2018年日本
120分
脚本 是枝裕和
音楽 細野晴臣
第71回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)を受賞。
『誰も知らない』(2004)や『そして父になる』(2013)など家族をテーマに撮り続ける是枝監督の会心作である。
主要3人の登場人物を演じるリリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林の魅力がこの作品の成功に大きく寄与しているのは間違いない。
とくに、親からの虐待経験をもつ下町の主婦を演じる安藤サクラは、樹木希林と伍するレベルの演技力および存在感で、その決して美人ともセクシーとも言えない庶民的な風貌とともに希林の後継者トップに名乗りを上げたと言ってよかろう。浅田美代子、岸本加代子ではない。
彼女を見ていると、天賦の才ってあるなあと思わされる。
予備知識なく見始めて、リリー・フランキーと安藤サクラを夫婦とするこの一家――バアちゃんを演じる樹木希林の存在のせいで、まるで往年のホームドラマ「寺内貫太郎一家」のような雰囲気さえ漂う関係の濃い一家――において、誰と誰とが血のつながりのある「本当の」家族なんだろうと考えあぐねていたのだが、結局、誰一人も血縁なかった。
彼らは、あるは実の親から「生まなければ良かった」と言われ、あるは虐待され、あるは育児放棄され、あるは裕福な家庭に関わらず愛を得られず、あるは子供から見捨てられた老親。それは、本来の家族から見捨てられたあぶれ者同士の寄り集まり所帯、疑似家族だったのである。
この設定に、是枝監督の皮相的メッセージを見るのはたやすい。
本来の血のつながりのある家族が「家族」として機能しない現代社会を打ち、逆に社会からはみ出した者同士のつながりの中に家族らしい絆とふれあいを描く。果たしてどちらが本当の家族と言えるのか――という問いかけを見るのはたやすい。
しかし、カンヌ最高賞ともなれば、それだけでは済まされない。
是枝監督の問いかけはさらに深いのである。
この一見、深い愛情と強い絆とで結ばれているように見える疑似家族は、果たして本当の家族と言えるのか? 果たして本当の親と言えるのか?
子供に万引きを教える大人、他人の子供を無断で連れ去って保護してしまう大人、警察に捕まりそうになると平気で子供を見捨てる大人・・・。こういった大人が親たりうるのか?
親から愛情を受けることなく育った自己肯定感の低い人間が、責任もって子供を育てることは可能なのか?
この映画がカンヌほか海外各地で高評価されたことが表すように、あるいは別記事で取り上げた『少年と自転車』(ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督、2012年)が示すように、「親とは何か」という問いかけが、今まさに焦眉の国際的テーマなのだろう。
評価:★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損