勢」という意味。子離れできない母親と自立できない息子の愛情と葛藤を描く。
第63回ベルリン国際映画祭で金熊賞(最高賞)を獲っている。
監督自らの体験がもとになっているそうで、いずこの国でもこうした母子依存の問題は同じなんだなあと感じる。個人主義の強い欧米では、成人したら精神的にも経済的にも自立して親と子が対等の関係を結んでいる、というイメージをつい持ちやすいのだが、そんなこと全然ないのである。というより、親子の関係は一つ一つの家庭によって異なるという、ごく当たり前のことである。
ソルティは母親になったことがないので、母親が子供を思う気持ち、とくに息子を思う気持ちは分かり得ない。父親が娘を思う気持ちとどう違うのか、どちらのほうが強いのか、も分かり得ない。個人的な見解ではあるが、父親の娘に対する思いは娘が結婚すると薄れていくような感があるが、母親の息子に対する思いは息子が結婚して自分の家庭を持っても変わらないような気がする。というのは、老人ホームで働いているときに、施設を訪ねてくる息子や娘と、入居している父親や母親との関係を間近で見ていた経験があるからだ。
もっとも関係が濃いなあと思ったのは、やはり入居している母親と尋ねてくる息子の場合であった。多くの母親は息子の訪問を心待ちにし、息子がやって来ると本当に嬉しそうであった。普段は食堂でうつらうつらしている母親も、息子が訪ねてくるときだけはシャキッとして会話し、職員の介助ではなかなか進まない食事も息子の介助だと完食するのである。なにより表情が違う。
これは相手が娘のときより息子のときのほうが顕著であり、既婚の息子より未婚の息子のほうが顕著であった。90歳を超えた車いすの母親が、70歳近い一人暮らしの息子を「〇〇ちゃん」と呼び、その生活をあれこれ心配りするさまは、滑稽を通り越して崇高さを感じるほどであった。
それにくらべると、父親と娘との関係はお互いに遠慮しているところがあるのか、さばさばしていた。思うに、この場合、すでに親子の関係は精神的に逆転しているからであろう。
つまり、男は結局、「いつまでたっても子供」と女たちから見られているってことだ。
約30年ぶりに両親のいる実家に戻って3か月になる。
30年前に家を出た理由の一番はやはり「自立したい」であった。物理的にも経済的にも精神的にも。うち10年間は距離的にも(埼玉と仙台)離れていて、会うのは一年に一回だった。
結婚したわけでも子供を持ったわけでもないソルティが、30年間でどれくらい「自立」したのか正直よくわからない。いまは食事も洗濯も親任せで、元の黙阿弥という気もする。
が、半世紀以上も読売新聞と週刊新潮を購読し続け自民党に投票し続けている両親と、その2つのメディアが嫌いで自民党に入れたことのない自分は、まったく別の価値観を有する同士である。若い頃は、その価値観の違いゆえに一緒に住むのもうざったかった。保守的価値観をバックボーンとする両親の言動が、こちらの自由を阻害する気がした。とくにセクシュアルマイノリティであるソルティにとって――。
いまは両親も老いて気が弱くなったせいか、あるいは社会的には一線を退いた思いがあるせいか、あるいは福祉畑で働く独身の息子がいるメリットを思ってか、うるさいことを言わなくなった。(母親は、風呂のふたを閉め忘れるといった生活上の瑣末なことには相変わらずうるさいが・・・)
とりあえず波風立たず共生している。
評価:★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
